第八章 動き出す運命 第11話

文字数 2,952文字

「それは、そう思ったことがないわけではありませんが、ならばどうしてすぐに私の命を奪わないのかと。寝首を掻くでも、食事に毒を混ぜるでも、これまで機会はたくさんあったはずです。それでも手出しをしないのてすから、わたしの敵ではないということになりませんか」

 疑いを持ちつつも、敵だとは思いたくない。そういう心の迷いを素直に話していました。

「わたしはその予言者の女に会ったことがありませんから、本当に邪悪な魔女なのかどうかわかりません。しかし、ここまで違和感を覚えているなら、あなたは少しその女から離れてみるのも手ではないかな」

 マルティンはとまどいながらゆっくり頷いていました。その後は話題が変わり、フロリアンが母国とこの国の同盟がいかに有意義か、三番目の王子として、少しでも手柄を立てなければと意気込んでいることなどを話しましたが、マルティンはどこかうわの空でした。

 宿屋に戻ると、ヨハンナはどこかに出かけていました。黒猫のエメリヒだけが、椅子の上でニャーニャーと鳴いていました。

 エメリヒの体の下には、いつもマルティンが身に着けていた衣服がありました。すこしだけ綺麗に見えます。洗濯してくれたようです。夜のうちに洗ってすっかり乾くなんて不思議ですが、それはヨハンナの魔法によるものだろうと、マルティンにはすぐにわかりました。

(そうだ。ヨハンナもこうした不思議な力が使える。やはり彼女も魔女なのだろう。敵か味方かは、決められないが、フロリアン殿が言った通り、離れるべきだ)

 同年代の他国の王子とああやって話したのは初めてでしたが、フロリアンは冷静にしっかりと現実を見ていて、意志も強く迷いを持っていないように見えました。彼の言葉にとても説得力がを感じたのです。

(やはり離れよう。彼女がいないうちに。そしてもう一度一人で旅をするんだ。行く当ては……やはりあの茨の城だ)

 マルティンは密かに決意して、エメリヒが出て行ってしまうと、そっと置いてあった服に着かえて、荷物を持って、こっそり宿屋を後にしました。

 真夜中をだいぶ過ぎていましたので、町には人っ子一人いませんでした。マルティンは、足音を立てないように、しかし素早く広場を横切って、町へ入った時の門の前へ来ました。

「どこへ行くの?」

 と、上空から箒に乗ったヨハンナが下りてきました。マルティンは顔をそらします。だからといって、ヨハンナは追及をやめません。

「どうやらフロリアン王子とのお話は、有意義だったようね。

 どこへ行くつもりか知らないけれど、わたしから離れたら、あの魔女に殺されるかもしれない。それがわかっているの」

「あの茨の城の魔女のことか。わたしとあの茨の城には、きっと深い縁がある。ひょっとしたら、わたしはあの魔女に従って、茨の城に入り込むほうが良いのではないか。伝説の通り、あの城に姫がいるなら、その姫こそがわたしの運命の伴侶なのではないか。

 ヨハンナ殿は頑なにわたしを茨の城から遠ざけようとするが、もしあの城の姫がわたしの運命の人であったなら、なぜそうまでしたわたしを引き離そうとする? この旅の目的は、わたしが伴侶を見つけること。それを手助けするというなら、わたしをいばらの城へ連れてゆくべきなのではないか」

 マルティンはくすぶっていた疑問をすっかりヨハンナにぶつけました。ヨハンナは静かに全てを聞いていました。そしてゆっくりと口を開きました。

「茨の城とあなたには、確かに因縁がある。けれどそれは決して良いものではない。これまでもずっとそう言ってきたわ。これ以上詳しいことは言えないから、信じてはもらえないだろうけれど。

 でも、信じてもらうために一つだけ打ち明ける。あの悪い魔女は、あなたを茨の城へ引き込み、あの城の姫と結婚してくれないと死ぬ」

 マルティンは小さく息をのみました。ヨハンナは淡々と続けます。

「あの城の姫でなくても、あなたに相応しい姫はいる。他の誰とでも、あなたは結ばれて幸せになれるの。むしろそうしたほうが、幸せもより長く続く。あの魔女が茨の城の姫にこだわるのは、自分の命のため。つまりあなたのためではない。それでもあのいばらの城へ行く? あの魔女に身をゆだねる?」

 裏に何の含みもないまっすぐな言葉でした。マルティンの心は揺らぎます。フロリアン王子の言葉を信じるか、ヨハンナの言葉を信じるか。

「わたしはべつに、あなたが誰と結ばれても命は失わない。そのうえであなたを助けている。理由は想像に任せる。でも、少なくとも自分の命のために、あなたを利用しているのではない」

 それだけ言って、ヨハンナはじっと待っていました。マルティンに迷いを打ち消してもらうためには、マルティンが自らの意志で考え、答えを選び取らなければいけません。こちらから強く訴えれば訴えるほど、一度は丸め込むことができても、またすぐに疑いを抱くようになることでしょう。

 たっぷり時間をかけて、マルティンはとうとう答えを出しました。

「あの魔女が自分の命のために茨の城へわたしを誘っているのは信じよう。ただ、それでヨハンナ殿を信じるられるかというと、それは難しい。あの魔女は命がけだがヨハンナ殿はそうではない。たとえ己のためであっても、命をとして何かを成し遂げようとするあの魔女にこそ、信が置ける。

 やはりわたしはあの茨の城へ行く。もしあの魔女がわたしを脅かす存在だったとしたら、今度こそ自ら戦ってうち勝つまで。それが叶わなければ、わたしもそれまでの人間だということだ」

 マルティンは強い覚悟を持っているようでした。ヨハンナは溜息をつき、ですがあくまで穏やかに言いました。

「そう決めたのなら止めはしない。あなたの選択を尊重する。ここで別れるわ。でも、あの錠前は持っていっていいわ。本当に命の危険が会ったら使って逃げて。わたしはあなたに死んでほしくないから」

 この半月ほど共に旅してきて芽生えた友情ゆえのことだとマルティンは受け止めました。

「ありがとう。わたしはあなたに疑いを持ったが、しかしこれまで助けてくれたことは感謝しているし、共に旅をして心強かったことも事実だ。虫が良いようだが、どこかで合えたなら、その時はまた友として語り合おう。この錠前は有り難く借りていく」

 そうして、マルティンはヨハンナの横を通り過ぎて、町を出て行きました。

 すっかりマルティンが出て行ってしまうと、ヨハンナはきびきびと動き出しました。

「マルティンはヨハンナを信じなかったか。命を懸けていると、ただそれだけでペドラを信じるなど、単純な奴め」

 エメリヒはため息交じりにマルティンを批判しました。

「人間の男に信じてもらえるかどうかなんて、心底どうでもいいこと。マルティンはわたしよりペドラを信じた。なら、それにあわせて計画通りにするまで。お望み通り自らの力だけで茨の城を目指して、過酷な旅を続けてもらう」

 ヨハンナとエメリヒは、マルティンがどちらの決断をした場合でもうまくいくように、既に手を打っていたのでした。

 マルティンは再び深い森の中を、茨の城目指して歩いています。ですが彼は気が付いていません。ここはもうヨハンナが作った迷路の中で、ずっと同じ場所をぐるぐる回り続けているということを。
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