第九章 再び舞踏会へ 第4話

文字数 3,013文字

 シンデレラの胸は高鳴りました。王子の言葉は紛れもない愛の言葉であったからです。口では側にいられるような人間ではないと言いながら、心の奥のほうでは、こんな言葉を欲しがっていました。だからとても嬉しくて、涙すら流れそうになります。

「いいえ、いけません。わたしは本当ならこんな素敵なところへ来られない人なのです。本当なら、あなたは別の人と踊っていたはずなのです。だから、これから先ずっと王子様と一緒にいるなんて、そんなことはできません」

「そうですね。もしあなたがここへ来なければ、わたしは別の誰かと踊っているか、踊りたくなくてただ時間が過ぎるのを待っていたでしょうね。でもあなたはここに現れた、そしてわたしと出会った。それなのに、本当なら、なんてものに意味があるでしょうか。

 お嬢さん。あなたはとても美しい。それは見た目だけではありません。その透き通ったような素直な心が、何より美しいのです。初めて見る城の全てに感動し、戸惑いや驚きを包み隠さず、心のままにわたしと踊りたいと言った。こんな心を持った女性を、わたしは他に一人として知りません。

 だからこうして踊っているし、ずっとそばにいてほしいと思っているのです。あなたも同じ気持ちだと思いますが、それは自惚れですか? 違うでしょう。あなたが素直に心に従うなら、わたしと同じことを望んでいるのではありませんか」

 シンデレラは踊りながら俯きました。まったく王子に心を見透かされているようなのです。それは嬉しくもあり、すこし恐ろしくもありました。

「はい。そうです。心のままに喋ることが許されるなら、わたしもこの時がずっと続けばいいと思っています。けれど、それは思うだけに留めなければいけません。あなたと一緒にいたいというのは、わたしにとっては大それた高望みなのです」

「決して高望みではない。ほかでもないわたしが、あなたを求めているのです。あなたと共にいたいというわたしの願いも、身の丈に合わない高望みですか」

「そんなことは決して……。王子様は高貴な方だから。わたしとは違います」

「どう違うのですか? 高貴でないとおっしゃるなら、教えてください、どこへ住んでいるのか、どんなお名前なのか」

 シンデレラは王子の追及を逃れることができず、段々と苦しくなってきました。王子は優しい人です。その様子を見ると、少し可哀そうになったようで、優しい口調に戻して囁きました。

「私はあなたを困らせたいわけではない。こんなことを言うのは、あなたと離れたくないからなのですよ」

 その気持は痛いほど伝わっていました。それでも正体を教える勇気はありませんでした。

 音楽が途切れた瞬間を見計らったかのように、12時を知らせる時計の鐘の音が広間に響きました。シンデレラは王子に向かって丁寧にお辞儀をして、別れの挨拶をして出口へ向かいました。

 王子は追いかけましたが、人ごみの中で遂に見失ってしまいました。王子がお城の玄関の外へ出た時は、シンデレラはお城からすっかり離れてしまった後でした。

 ラルフは燭台から降りるのにもたついて、すっかりシンデレラを見失っていました。

「早く追いかけて!」

「ちょっと待ってよ、見つからないようにしなくちゃいけないんだからさ」

「もう、いいわ。ゆっくりしていてちょうだい」

 ヘルガはそういって、ラルフとの繋がりを切りました。そしてハシバミの木のハトを使役しようとしましたが、二羽とも眠っていて、なかなか起きてくれません。こういう時、魔力が強ければ、叩き起こすことができるのに。

「もういいわ。後は帰ってくるだけなんだから、何とかなるでしょう」

 ヘルガは半ば自暴自棄になって、シンデレラとの繋がりだけに意識を集中させました。

 やがて、墓地に戻ってきたシンデレラは、ちゃんとドレスを着ていました。

「お帰りなさい。12時を少し過ぎていたけど」

「ごめんなさい。お話に夢中で時計を見ていなかったの。それにきちんとお別れを言わないと失礼だし」

「いいから、とにかくもうドレスは脱ぎましょう」

 ヘルガは他の人の墓石の裏に隠れて、直接シンデレラと話しました。シンデレラはいつもの通り、ハトが話していると思い込んでいました。

 ドレスを脱がせて元の格好に戻すと、やっと緊張の糸がほぐれました。そして疲れがどっと押し寄せてきました。早く小屋へ帰って寝たいですが、一応シンデレラが家に戻るまでは、相手をしなくてはいけません。

「王子様にちゃんとお礼を言えたのね」

「ええ。言えたわ」

「じゃあ、これで思い残すことはないわね。よかったわ」

「ええ、そうね……」

 すこし歯切れの悪い返事でしたが、休みたいヘルガはそういう些細なことには気が付かず、さっさとシンデレラを家へ帰してしまいました。

「ふぅっ、終わったわ。これで休める。明日はもう何もできないわ」

 ヘルガはのたのたと小屋に戻り、藁のベッドに倒れこんで、そのままグーグー寝てしまいました。

 シンデレラは屋敷へ戻り、暖炉の側の灰の山の寝床に座り込みました。母親たちが戻ってきたら、寝支度を整えなくてはいけませんから、まだ眠るわけにはいきません。もちろんシンデレラはちっとも眠くありません。王子から贈られた愛の言葉が、彼女の心を明るく輝かせ、体を燃え上がらせているからです。

(わたしを帰したくないとおっしゃっていたわ。なんてもったいないお言葉かしら。わたしはその言葉をもらって、天にも昇るような心地だったわ。今日は昨日のお礼とお詫びを言うだけのつもりだったのに、わたしは最初から王子様に思いを告げられることを期待していたのよ。そしてわたしも、あわよくば自分の思いを伝えられたらと思っていたんだわ。

 なんてはしたないんでしょう。ただでさえ、自分からお慕いしていると打ち明けるなんて若い娘のすることではないのに。まして王子様にそんなことを言おうとしていたなんて。

 でも、わたしか話す前に王子様が打ち明けてくださったわ。わたしがもうお城へ行けないなら探しに来るって。なんて情熱的なんでしょう。それほどまでにわたしを愛してくださるなんて)

 母親が死んでから、そんなふうにシンデレラに愛を向けてくる人はいませんでしたから、シンデレラはすっかり感動し、そして王子の気持に応えたいと思っていました。

(けれど王子様はわたしを探せないでしょうね。だって名前を教えなかったし、住んでいる場所も教えなかったもの。本当にもう再会することはないんだわ。

 これでよかったのよ。王子様の恋人なんて、わたしには不相応な立場だわ。もし王子様がわたしの前に現れるようなことがあれば、それはとんでもない間違いなのだわ。そうならなくてよかった。もしそうなったら恐ろしいもの)

 相思相愛の王子との別れを、仕方がないものだと言い聞かせていると、継母たちが帰ってきました。シンデレラは急いで出迎えました。継母たちは舞踏会の金のドレスの娘が目の前のみすぼらしい継子だとはすこしも思っていません。それなので、平気で金のドレスの娘がいなくなった途端に、王子様は他の娘とダンスどころかお話もせずに引っ込んでしまったと、文句を言っていました。

「舞踏会は明日もあるんだからね。王子様のお目に止まったら玉の輿なんだから、あんたたちもせいぜい頑張りなさい」

 と継母は娘たちにはっぱをかけました。本気で玉の輿に乗れるとは思っていないようでしたが。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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