第三章 気の毒な娘さん 第4話

文字数 2,970文字

 ゆらゆら揺れながらなんとか町から離れると、少しずついつも飛んでいる高さへ下りました。普段はこの高さでも胆が冷えるものですが、もっとおっかない高さにいたせいか、あまり怖くありませんでした。

 さて、試験を受けている他の人たちの所へ行くといって、彼女たちがどこに行ったかはわかりません。結局また人探しのステッキに頼るしかないのでしょうか。

「そうだわ。このステッキは手を放したら探している人がいる方へ倒れるのよね。つまりこうやって空を飛んでいる時に、手を放して、それでいて落ちないようにすることができたら、ずっと行くべき方向を指してくれるんじゃないかしら」

 ヘルガにしてはいい思い付きです。ですが箒に乗りながらステッキを浮かび上がらせておくなんて、両方に神経を使うことはヘルガには無理です。仕方がないので森の中で見つけた蔦で箒の柄とステッキを結び付けました。すると、ステッキは空中で横倒しになって、進む方向を指しました。

 ヘルガはふらふらしながら、ステッキが指す方へ飛んでいきました。するとどこからともなく甘いにおいが漂ってきました。みると進む先に家がありました。

 地面に降りて家に近づくほど、甘いにおいは強くなります。家の真ん前にでて、ヘルガはようやくこの匂いの正体がわかりました。その家がお菓子でできていたからです。

 白いバタークッキーや香ばしい茶色のジンジャークッキーが、まるでレンガのように積みあげられて壁になっています。丸い窓枠は胡麻を練りこんだクッキーで、ドアはアーモンドのヌガーでできています。屋根は薄く切った干しブドウのパンをいくつも並べてあり、煙突は細長いパンを突き刺したようになっています。ラルフは目の色を変えて壁に飛びつきました。ヘルガも見ているだけで甘い味が口の中に広がるようで、ごくりとつばを飲みこtみました。

「おや、お客さんかい。この家を最初に見るのはあの二人のつもりだったんだけどね。まぁいいか」

 そういって家の陰から現れたのはマヌエラでした。

「どうだい、あたいのお菓子の家は。考えたのよりちょっと小さくなっちまったけど、まぁ子供二人とあたいが入れればそれでいいんだから、これで充分さね」

 お菓子で家を作るなんて、とても素敵な思いつきですし、なによりとても難しいことでした。ヘルガはただただ感心して、マヌエラを褒めました。するとマヌエラは気を良くしたのか、家の中へ招き入れてくれました。

 ヌガーの扉をくぐると、中も全て甘いお菓子でできていました。床はふかふかの白いパンが敷き詰められ、壁のひし形のクッキーには、それぞれスミレやバラの砂糖漬けが乗せてありました。部屋の真ん中には丸いキャロットケーキのテーブルと四角いスコーンの椅子があります。階段は薄く切ったシュトーレンです。二階には小部屋が三つあって、どの部屋も、ターキッシュディライトのベッドがあり、パンケーキの布団がかぶさっています。明るいので灯がともっていませんが、燭台の脂油は全て蜂蜜で、飴細工のシャンデリアには、栗やクルミやアーモンドが垂れさがっています。部屋の隅にある長椅子はリンゴ、ドアノブは苺、カーテンはブドウがツタごと、ブルーベリーが枝ごとぶら下がっているという具合に、甘い果物までそろっています。

 マヌエラはスコーンの椅子の背もたれの出っ張りをむしり取って、木の器にたっぷり入ったジャムをつけて頬張りました。

「味見って大事だろ。ばあさんも食べてごらんよ。ネズミ君も遠慮せず。あたいの使い魔はあんたを取って食いやしないからね」

 ヘルガは遠慮がちに壁のクッキーをはがして一口食べました。バターの豊かな風味と砂糖の甘さがたまりません。一口食べると、我慢できなくなって、家じゅう回ってあちこちを味見させてもらいました。ラルフなどは、隅から隅までかじって回りました。マヌエラもいっしょに味見しました。二人と一匹でずいぶん食べたのに、壁に穴が開いたり階段が抜けたりすることはありませんでした。食べた所はたちどころに、元通りお菓子で塞がってしまうからです。

「おいしいわ、こんなに甘いものを食べたのは初めて! 夢のような家ね。見たことのないお菓子もあったけど、きっとお城で出されるような高級なものなんじゃないかしら。どうやって手にいれたの」

「そりゃあ、くすねてきたに決まってるだろう。金持ちの家に忍び込んでね。結構大変だったけど、家が立派になったんだから、頑張った甲斐があったってもんだよ」

 マヌエラはそうやって集めたお菓子を、別の所にある家――エルフリーデのようにそこを拠点としているのです。――の魔法陣の中におきました。魔女は魔法を使う時によく魔法陣を描きます。地面に枝で描いてもいいですし、紙にペンで描いてもいいですし、板にペンキで描いてもいいです。魔法陣の形と書き込む模様によって、色々な効果が出せます。例えば、家の周りを囲むように魔法陣を描いて、見えない壁を作って家を守ることもできますし、魔法陣の中に置いたものの時を止めることもできます。

 マヌエラは、お菓子たちの時を止めて、ずっと置いておいても悪くならないようにしました。そしてこの場所に別の魔法陣を書いて、お菓子たちで家を作ったのです。さらに、お菓子が食べてもなくならないように、魔法陣には別の呪文も描き加えてあります。

 それはとっても高度で骨の折れることでした。マヌエラはそれをやり遂げ、こうして夢のようなお菓子の家を完成させたのですから、大したものです。

「これだけでも魔女としてじゅうぶん合格のように思うけど、これも誰かを幸せにするために作ったのよね」

「そうさ。あたいが幸せにしてやらなくちゃならないのは、貧乏な兄妹でね、食べ物がないからって、継母に追い出されそうになってるんだよ。けっこう頭のいい子どもだから、この前森に置き去りにされた時は、うまいこと家に帰れたんだけど、二度同じ手が使えるとも思ない。今度こそ家に帰れなくなるだろうさ。その時にここへ入れてやるんだ。ここなら腹が減る心配がないどころか、甘いお菓子を食べ放題だからね」

 これでは継母がひどい人のようですが、食べ物がないのはどうにもできません。自分が生きようと思ったら、どうしたって誰かの食料を奪わなくてはいけないでしょう。継母も必死なのです。実の我が子でもない子どものために我慢することができないほどの、ひどい飢饉なのでしょう。

 そうなると、いつも弱い者にしわ寄せがいくのがこの世界です。こんな世界で小さな子どもが家から追い出されたら、どうやって生きていけるでしょうか。それに引き比べて、シンデレラは雨風をしのげる家があり、食べ物もあるのですから、まだよいと思えます。

「でも、子どもたちをお父さんと引き離したらかわいそうじゃないかしら」

「かわいそう? ありえないね。あの父親、二人を森に置き去りにしようとしたんだよ。やっぱり男ってのはだめだ。子どもなんて都合のいい道具としか思っていなくて、いらなきゃすぐ捨てるんだ。ばあさんが幸せにしてやるシンデレラとかいう娘の父親も同じだよ。実の娘が継母たちに虐められてもほったらかしなんてさ。むしろそういう父親とは、きっぱり離れた方が幸せなんだよ」

 マヌエラは吐き捨てるように言いました。
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