第八章 動き出す運命 第3話
文字数 2,982文字
シンデレラの胸がときめきで張り裂けそうなことなどお構いなしに、青年はさらに近づいてきました。
「やはりお加減が悪いのではありませんか。息がつまってしまっているようだ」
青年は少し腰を曲げて、顔を近づけてシンデレラを見ました。それでも不躾な感じがしないから不思議です。
「顔も赤いようです。熱でもおありかな」
「いっ、いいえ。ちょっと……。ちょっと、人混みになれなくて……」
シンデレラはどうにか声を出しました。青年はなおも心配そうにしています。
「無理をしてはいけない。どこかお悪いなら医者を呼びますよ」
「とんでもない! 本当に何でもないんですわ。ご親切にありがとうございます」
シンデレラは彼と話し続けるのが恥ずかしくなって、身を翻して逃げようとしましたが、動揺のあまり、足がもつれてしまいました。
青年はよろけたシンデレラの腰に手を回し、支えてくれました。そして優しく助け起こしてくれます。シンデレラの心臓は破裂しそうなほど大きな音を立てていました。何とかお礼を言っても、彼の顔をまともに見ることができません。
青年はシンデレラの手をそっととって、隅の椅子に座らせてくれました。
「落ち着くまでここでお休みになられればよろしい」
といって、自身は椅子から一歩半ほど離れた所に、背を向けて立ちました。彼がいては一向に気持ちが静まりませんので、シンデレラはずっと胸に手を当てて、顔をそらしてしました。
「わお、すっごい美男子の登場だ。シンデレラったら、赤くなってら」
「そりゃあ、こんな素敵な人にやさしくされたら、誰だってのぼせちゃうでしょう」
青年はヘルガの目から見ても魅力的でした。こんな青年なら、下の階へ行けばたちまち多くの女性たちに囲まれてしまうことでしょう。先ほどのシンデレラのように。
「……あの、踊りに行かないのですか?」
彼をずっと立たせているのが申し訳なくて、シンデレラはとうとう自分から話しかけました。青年は振り返って椅子に座るシンデレラと向き合いました。けれど、距離は離れたままでした。あまり近づくとシンデレラが嫌がるとわかっているのでしょう。もちろん、それは嬉しいやら恥ずかしいやらで耐えられなくなるからですが、青年は理由を知りません。
「今しばらくは踊りたくないのです。もし下へ行ってしまったら最後、わたしは舞踏会がお開きになるまで、ずっと踊り続けなくてはいけなくなります。くたくたになって眠るのは、あまり好きではありません」
「まぁ。こんな夢のような場所で、踊りたくないなんて、もったいないことですわ」
「そうでしょうか。それにここが夢のような場所というのは、すこし言い過ぎに思えます」
「そんなことはありませんわ。夢のような場所です。こんな素敵なところ、二つとありません」
シンデレラはすこしむきになって言いました。すると、青年は手を口元に沿えて上品に笑いました。
「あなたはよほど舞踏会がお好きなのですね」
「いいえ、好きというのではなくて、憧れていたのですわ。こんな所へ来るのは初めてなので」
恥ずかしさで真っ赤になったシンデレラが答えます。慣れていないから気分が悪くなったのかと、青年は合点がいったようでした。
「それほど舞踏会に憧れていたなら、ここでわたしなぞと話しているのはお退屈でしょう。まだ少し顔が赤いですが、お元気になられたようだ。さぁ、下へ降りて早く踊っておいでなさい」
「そうですわね。踊ってみたいですわとても。でもどなたと踊ればいいのか、わかりませんの」
「あなたの心のままに。踊りたいと思った人と踊ればいいのですよ。選ばれなかったからといって、誰も文句を言いはしません」
シンデレラは青年の言葉をおうむ返しに呟いて、目を伏せていましたが、少ししてからそっと瞼を持ち上げて、微笑みを浮かべている青年を見上げました。
「わたし、あなたと踊りたいですわ。わたしの心のままに決めればいいとおっしゃいましたわよね。今、わたしはあなたと踊りたいのです。
でも、こんなことを言うのは良くないですわね。だってあなたは先ほど、まだ踊りたくないとおっしゃっていたんですから。それなのに誘うなんて、わたしとっても嫌な人だわ。
だけど、今日はそんなことが気にならないのです。素敵なドレスを着て、こんな夢のような所に来たから、気が大きくなっているみたい。ですからどうか、遠慮なくお断りになってくださいね。だって踊りたいというのは、ただわたしの心のままに出てきた言葉であって、あなたの心とは違いますもの」
思ったことをこんなに口に出してしまうなんて、シンデレラは自分自身に驚いていました。青年は少し驚いたようでしたが、すぐにとても穏やかな表情になりました。
「では、一緒に踊りましょう」
「まだ踊りたくないとおっしゃっていたでしょう」
