第三章 気の毒な娘さん 第3話

文字数 2,968文字

 そこへ、厨房の外から大きな声が聞こえてきました。ヘルガにはっきり聞こえるくらいの声でした。

「ネズミ一匹捕まえられないなんて、役立たずだね」

「ほんとうね。これじゃ家においておくだけ無駄だわ」

「お父様がいなかったら、追い出してやるのに」

 先ほどの部屋にいた三人がまるで追い立てるようにシンデレラを台所へ押しやりました。

「役立たずのでくの坊なんか、灰の山を寝床にしているのがお似合いなのよ。病気で死んだ前妻の忘れ形見なんて、辛気臭くて見ているだけで気分が悪いわ。それでも家に置いてやっているんだから、感謝しなさいよ」

 灰色のドレスの女は、汚らしいもの、それこそネズミを見るような目でシンデレラを睨みました。

「あんたは慈悲深い私たち母娘に一生尽くして、この恩を返さなくちゃね」

「その通り。まぁ、あんたにできることなんて大したことじゃないんだから、奴隷になったつもりで働かなきゃ、全然足りないわよ、せいぜい頑張りなさい」

 娘たちは顔を見合わせて嫌な笑い声を立てました。そして灰色のドレスの継母はシンデレラの肩を一突きして、娘二人を引き連れて去っていきました。

 あんなにひどいことを言われたのに、シンデレラは俯いてじっと耐えていました。そして継母と義理の姉たちの足音が去ってしまうと、すぐにかまどに火を起こして、食事の支度をしました。彼女はこの家の娘なのに、まるで召使いのようです。

 ラルフは戸棚の中から一切を見ていました。そしてもう一口チーズを齧ると、満足したのか穴をつたってヘルガのところへ戻ってきました。

「ふう、久しぶりにごちそうにありつけたぜ。それにシンデレラも見つかったしな」

 食欲に負けて役目をそっちのけにしていたというのに、全く悪びれません。しかし、それは今に始まったことではなかったので、ヘルガはもういちいち文句は言いませんでした。

 ラルフはご機嫌に毛づくろいしながら話し続けました。

「それにしても良かったじゃないか。シンデレラは母親を失くして継母と連れ子の娘たちに虐められているんだ。だからそういう状況から救ってあげたら、あの娘は幸せになれるよ。それでヘルガの課題はおしまいだ。簡単で良かったじゃないか」

 シンデレラは今、充分に不幸でした。この町でこんなに不幸せな人は、ちょっとほかに見当たらないくらいに。だからこそ幸せにするのも簡単なことに思えます。

 ですが、ヘルガはラルフの意見に首をかしげました。

「簡単かしら? わたしはどうやってあの娘さんを救ってあげたらいいかわからないわ」

 ラルフは背中を丸めてお腹の毛を撫でていましたが、そのままコロンと後ろへ転がりました。

「わからないって? 嘘だろう。いくらヘルガでも、そこまでもうろくしていないはずだよ。たとえばこの家から出してどこか安全で幸せに暮らせる場所へ連れて行ってあげるとか、あの意地悪な継母と連れ子を追い出してやるとか、ちょっと回りくどいけど、継母と連れ子を懲らしめてやって改心させるとか、シンデレラ自身に強くなってもらって継母たちを虐め返してやるとかさ、いくらでも思いつくじゃないか」

「でもねぇ、さっきの話だと、シンデレラのお父さんはこのお家に住んでいるみたいじゃない。実のお父さんと引き離してどこかへ連れて行くっていうのは、ちょっとかわいそうなんじゃないかしら。それに継母だって、前の奥さんは死んでしまったのだから、新しい奥さんとしてこの家に住むのは、べつに責められることではないのだし。連れ子にしても、若い娘だったら母親に従うしかないのだから」

「そりゃあ継母とシンデレラの父親は正式な結婚をしているのかもしれないけどさ、だからってシンデレラをあんなふうに虐めて良いことにはならないよ。良い継母だったのなら、シンデレラのことも三人目の娘として可愛がらなきゃいけなんじゃないか」

「そうはいっても、血がつながっていないなら、どうしても愛情が感じられないものじゃないの? それにあの継母がいうとおり、シンデレラと同じような身の上で、追い出されてしまう子どもはたくさんいるはずよ。追い出されなくても、どこかへ養子に出されたり、無理やりお嫁に出されたり、売り飛ばされたり、そうやって厄介払いされてしまうことだってあるでしょう。その先で今よりもっとひどい扱いを受けることだってあるのよ。

 それに比べたら、この家にいる方がいいんじゃないかしら。虐められていたとしても、お父さんに遠慮して継母たちもこれ以上ひどいことができないのだし、立派なお家で寝るところも食べるものあるんだから。

 だいたい、ご飯を作ったり洗濯したり掃除したり、ネズミを退治したり、そういうのをあなたは召使の仕事だというけれど、そう思うのはシンデレラがこんなお金持ちの家に生まれたからでしょう。他の小さい家の貧しい女の子なら、誰だってやっていることなのよ。この家だって、もしシンデレラがいなかったら、召使にやらせていたでしょうね。使用人として働いていると考えたら、そんなに辛いことでもないんじゃないかしらね」

 もとは貧しい農婦だったヘルガの目には、この町もこの家も、そしてシンデレラのこともそのように映るのでした。まして年をとって頭が固くなっているから、なおさら自分の物差しが曲げられず、シンデレラをどうしてやるべきか、いい方法が思いつかないのです。

「おいおい、ヘルガがやるべきなのはシンデレラを幸せにすることだって忘れてないだろうね。そりゃあシンデレラよりも不幸な人っていうのはいるけどさ、その人たちと比べてマシだから、このままでいいってことにはならないよ。だいたい、課題になっているくらいなんだから、何かいい方向へ変えてやらなきゃ、落第して食べられちまうよ」

 それはヘルガもわかっていました。ただ、ラルフが言ったような方法で、本当にシンデレラが幸せになるのか、自信が持てないのです。自信が持てな行ければ、やってみることもできません。なにせ失敗して、却って彼女を不幸にしてしまっても、落第なのですから。

 ラルフはあれこれ提案しつつ、ヘルガのやる気のなさと出来の悪さをあげつらって、キーキー言いました。ちょっとひどいことを言っているときもありますが、それはヘルガのおしりをたたくためであって、けっして嫌いだから言うのではありません。

 ヘルガにもそれは十分わかっていました。もしヘルガが落第したら、彼も元通りただのネズミに戻ってしまうのです。一度使い魔にしたからには、ヘルガが面倒を見てやらなければいけません。

 だからといって、良い方法が思いつくわけではありませんでした。いつもなら師匠に相談するところですが、もう頼ることはできません。そこでヘルガは他の魔女たちの様子を見に行って、参考にさせてもらおうと思いつきました。

「他の奴らが親切に相談に乗るとでも? むしろ悪いことを吹き込んで蹴落とそうとするかもよ」

「そうかもしれないけれど、ここで悩んでいても始まらないのだから、行くしかないわ」

 ヘルガは箒にまたがると、まわりに人がいないのを確かめて、フラフラと空へ昇って行きました。町の人々に見つからないよう、随分高いところまで浮かび上がらなければならず、とても怖かったのですが、落第を逃れるためにはしかたありません。。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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