第十三章 新たなる魔女たち 第3話

文字数 2,870文字

「エルフリーデさんはずっと海の中にいて、薬を煮たりしていたんですから、それは大したものじゃありませんか。それにイルゼさんの邪魔をして、マヌエラさんを呪って、どれも大変な魔法だったはずでしょう。不思議な魔法道具もたくさん使いこなしていたし、こんなに力のある人が、ここで魔女の世界から消えてしまうっていうのは、とんでもなくもったいないことですよ」

 ヘルガはエルフリーデがいかに優秀であるかを力説しました。しかしケルスティンには通用しません。

「今回の試験の課題は、それぞれ割り振られた対象を幸せにすることだった。いくら試験期間に能力を見せても、人魚姫が幸せになっていないのだから、落第となるのは至極まっとうなことだ。当然、今からそれを覆すことはできない」

「では、人魚姫が本当は幸せであったなら、落第は取り消しになるのですか?」

「それはそうだ。人魚姫が幸せであったなら。それはありえないがな。だって彼女は、愛する王子が別の女性と結ばれたことを嘆き、自ら海の泡となって果てたのだから。どこからどう見ても幸せではないだろう」

 そこで、ヘルガはマントの下に大事に持っていた木の箱を取り出し、ふたを開けました。

 すかさずイルゼが金色の粉の入った小瓶を開けて、粉を空中にばらまきました。そして杖を優雅に振ります。

 すると金の粉はゆっくりと一つ所に集まり、空中に人の形を模りました。その姿は人魚姫でした。

「まさか、人魚姫の魂か?」

 ケルスティンは驚いて尋ねました。死んだ者の魂を捕まえてここまでつれてくるなんて、ヘルガには到底出来っこないと思ったからです。

「魂でも間違いではないと思いますけど、彼女は空気の精となった人魚姫です」

 人魚姫はあの晩、海の泡となって、波に流されていきましたが、しばらくするとぱちんとはじけて、空へとのぼっていきました。彼女は空気の精となって。仲間たちと一緒にあちこちを漂っていたのです。

 ヘルガはイルゼの魔法の鏡で、人魚姫が空気の精となっていることを知りました。そこでイルゼの蔵書のなかから精霊について書かれたものを調べ、空気の精の国へ入って人魚姫を探したのです。もちろん、ヘルガ一人の力ではそんなことできようはずがありませんからイルゼにも手伝ってもらいました。

 人魚姫は初めて見る魔女の館が珍しくて、すこしだけキョロキョロ周りを見ていました。

「人魚姫さん。しばらく狭いところへ閉じ込めてしまってごめんなさいね」

「いいえ。たいしたことではないわ」

 そこで人魚姫は窓に映るエルフリーデの姿に気が付きました。金の粉を震わせながら窓に近づきます。

「こんな目に遭っているなんて、知らなかったわ」

「同情しているのか? 君に愛する王子を殺させようとして、挙句の果てに、君を死に追いやった魔女だぞ」

「でも、わたしに足をくれて、王子様の所へ行かせてくれた人よ」

 人魚姫はケルスティンにそう答えました。

「空気の精になってから、いろんなところへ行ったわ。人魚の城ではおばあ様や姉様たちが、かわいそうな末の姫と、私を思い出して涙を流していたわ。お城に戻った王子様と王女様も、良い娘だったのに帰らぬ人になってしまったと残念がっていた。誰もがみんな、わたしが不幸だったと思っているみたい。

 でもそれは間違いよ。わたしはとても幸せだったのよ。人魚の体で近づくことすらできないような王子様のお側に行くことができて、一ヶ月の間、たくさんのことをしたもの。最後は王子様のために命を捨てたけれど、それだってわたしにとってはとっては悲しいことじゃない。想像してみて、愛する人のために命を捧げたのよ。心の中に溢れんばかりだったあの方への愛が実を結んだような、満ち足りた心地がしたの。

 空気の精になったら、海の中だろうと空の上だろうと、どこへだって自由に行ける。そうして王子様の国へ行って、お側でずっとお姿を見つめていられるの。わたしは王子様に愛されることができなかったけれど、たった一ヶ月の間でも、王子様と楽しく過ごせたこと、そしてこうしていつまでもお側にいられることは、幸せといって間違いではないわ。少なくとも海の底で、叶わぬ恋にうつうつとして過ごし続けるよりも」

 人魚姫の表情は寂しげでしたが、恨みとか妬みとか、そういう悪い感情が一切消えてしまったように、すっきりとしていました。

「なるほど、では君はエルフリーデによって、幸せになったというのだね」

「そうよ。人はわたしを哀れで愚かな人魚姫というでしょうけれど、わたしは地上へ行ったこと、王子様のために命を捨てたこと、何もかも悔いてはいない。幸せかと尋ねられたら、はい、と答えるわ」

 ケルスティンは腕組みして熟慮していました。ヘルガはどうなることかとハラハラして見守っていました。

 やがてケルスティンは腕を解きました。

「幸せというのは、実にいろいろな形がある。そして何が幸せであるか、最後に決めることができるのは本人のみ。

 ヘルガ、よく空気の精の国へ行って、人魚姫を探し出したな。それがなければ、何を言われても、試験結果を覆すことは無かった」

「それじゃあ、エルフリーデさんは」

「落第は取り消し。最下位だが合格とする。仮に悲しさや惨めさを誤魔化すための強がりだったとしても、人魚姫本人が幸せだというなら、試験監督として、それを受け入れるべきだ」

 そう言われた途端に、牢にいたエルフリーデの拘束が解けて、窓の中から部屋に飛び出してきました。

 部屋に投げ出されて床に倒れたエルフリーデは、やがて自分が暗い地下牢ではなく、明るい部屋にいることに気が付きました。

「どういうことですの? わたくし、落第したのに。助かったというの?」

 安堵できないエルフリーデに、ヨハンナが歩み寄りました。

「そう。あなたは助かった。館入りが決まった魔女のおかげで、普通は起こり得ない奇跡が起きた。だから余計なことは考えず受け入れるべき。過度に感謝する必要もないし、卑屈になる必要もない」

 エルフリーデは、それが喜ばしいことであったとしても、まだ現実を受け止められないようでした。

「これでもうわたしの役目は終りね。空気の国へ帰るわ。魔女さんありがとう。あなたのおかげで、幸せな時を過ごせたわ」

 人魚姫はそっと微笑むと、体にまとった金の粉をふるい落とし、すっかり見えなくなってしまいました。

 金の粉はヘルガたちの上へ降り注ぎました。まるで新しい魔女たちの誕生を祝福しているようでした。

 新しい魔女たちは美しいそれをうっとりと眺めました。

 これでヘルガを始め今回の魔女試験の参加者は全員合格となりました。試験の間は様々な問題がおこり、全員が大いにもがいて、自分なりに答えを見つけて、課題をこなしました。ヘルガだけではなく、他の魔女たちも、この一ヶ月で何か一つは成長したことでしょう。

 この先、魔女の世界で彼女たちをどんな困難が待ち受けているかはわかりません。ですが、あまり先の心配ばかりしても始まりません。今はひとまず、めでたしめでたしというべきでしょう。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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