「ええ。でもそれは少し前までのことです。今のわたしの思うままにするならば、あなたと踊るということになりますよ」
シンデレラは頬をバラ色に染めて、差し伸べられた青年の手を取りました。青年はゆっくり手を引いて、階段を下りていきます。
一階に近づくにしたがって、人々の視線が青年に向きます。そして人々の視線はシンデレラにも注がれました。一体どこの誰なのかという好奇心と、青年に手を引かれるなんてという羨望、どちらもシンデレラがこれまで経験したことがないものでした。
優雅な音楽に合わせて、夢見心地でシンデレラは王子と踊りました。
「みんなあなたを見ていますわ。当たり前だわ。あなたはこの眩いお城の中でも、ひときわ輝いているのですもの」
「そんなことはないでしょう。わたしより素晴らしい青年はたくさんいますよ。そして、彼らはみんなあなたを見ています。あなたもあなたが憧れた世界で、とても輝いているのですよ」
「みんながわたしを見ているのだとしたら、それはこのドレスが珍しいからでしょう。でも、そうですわね、この夢のようにきらびやかな世界の住人になれたというなら、それほど嬉しいことはないですわ。
でもあなたの輝きには、どうしたって敵わない気がします。それは単純にあなたが美しいというだけではないのですよ。とても思いやりがあって優しい方だから。見ず知らずのわたしに親切にしてくれたのだから」
二人は軽やかに踊りながら、他の誰にも聞こえない小さな声で語り合いました。そうしている間は、まるでこの広間にいるのは二人だけしかいないかのようでした。
「もう! 王子様を独占するなんて、あの方、一体どなたの親戚なのかしら」
「わたしたち、近くへ行くこともできやしない」
義姉たちは不満げに扇をはためかせ、踊る人たちからプイッと目をそらしました。その拍子に、床の上に灰色のネズミがいるのが目に入りました。
二人は悲鳴を上げました。側にいた人たちもネズミを見つけて大騒ぎしました。すぐに使用人がやってきて、箒で退治しようとします。
ラルフは逃げ回りました。踊る人々の間をすり抜けていると、シンデレラと青年の足許へでました。使用人の一人が、箒を投げつけましたが、ラルフには当たりません。箒は青年の足に当たりました。
「申し訳ありません、王子様」
使用人が大慌てで謝りました。それを聞いてシンデレラはパッと青年から離れました。そして、王子に別れの挨拶もせずに、走り去っていきました。
「やはりお加減が悪いのではありませんか。息がつまってしまっているようだ」
青年は少し腰を曲げて、顔を近づけてシンデレラを見ました。それでも不躾な感じがしないから不思議です。
「顔も赤いようです。熱でもおありかな」
「いっ、いいえ。ちょっと……。ちょっと、人混みになれなくて……」
シンデレラはどうにか声を出しました。青年はなおも心配そうにしています。
「無理をしてはいけない。どこかお悪いなら医者を呼びますよ」
「とんでもない! 本当に何でもないんですわ。ご親切にありがとうございます」
シンデレラは彼と話し続けるのが恥ずかしくなって、身を翻して逃げようとしましたが、動揺のあまり、足がもつれてしまいました。
青年はよろけたシンデレラの腰に手を回し、支えてくれました。そして優しく助け起こしてくれます。シンデレラの心臓は破裂しそうなほど大きな音を立てていました。何とかお礼を言っても、彼の顔をまともに見ることができません。
青年はシンデレラの手をそっととって、隅の椅子に座らせてくれました。
「落ち着くまでここでお休みになられればよろしい」
といって、自身は椅子から一歩半ほど離れた所に、背を向けて立ちました。彼がいては一向に気持ちが静まりませんので、シンデレラはずっと胸に手を当てて、顔をそらしてしました。
「わお、すっごい美男子の登場だ。シンデレラったら、赤くなってら」
「そりゃあ、こんな素敵な人にやさしくされたら、誰だってのぼせちゃうでしょう」
青年はヘルガの目から見ても魅力的でした。こんな青年なら、下の階へ行けばたちまち多くの女性たちに囲まれてしまうことでしょう。先ほどのシンデレラのように。
「……あの、踊りに行かないのですか?」
彼をずっと立たせているのが申し訳なくて、シンデレラはとうとう自分から話しかけました。青年は振り返って椅子に座るシンデレラと向き合いました。けれど、距離は離れたままでした。あまり近づくとシンデレラが嫌がるとわかっているのでしょう。もちろん、それは嬉しいやら恥ずかしいやらで耐えられなくなるからですが、青年は理由を知りません。
「今しばらくは踊りたくないのです。もし下へ行ってしまったら最後、わたしは舞踏会がお開きになるまで、ずっと踊り続けなくてはいけなくなります。くたくたになって眠るのは、あまり好きではありません」
