第八章 動き出す運命 第2話

文字数 2,957文字

 まさか失敗してしまったのでしょうか。瞬間移動の魔法の失敗はとても恐ろしいのです。どこかまったく知らない場所へ飛んで行ってしまったのであれば、探せばいいのでまだ救いようがありますが、空間のはざまに置き去りになってしまったとしたら、そこから助け出すのは困難です。

 ですがヘルガとシンデレラとの繋がりはまだ切れていませんでした。だからラルフが焦ってキーキー言っても、ヘルガは魔力を送り続けていました。

 そしてたっぷり三十秒ほど後に、シンデレラがお城の前の広場に現れました。

「ああよかった」

 ヘルガは汗だくになっていました。

「いや、よくないよ。だってこれから先、誰がシンデレラを見てればいいのさ。お城の中へ入っちゃったら、ハトの視界から消えちゃうじゃないか。見えなくなったらドレスが消えちゃうんじゃないか」

 他の魔女見習いなら、姿が見えなくてもドレスぐらい着せたままにできるかもしれませんがヘルガはできるかわかりません。そのうえ七羽の鳥の使役と瞬間移動の魔法で、魔力がだいぶ消耗しています。

「ど、どうしたらいいかしら」

「急いでハトを飛ばせよ。あ、待てよ、ハトはお城の中には入れないよな」

「じゃあ、お城の中の生き物を使役する?」

「舞踏会会場には普通人間しかいないんじゃない」

 あれこれ考えている間に、シンデレラはゆっくりとお城の入口へ続く階段を上がっていきます。

「そうだ、俺をお城へ送れよ。こっそりお城へ入る」

「でも、あなた魔法の失敗が怖くない?」

「怖いけど、それ以外どうしようもないじゃんか。それに俺はシンデレラの何十倍も小さいから、できるんじゃないか?」

 ぐずぐずしていたら、シンデレラは行ってしまいます。ヘルガはもう一度魔力を高めてラルフをお城へ飛ばしました。十秒後に、ラルフは広場に尻もちをつきました。シンデレラはもうお城の扉をくぐろうとしています。大急ぎで階段を駆け上がり、扉が閉まる前に中へ滑り込みました。

 シンデレラはその青い瞳を輝かせて目の前の光景に酔いしれました。

 輝くような純白に金で模様の書かれた壁紙が張り巡らされた会場は、シャンデリアや燭台の灯りで照らされ、昼間と見まごうほど明るいのでした。色とりどりの衣服を身に着けた人々が行き交い、小川のせせらぎのように笑いさざめいています。それに合わせるように、ピアノやバイオリンの音色が、時に軽妙に、時にゆったりと聞こえてきます。想像した通り、いいえそれ以上に夢のような光景でした。

 シンデレラはゆっくりと一歩一歩足を踏みしめて、城の中を見て回りました。赤くふかふかした絨毯も、大理石の床も、緩やかに弧を描いている階段も、初めて訪れたお城ですから、そのすべてが珍しかったのです。

 ラルフの目を通してその風景を見ているヘルガも、こんな豪華絢爛なお城は初めてでしたので、口をあんぐりと開けて見惚れていました。

 すると、シンデレラの銀のドレスの裾が、ふっと消えかかりました。

「駄目よ、集中しなくちゃ」

 頭をぶるぶると振って、机の上の魔法陣に魔力を込めます。そしてラルフの目を通してシンデレラをしっかりと見つめ続けました。

 ラルフはもちろん壁際や椅子やテーブルの下を通ってシンデレラを追いかけています。なので少し遠い所から見ていることになります。そすうると、だんだんシンデレラが周りの人たちの注目を集めていることがわかってきました。

 まず、銀色のドレスがとても珍しいのです。魔法でできていますから、本当の銀の輝きをそのまま身にまとっているようなのです。どんな上等な生地だって、この風合いは出せません。

 そして、夢見心地に雲の上を歩いているようなその歩みが、社交の場に慣れきって、流れるように歩くほかの人とは違っていました。彼女の周りだけ時間がゆっくりと動いているようにも見えて、自然と目立っていました。

 これがあまり美しくない娘であったなら、とろとろ歩いて邪魔だと邪険な眼差しを向けられたでしょう。しかしシンデレラは輝く金色の髪に透き通るような白い肌、バラ色の頬、潤った唇、そして輝く青い瞳を持っているのです。なにより夢にまで見た舞踏会へやってくることができた喜びが、彼女の全身を光り輝かせています。誰もが目を奪われて当然です。

 当のシンデレラは、自身へ向けられる視線に気が付かず、ただこの素晴らしい世界を目に焼き付けようと、瞳を見開いて、ひたすらゆったりと歩んでいました。

 奥の方へ進むと、ひときわ広い空間に出ました。ここでは音楽がよりはっきりと聞こえて、人々は男女一組になって、ダンスをしています。その光景もまた美しくて、シンデレラは溜息をついてじっと眺めていました。

 誰と話すでもなくただ立ち止っている美しい娘を、社交界の若者たちが放っておくわがありません。シンデレラが我に返ると、彼女にダンスを申し込む青年たちに囲まれていました。

「おお、モテモテ。ちょっとあいつ邪魔だな。これじゃ見えないよ」

「平気よ、なんとかなるわ」

 シンデレラが舞踏会でどこの娘よりも美しいのを見て、ヘルガは誇らしくなりました。また、彼女のために懸命に魔法を使った自分の苦労と、継母たちに尽くしてきたシンデレラの苦労が報われたようで、心が満ち足りました。

 きっと今日の出来事は、シンデレラにとって、これからの人生を生き抜く力になるでしょう。それはヘルガにとっても同じです。久しぶりに幸せが心に満ちているのですから。

 さて、シンデレラは多くの青年の中から誰か一人を選ぶことができませんでした。順番に踊るにしても、誰かを先にしてしまったら、どうしても後になった人に申し訳ないからです。次から次へと投げかけられる熱烈な誘いに応えることができずにいると、彼らの向こう側に継母と義姉の姿が見えました。

 ここへきていることが知れたら大変です。シンデレラは慌ててその場から逃げ出しました。

「あら、あの方、急に走り出してどうしたのかしら?」

「さぁ? それにしても見かけない顔よね。どこのお家のお嬢様かしら」

「誰かの遠い親戚とか、そういったところでしょう。……なんだか見覚えのある気がするけれど」

 継母たちは、まさかあの美しい娘がシンデレラだとは、つゆほども思っていません。

 それでもシンデレラは正体を知られるのが怖くて、継母たちからなるべく離れました。吹き抜けの二階へ階段を駆け上がり、柱に手をついて息を整えました。

「どうなさった? お加減がすぐれないのですか?」

 人の少ない場所でしたが、優しく気遣ってくれる人がいました。

「いいえ。階段を勢いよく上がったので、少し息が切れただけです」

 シンデレラは顔を上げて声の主を見ました。

 そこには、この夢のような空間に相応しい美しい青年がいました。金色の髪はきちんと額を出して整えられていて、凛々しい眉や細い鼻筋がはっきりと見えます。両目は深い青色で、どこか温かみがあります。きゅっと引き結ばれた唇が僅かに弧を描き、彼の誠実さと優しさがにじみ出ているようです。すらりと背が高く、白地に金糸の懸賞、赤い襟の軍服が映えています。胸に輝く星型の勲章が、彼のえも言われぬ品の良さを著していました。

 シンデレラは息をするのも忘れて、この麗しい青年に見とれてしまいました。
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