第四章 何が幸せか 第1話

文字数 2,984文字

 ヘルガはひたすら西北へ向かって飛びました。途中で一度日が暮れたので、小さな村の側で一休みし、朝早くから出発しました。そして昼過ぎ頃に、遠くに白い砂浜と青い海が見えてきました。

「これが海なのね。青くてきれいねぇ。でも波が途切れすにこっちへ向かってくるのは、なんだか怖い気もするわね」

 初めて見る海の感想を言いながら、海岸沿いを飛び続け、人気がなくて、眺めが良くて、それでいて家を作りやすそうなところを探しました。

 しばらくしてヘルガはいい場所を見つけました。白い海岸から続く緩やかな丘の上です。あまり大きな木が生えておらず、家を建てやすいですし、嵐が来ても波にのまれる心配はありません。丘から右手に陸地が弧を描いて広がり、その先端に小さく港町が見えます。これならただの雄大な海だけでなく、時々船の姿も見えて、退屈しないでしょう。

 ヘルガは丘の上に降りて、早速家を作ろうと思いましたが、はて、まず何から取り組めばいいのかわからず、ピタリと動きを止めてしまいました。

「もたもたしてたら日が暮れるぜ。まぁ一日でできっこないから、当分はこのあたりで家づくりってことになるんだろうけどさ」

「ちょっと待って、まず何から始めたらいいのかしら。まずは、大まかな家の大きさを決めないとね」

 ヘルガは箒をさかさまに持って、柄の先で地面を削って、大きくいびつな四角形を描きました。これくらいの広さであれば、シンデレラが何不自由なく暮らせるはずです。

「次は、家の材料を持ってくるのかしらね」

 と言って、あたりを見回しますが、綺麗に切られた材木とか、レンガとか、そういう都合のいいものがあるはずはありません。マヌエラがやっていたように、あの港町へ行って取ってくるのがいいでしょうか。しかしそこにあるという保証もないし、そんな重いものをもって飛んで帰ってくる自信がありません。

 魔女なのだから、魔法を使って持ち上げたり、一瞬でここへ移動させたり、小さくしたり、魔法の袋にいれたり、そうすればいいじゃないかとお思いかもしれませんが、ヘルガはそんな便利な魔法はあまり使えませんし、便利な道具も持っていません。

 仕方がないので丘を下っていき、海岸にある流木を材料にしようとしました。もちろん大きな木だったので、ヘルガが自ら持ち上げることはできません。ひょろひょろした頼りない杖を取り出して、小さな気合の声とともに振ります。そのまま杖の先を上に向けて動かしますと、流木はゆっくりとと浮かび上がりました。
 ヘルガは杖を持つ手の形を変えないように注意しながら、そろりそろりと歩き始めました。流木も宙を浮いたまま移動します。途中慣れない砂浜に足を取られて転び、流木もドスンと砂の上に落ちてしまいました。もう一度立ち上がって流木を持ち上げ、慎重に歩きます。ラルフは足元で頑張れ頑張れと応援してくれています。

(もう、いやになるわ。どうしてこんなことしているのかしら)

 重いし、歩きづらいし、ヘルガは胸の内で愚痴を言っていました。どうしてといったら、それは魔女試験に落第しないためにきまっています。それは十分わかっていますが、それでも文句を言いたくなるくらい、年寄りにはなかなか大変なことでした。

 やっと丘の上に運び終えると、先ほど描いた四角とは離れた場所に流木を落としました。一つ溜息をついて、額の汗をぬぐうと、魔法陣を描くために、やはり箒の柄を地面に向けます。

「ちょっと待った。これって魔法陣を描いてから、物をその上におろしたほうがやりやすいんじゃないの。お師匠様はいつもそうしていたような」

「そうだったかしら……。でももう運んできてしまったからねぇ。いいわ、どちらが先でも同じよ」

「そういう雑なことをするとうまくいかないぞ。それにこれを家のどこに使うつもりか、ちゃんと決めてあるんだろうね」

 とりあえず使えそうなものを持ってきて、どうするかはこれから考えるつもりでした。しかしよくよく流木を見てみると、長い間波に揉まれていたせいか、樹皮はかさかさして、水分を搾り取られたように痩せた感じがしました。ところどこひびが入ったり、枝の折れたところが妙に刺々していたり、壁にも屋根にもよさそうには思えませんでした。

「でも、ほかに家の材料になりそうなものなんてないわ」

「いや、ここはマヌエラを見習おう。別に家だからって、レンガや木や石でできていなくてもいいじゃないか。家の形だって、丸くったってぐにゃぐにゃだって良いじゃないか、魔女が建てる家なんだから」

「まぁ、それもそうね。綺麗に作ろうとしてもどうせできないんだったら、いっそ面白みのある家にしたほうがいいかもね」

 そこでヘルガはラルフの勧めで海岸に落ちている貝殻を使った家を作ることにしました。まずは色々な形の貝殻を拾ってきて、それらを見ながら家のどの部分に使えるか考えて、それから魔法陣を描いていこうというのです。

 ヘルガは時々箒で砂をかき分けながら、貝殻を拾っては、前に持ちあげたスカートの上に乗せていきました。最初はなんて歩きづらい場所だと思っていた砂浜ですが、慣れてくると、一足ごとに砂に埋もれるような感覚が気持ちよくなってきました。面白い形の貝を拾うのは楽しく、もともと曲がっている腰をもっと曲げて、夢中になって拾いました。

 すると、周りをちょろちょろしていたラルフが、何やらキーキー声を上げました。ずっと同じ姿勢でいたので、腰は痛くなってしまいましたし、上体を起こすのに時間がかかります。やっとラルフが前足で指し示す海の方を見た時には、大波が水しぶきを上げて海岸に迫っていました。

 このままでは波にのまれてしまうことは、初めて海に来たヘルガでもわかります。ヘルガは急いで丘の方へのがれようとしましたが、足がもつれてまたすっ転んでしまいました。そしてまんまと波に飲み込まれて、海の中へ引きずり込まれてしまいました。

 ヘルガは泳いだことがありません。怖くてぎゅっと目をつむっていたので、周りがどうなっているかはわかりませんでしたが、体がふわりと浮いているようでもあり、しかしズーンと沈んでいくようでもあって、水に浸かるとは、とても不思議な感じがしました。

 ずっと息を止めていたのですが、だんだんと苦しくなってきて、ついに口を開いてしまいました。

(ああ、もうこれでおしまいだわ。ここで死んじゃうのね)

 諦めて冷たい水に全身を投げ出しましたが、どういうわけか苦しくありません。

「なんだこりゃ。きっと魔法だぞ」

 恐る恐る目を開けると、一緒に波にのまれたラルフが顔の横に浮かんでいました。よく見るとヘルガとラルフのまわりだけ、水の色が少し違っています。しかも息ができて会話もできるのですから、ラルフの言う通り魔法なのかもしれません。

 ひとまずは助かったと考えて良いでしょう。しかし安心したのも束の間、向こう側から黒い影がものすごい速さでこちらへやってきます。二人はすこしづつ沈んでいっているので、あたりがどんどん暗くなり、ヘルガにはよく見えませんでしたが、それは大きな魚のようでした。大きな黒い魚は二人に使づくとぐわっと口を開けました。その口に鋭い歯が並んでいるのがヘルガにも見えました。

 噛みつかれる。食べられる。ヘルガもラルフも目を閉じて身を縮こまらせました。
 
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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