第七章 すれ違い 第8話

文字数 3,022文字

「それじゃあ、あんまり兄さんがかわいそうだわ。兄さんは悪い子じゃないし、とっても優しいのよ。森の中で、真っ暗で怖くても、手を引いてずっと歩いてくれたもの。だから兄さんだけをのけ者にするのは良くないわ」

 お兄さんのために勇気を出したグレーテルでしたが、マヌエラは眉を吊り上げて怒りました。

「何も知らないガキが生意気言うんじゃないよ。あたいがこうするのは、全部あんたのためになるしヘンデルのためにもなるんだ。それがわからないなら、この家から出ておいき」

 ここから追い出されたら、また森の中を彷徨うしかありません。家への帰り道はわからないのです。今度こそ本当にオオカミやクマに食べられてしまうかもしれません。グレーテルは泣きながらマヌエラに謝りました。

「本当にわかったんだろうね? あんたにもお仕置きが必要だ。今から森へ行って昨日教えた黒薔薇のつるを採ってきな。籠一杯にだよ。ヴェラ、グレーテルがサボらないようにしっかり見張りな」

 太った黒猫の使い魔ヴェラはシュトーレンの階段の上で丸くなっていましたが、億劫そうに伸びをして、グレーテルの足もとへやってきました。グレーテルは半べそをかいていましたが、籠を持たせられて、ヌガーのドアの外へ出されました。

 マヌエラは腕組みして、どっかりとスコーンの椅子に腰かけました。

「まったく困った子たちだよ。やっぱりあたいは母親役なんてごめんだね。優しくかわいがるなんてとてもできやしないよ」

 ふと、指先が二の腕の火傷の跡に触れました。エルフリーデと戦った後、薬を使って火傷はほとんど治りましたが、腕の自分では見えにくい所に、火傷の跡がまだ残っています。じくじくとした痛みが、マヌエラを余計に苛立たせました。


 イルゼとヨハンナは、こびとの丸太小屋のそばまで来ていました。

 エルフリーデが幸せにする対象である人魚姫の恋路を邪魔したのは、やはり良い考えでした。ほんの少しだけですが、エルフリーデの魔力に乱れが生じているからです。

 それでもいつも通り、こびとたちは洞穴へ向かって出かけていきました。

「今だわ。ヨハンナさん、手はず通りお願いね」

「わかった。こびとたちは任せて」

 ヨハンナは箒に乗ると、森の木々の間をすいすいとぬって、こびとたちを追いかけました。

 ヨハンナがこびとたちを足止めしている間に、白雪姫を連れ戻す作戦です。イルゼは森の中で捕まえたカナリヤを操り、結界に近づけました。イルゼの魔力が宿ったカナリヤなど、結界に阻まれるはずですが、魔力が乱れている今なら、結界に

ができています。一瞬魔力を強めてそこを突きさえすれば、何とか侵入できるはずです。

 イルゼは慎重に結界を観察し、一番薄くなっている場所めがけてカナリヤを突っ込ませました。結界は当然カナリヤを拒もうとしましたが、イルゼが魔力を高めると、カナリヤは遂に結界を破って丸太小屋の方へ飛んでゆくことができました。

 そのままカナリヤは丸太小屋のまわりを旋回しました。どうにかして小屋へはいろうとしているのです。すると、壁の窓が開いて、白雪姫が顔を出しました。すかさずカナリヤは家の中へ飛び込みました。

「まぁ! びっくりしたわ。カナリヤさんったら、どうしたの?」

 突然小屋に迷い込んだカナリヤに、白雪姫は明るく話しかけました。ここへ来てからこびと以外とまともに話していないので、すこしつまらなくなっていたのです。ただのカナリヤであっても、珍しく楽しいお客に思えるのでした。