「まぁ。こんな夢のような場所で、踊りたくないなんて、もったいないことですわ」
「そうでしょうか。それにここが夢のような場所というのは、すこし言い過ぎに思えます」
「そんなことはありませんわ。夢のような場所です。こんな素敵なところ、二つとありません」
シンデレラはすこしむきになって言いました。すると、青年は手を口元に沿えて上品に笑いました。
「あなたはよほど舞踏会がお好きなのですね」
「いいえ、好きというのではなくて、憧れていたのですわ。こんな所へ来るのは初めてなので」
恥ずかしさで真っ赤になったシンデレラが答えます。慣れていないから気分が悪くなったのかと、青年は合点がいったようでした。
「それほど舞踏会に憧れていたなら、ここでわたしなぞと話しているのはお退屈でしょう。まだ少し顔が赤いですが、お元気になられたようだ。さぁ、下へ降りて早く踊っておいでなさい」
「そうですわね。踊ってみたいですわとても。でもどなたと踊ればいいのか、わかりませんの」
「あなたの心のままに。踊りたいと思った人と踊ればいいのですよ。選ばれなかったからといって、誰も文句を言いはしません」
シンデレラは青年の言葉をおうむ返しに呟いて、目を伏せていましたが、少ししてからそっと瞼を持ち上げて、微笑みを浮かべている青年を見上げました。
「わたし、あなたと踊りたいですわ。わたしの心のままに決めればいいとおっしゃいましたわよね。今、わたしはあなたと踊りたいのです。
でも、こんなことを言うのは良くないですわね。だってあなたは先ほど、まだ踊りたくないとおっしゃっていたんですから。それなのに誘うなんて、わたしとっても嫌な人だわ。
だけど、今日はそんなことが気にならないのです。素敵なドレスを着て、こんな夢のような所に来たから、気が大きくなっているみたい。ですからどうか、遠慮なくお断りになってくださいね。だって踊りたいというのは、ただわたしの心のままに出てきた言葉であって、あなたの心とは違いますもの」
思ったことをこんなに口に出してしまうなんて、シンデレラは自分自身に驚いていました。青年は少し驚いたようでしたが、すぐにとても穏やかな表情になりました。
「では、一緒に踊りましょう」
「まだ踊りたくないとおっしゃっていたでしょう」
「ええ。でもそれは少し前までのことです。今のわたしの思うままにするならば、あなたと踊るということになりますよ」
シンデレラは頬をバラ色に染めて、差し伸べられた青年の手を取りました。青年はゆっくり手を引いて、階段を下りていきます。
一階に近づくにしたがって、人々の視線が青年に向きます。そして人々の視線はシンデレラにも注がれました。一体どこの誰なのかという好奇心と、青年に手を引かれるなんてという羨望、どちらもシンデレラがこれまで経験したことがないものでした。
優雅な音楽に合わせて、夢見心地でシンデレラは王子と踊りました。
「みんなあなたを見ていますわ。当たり前だわ。あなたはこの眩いお城の中でも、ひときわ輝いているのですもの」
「そんなことはないでしょう。わたしより素晴らしい青年はたくさんいますよ。そして、彼らはみんなあなたを見ています。あなたもあなたが憧れた世界で、とても輝いているのですよ」
「みんながわたしを見ているのだとしたら、それはこのドレスが珍しいからでしょう。でも、そうですわね、この夢のようにきらびやかな世界の住人になれたというなら、それほど嬉しいことはないですわ。
でもあなたの輝きには、どうしたって敵わない気がします。それは単純にあなたが美しいというだけではないのですよ。とても思いやりがあって優しい方だから。見ず知らずのわたしに親切にしてくれたのだから」
二人は軽やかに踊りながら、他の誰にも聞こえない小さな声で語り合いました。そうしている間は、まるでこの広間にいるのは二人だけしかいないかのようでした。
「もう! 王子様を独占するなんて、あの方、一体どなたの親戚なのかしら」
「わたしたち、近くへ行くこともできやしない」
義姉たちは不満げに扇をはためかせ、踊る人たちからプイッと目をそらしました。その拍子に、床の上に灰色のネズミがいるのが目に入りました。
二人は悲鳴を上げました。側にいた人たちもネズミを見つけて大騒ぎしました。すぐに使用人がやってきて、箒で退治しようとします。
ラルフは逃げ回りました。踊る人々の間をすり抜けていると、シンデレラと青年の足許へでました。使用人の一人が、箒を投げつけましたが、ラルフには当たりません。箒は青年の足に当たりました。
「申し訳ありません、王子様」
使用人が大慌てで謝りました。それを聞いてシンデレラはパッと青年から離れました。そして、王子に別れの挨拶もせずに、走り去っていきました。