第十章 先のことはわからない 第5話

文字数 3,014文字

 白雪姫はヘルガの様子に首をかしげています。ヘルガは籠をマントの下に隠すように抱きかかえました。

「どうするんだよヘルガ。毒リンゴを食べさせる約束だろう」

「そうだけど、でもひょっとして死んでしまうかもしれないのに食べさせるなんて、やっぱりできないわ」

 イルゼとの約束、というよりも取引といった方がいいでしょうか。それは違えてはいけないと、ヘルガもよくわかっていました。けれど、こんな若くて美しく、素直で優しい姫が、万が一にも死んでしまうなんて、恐ろしすぎますし、たとえそれがイルゼの考えと彼女の作った薬によるものであったとしても、実際に姫に手渡したヘルガも、それに加担したことになるでしょう。そんなことには耐えられません。

 二人がごにょごにょ話しているのは白雪姫に聞こえてはいませんでした。しかし、ヘルガがマントの前をかき合わせて体をそらし、籠を隠そうとしたため、自然と白雪姫にマントを見せつける格好になりました。姫はそのマントに見覚えがあることに気が付きました。

「あなたのそれ、お母様の、いいえあの魔女のマントではないの? あなた背が低くて腰が曲がっているから、あの人が着たときとまったく違って見えたけれど、確かにそうだわ。

 あなた、魔女の手下でわたしを殺しに来たのね。そのリンゴも、食べたら死ぬようにできているんだわきっと」

 白雪姫はヘルガを指さして言いました。その通りなのですが、そう答えることはできず、かといってうまく取り繕うこともできず、ヘルガはおろおろしているだけでした。

「悪い奴。騙されるところだったわ。今すぐ出て行きなさい!」

 白雪姫は家の中にあった箒を振りかざして、ヘルガを叩きました。お姫様なので強い力ではなかったのですが、ヘルガは籠を持っていないほうの手で頭を覆って小屋の中を逃げ回りました。

「待ってくださいな。わたくしめはお姫様にリンゴを食べさせようなんて……、いえ、それは確かに王妃様に頼まれましたが、でもやっぱりそれは良くないと思って、だから止めたんでございます。

 王妃様だって、あなたのことを大切に思っているのですよ。リンゴを食べさせようとしたのは、それ以外にあなたを救えないと思い詰めたあまりのことでございます。だから、どうかお怒りにならず、王妃様の所へお戻りになってください。そうすれば、全ては丸く収まるのではないでしょうか?」

 ヘルガは言葉を尽くして弁解し、また白雪姫にイルゼのところへ戻るように勧めました。それは却って白雪姫を怒らせました。

「丸く収まるですって? あの魔女が全てを自分の思い通りにするためにわたしを殺そうとしたのよ。そんな人の所へ行って、丸く収まるというなら、それはわたしが殺されてしまうからでしょうね。早く出て行って。こびとさんたち、早く帰ってきて」

 ヘルガはたまらずに丸太小屋を飛び出しました。白雪姫は乱暴にばたんとドアを閉めました。ヘルガは小屋の前で呆然と立ち尽くしました。

「どうするんだよ。イルゼに失敗しましたすみませんって謝るのか」

「その必要はないわ」

 ラルフがヘルガに訊ねると、空の上からイルゼの声が聞こえました。結界の外側から全てを見ていたようです。

「あなたは本当に役立たずね。頼んで損をしたわ。シンデレラの場所をを教えてあげたのは間違いだったわね。シンデレラには会せてやらないわ」

 イルゼは杖を向けて、念力でヘルガの体を浮かせると、結界を越えて空中に放り出しました。ヘルガはまったくされるがままでした。イルゼは空中へ浮かんだヘルガを移動の魔法で消してしまいました。

 ヘルガが消えると、イルゼは眼下の丸太小屋と結界を冷たく見下し、あの鎖の蛇になるネックレスを空中に投げました。蛇はぐるぐると一つ所で円を描くように這いました。イルゼは蛇の体に青い炎を纏わせると、瓶に入った薬といくつかの薬草を振りかけました。次第に青い炎は大きな火の玉になりました。イルゼが杖を向けると、火の玉は結界に突っ込んでいきました。結界はメリメリと音を立て、すこしずつ溶けていきました。

 上空で恐ろしいことが起きているのを小屋の窓から見て、白雪姫は震えあがってベッドにもぐりこみました。

 火の玉がめり込んでいくと、溶けたところ以外の結界にひびが入り始めました。イルゼが歯を食いしばって力を籠めると、バリンと凄まじい音を立てて、結界が壊れました。

 当然、このような異変にエルフリーデが気が付かないわけがありません。彼女はすぐに丸太小屋の側へ姿を現しました。

「あの結界を破るなんて、イルゼめ、そんな力を持っていたなんて」

 魔女見習い同士であれば、あの結界を破るのはとても難しいはずでした。エルフリーデは舌打ちしてイルゼに杖を向けました。

 イルゼは青い炎を出し、エルフリーデは赤い炎を出し、激しく争いました。魔法の炎がぶつかり合っているのですから、熱風が吹きすさび、木々はなぎ倒され、地面は震えました。丸太小屋もあっという間に壊れてしまいました。

 白雪姫は熱風に飛ばされないよう、地面にはいつくばっていました。そこへ、こびとたちがやってきました。

「姫様、さぁ我々につかまって」

 こびとたちは白雪姫と手をつないで、離れていきました。

「待ちなさい! 姫は渡さないわ!」

 イルゼはすごい形相でこびとたちを追いかけようとしましたが、エルフリーデはそれをさせません。

「邪魔をするなら、容赦しないわ」

 イルゼは結界を破ったあの火の玉をさらに大きくして、ドラゴンの形にしました。そして炎をまき散らしながらエルフリーデを襲いました。

 こんなにすごい魔法は見習いのできる範囲を超えています。エルフリーデは苦々しく思いました。

「あなたはできる人だと思ってたいけれど、こんな強力な魔法、一体どうやって……」

「自分でも驚いているのよ、こんなことができるなんて。力がみなぎっていて、今ならどんな魔法でも使えそう。きっと覚悟を決めたからだわ。どんな手を使ってでも必ず成し遂げるという強い気持ちが、魔力となって現れているの」

「気持ちなんて、ようは火事場の馬鹿力ですのね。そんなもの、すぐに魔力が尽きておしまいですわ。それにその程度なら、わたくしにだってできてよ」

 エルフリーデは例のブレスレットから扇子を取り外して中に放り投げ、赤い炎を纏わせてフェニックスの形にしました。そしてイルゼのドラゴンと張りあうように戦わせました。

「どちらの魔力が先に尽きるか、みものね。もっともわたしは魔力が尽きる前にあなたを退けるわ」

 こんな挑発合戦に乗るのですから、やはり今のイルゼは一味違うようです。エルフリーデは必至に薄笑いを浮かべて、焦りを隠していました。

 青いドラゴンと赤いフェニックスは炎と熱風をまき散らしながら、激しく戦いました。しかし、やはり覚悟の強さからか、次第にドラゴンが優勢となってきました。

 エルフリーデが顔をゆがめて苦境を凌いでいると、ピン、と虫の知らせが来ました。これ幸いと、エルフリーデはフェニックスを消してしまいました。

「白雪姫はこびとたちが連れて行ったことだし、あなたと争い続ける必要はありませんわ。それでは失礼いたします」

 エルフリーデはパッと姿を消しました。このまま戦っていればイルゼの勝利だったはず。イルゼは肩で息をしながら悔しがりましたが、やがて気持ちが落ち着くと、ドラゴンを消して姫を探しに行きました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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