 カナリヤは小屋の中をぶつかりそうになりながら飛び回っています。ときおり白雪姫の肩や手にとまり、またバタバタ飛び回る、それを繰り返してばかり。

「どうしたの? 出て行きたいのなら窓はそちらよ」

 白雪姫が窓を指しても、カナリヤはずっと小屋から出ません。

「出られなくなったてしまったのね。もう、お馬鹿なカナリヤさん。いいわ。わたしが外へ連れて行ってあげる」

 白雪姫は手にカナリヤを手に止まらせて、小屋の外へ出ました。そこで手を高く掲げてやりますと、カナリヤは羽を広げて飛び去りました。ただし、白雪姫の指は離さずに。

 姫はそのままカナリヤに運ばれて行きました。小さな鳥のどこにこんな力があるのでしょう。これは魔法に違いないと白雪姫は思いました。

 カナリヤは結界の手前で白雪姫を放り出しました。白雪姫は地面に尻もちをつきました。その前に現れたのはイルゼです、彼女は結界の外側に立っています。

「白雪姫、やっと会えたわ。さぁ、早くこちらへ来て。お母様が安全なところへ連れて行きますから」

 両手を広げて語り掛けますが、白雪姫は尻もちをついたまま、プイっとそっぽを向きました。

「嫌よ。安全な場所ですって、冗談じゃない。そう言ってわたしを遠い所へ連れて行って殺してしまうつもりでしょう。あのとき、森番に命令したみたいにね」

「そんな! あれは違うのよ。わたしが命じたわけでは……」

「そんな言い訳、信じるわけないでしょう。いつまでも子ども扱いしないでよ。お母様は血のつながらないわたしが憎いのよ、だから立派な王女になるためと言って、礼儀作法や勉強で私を縛り付け、結婚にも反対して、挙句の果てに殺そうとした。どこの誰が、自分を殺そうとする人を母親だと思うの。わたしはもうあなたのことを母親とは呼ばないわ。

 本当のお母様が生きていてくれればよかった。そうしたらあなたなんかが継母になることはなかったのよ」

 白雪姫は立ち上がってイルゼを指さしながら言いました。イルゼは一歩後ろへ後ずさりました。

「なんて、なんてことを言うの。あなたには最高の教育を施したわ。それはあなたが将来どこへ出ても恥ずかしくない王女になるため、それ以上に、あなた自身のためだったのよ。知識や経験は、これからの人生で直面する困難に立ち向かう力になるの。あなたにはそれを身につけてほしかった。

 結婚に反対したのも、国民の、国のためであったけれど、それ以上に、あなたの幸せのためよ。見ず知らずの王子と結婚するなんて、しかもあなたが結婚を望むのは、王女になれば嫌いな勉強やしきたりに縛られなくてすむからなんて。そんないい加減で怠惰な心持ちで、国を治める女王になれる? 王妃になれる? そして結婚相手から愛される? そんなことは断じてないわ」

 貴族の家に生まれたイルゼは、魔法を学び困っている人を助けたり、世の中の難しい問題を解決してきました。それで名声を手にいれ、王様の耳にも入り、そして二人目のお妃になったのです。お妃になってからも、魔法で王様を助けて政治をしてきました。それだからこそ、国は平和でしたし、人々から尊敬され、王様とも仲良くできていたのです。それはイルゼにとってとても満ち足りた生活でした。

 だから、白雪姫にも同じような人生を歩んでほしかったのです。イルゼが必要だと思ったことを身につけさせたら、幸せになれると思っていたのです。

 ですが、白雪姫にとってはそれらはすべて苦痛だったのです。

「わたしのためって何よ。わたしの気持ちを考えてもくれないし、わたしの望みも聞いてくれない。本当の母親じゃないから、わたしを好き勝手にできるのよ」

 白雪姫は顔を真っ赤にして涙を浮かべて叫びました。イルゼも涙を流しました。血がつながらなくても、白雪姫を本当の娘のように慈しんできました。それをわかってもらえないことが悔しく、そして腹立たしかったのです。
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