第十二章 めでたしめでたしの先へ 第10話

文字数 2,959文字

 イルゼに鉄の靴を履かせた結婚披露宴のあと、白雪姫は幸せな結婚生活を始めるはずでした。しかし、現実は厳しいものでした。

 まず、お妃というのは、まったく自由な時間がありません。お妃教育と称して、歴史とか、いろんな国の言葉とか、数学や物理学、天文学まで、毎日時間を決めて勉強させられました。また、貴族たちとの交流も大切だと、気分でなくても食事会や夜会に出で、ニコニコ愛想よくしていなければいけません。

 そうやって頑張っていても、貴族たちは白雪姫がいないところで、ちょっと歩き方がガサツだったとか、あの話題についていけないのは教養が足りないとか、粗探しをして悪口を言うのです。それ以外にも、朝起きる時間から、寝る時間まできっちり決まっていました。ちょっとでも過ぎたら、侍女が口うるさく小言を言います。これではお姫様であった時よりも窮屈です。

 ただでさえ窮屈な生活をもっと困難にしているのは言葉でした。白雪姫はまったくドルン語ができなかったのです。マルティンと出会った時、彼は白雪姫の国の言葉に合わせて喋ってくれましたし、結婚披露宴では通訳がいました。ですがいつまでもそういう助けがあるわけではありません。だから日常のちょっとしたことでも、自分の気持ちを伝えられなくてもどかしいです。かといって母国語をしゃべると、やはり侍女たちに窘められます。

 王様も王妃様も、別の国の人だから仕方がないと、表だって批判はしませんが、白雪姫が上手くしゃべれないので、少々苛立ちを覚えているようです。侍女たちも白雪姫の言い間違いや発音の悪さを、影でくすくす笑っています。

 こんな風に、新婚生活は幸せとは程遠いものでした。

 マルティンは相変わらず優しくて、話す時も白雪姫の国の言葉を使ってくれます。しかし王子としての仕事がありますし、やはりいつかは王宮になじんでほしいと思っているので、勉強や窮屈な生活をやめさせてくれることはありませんでした。

「ずっとこの国で暮らすのだから、この国のやり方に慣れなくてはいけないよ。言葉もお城の暮らしも、今は辛くても長く続けていればだんだんできるようになるはずさ。頑張ってくれ」

 マルティンはいつもこうやって白雪姫を応援するのですが、慰めてくれたり、負担を減らしてくれはしません。意地悪な貴族や侍女を罰してくれることもありません。

 ある日、白雪姫は我慢できなくなって、一度生まれた国へ帰り、父王に向こうでの暮らしが辛いと泣きつきました。しかし父王は、厳しい顔をしてこう言いました。

「お妃になったのだから、苦労があるのは当たり前だ。辛くても、耐えなくてはいかんぞ。そなたはもうドルン国の妃だ。子どもみたいに泣きわめくのはみっともない。早く涙を拭いて、大臣たちに立派な姿を見せなさい。

 それから、なるべく早くドルン国へ帰らなくてはいかんぞ。結婚したのにすぐに帰って来るようでは、向こうの王様に申し訳ないからな。本当ならすぐにでも送り返すところだが、今回は特別に数日の滞在を許す」

 優しい父親でさえ、もう昔のように一人の娘として甘やかしてくれません。姫はその事実に愕然としました。そしてますます涙を流しました。

(誰も彼も、わたしのことを大切にしてくれないわ)

 それは白雪姫の思い違いです。マルティンも国王も、姫のためを思うからこそ、励ましてくれているのです。そのことは、昔使っていた部屋のベッドでふて寝をしている間に、だんだんとわかってきました。

(こんなことなら、もっと勉強しておけばよかった。ドルン語だって、もっと覚えておけばよかった。――お母様の言う通りに)

 この城で気ままな姫として暮らしていたころは、イルゼをうるさく思ったものでした。反発すると、いつも白雪姫のためだと言うのも、押しつけのようで気に入りませんでした。けれど今になって、あれがいかに必要なことであったかわかりました。もしイルゼの教育がなければ、今よりもっとひどい状況になっていたことでしょう。

 気が付けば、イルゼの部屋の前に居ました。扉の向こうはイルゼが隠れ家へ逃げた時のまま、散らかっていました。散乱している魔法の道具はどれも懐かしく見覚えがあります。子どもの頃遊ばせてもらったものばかりでしたから。

 壊れた家具やガラスの破片を避けながら中に進み、扉が開きっぱなしのドレッサーに近づきました。何も映していないその鏡面に向かってこう尋ねました。

「鏡よ鏡、世界で一番わたしのことを大切にしてくれていたのは誰?」

 鏡面は波紋を描いてから、かつての王妃の姿をしたイルゼを映し出しました。

「鏡よ鏡、その人は、お母様は、今でもわたしを大切に思っていてくれる?」

「はい。その人はこれからもずっとあなたの事を大切に思い続けるでしょう」

 白雪姫はいてもたってもいられず、イルゼの幽閉されている塔へ向かったのでした。

 「お母様、ごめんなさい。わたし何もわかっていなかった。お母様がどれだけ私のためを思ってくれていたか気が付きもしないで、ひどいことばかり言って、ひどい罰を与えて、こんな所に閉じ込めて。ごめんなさい。馬鹿な娘だったわ。どうか許して」

 イルゼは泣きながら謝る白雪姫の足もとに倒れこみました。

「許してもらうのは、わたしの方よ。わたしは自分の目的のために、あなたの命を危険に晒した。母親としてあるまじき行いよ。一生償っても許されない罪よ。それなのに、却ってあなたに許しを請われるなんて、そんな資格、わたしには無いわ」

 二人は互いに泣きながら謝罪しあっていました。やがて白雪姫がイルゼの肩を支えて立ち上がらせました。

「もし、一生償っても許されないというなら、今からわたしの言うことを聞いて。王妃としてお城へ戻って、そして時々でいいから、わたしに手紙ををかいて。わたしが迷ったときにはどうすべきか教えてほしいし、辛い時には励ましてほしいの。もう一度、わたしのお母様になってほしいの」

 イルゼは白雪姫を抱きしめました。こうして、この母娘の関係はようやくあるべき姿に戻ったのでした。

 ユッテは喜びで涙を流しました。ヘルガももらい泣きしてしまいます。

 イルゼは魔法ですぐにお城へ戻りました。散らかった部屋もすぐに魔法で片づけました。

「ヘルガさん。お礼を言うわ。あの時あなたが毒リンゴを姫に食べさせなかったから、わたしはかろうじて、母親に戻れる所にとどまれたのだわ。

 そこの鏡を使いたいという話だったけれど、どうぞご自由に使ってちょうだい。ほかに何かお手伝いすることがあれば、何でもおっしゃってね」

 イルゼの顔にようやく輝きが戻りました。

 ヘルガは言葉に甘えて、鏡の前に座り、早速質問をしました。

「鏡よ鏡、エルフリーデさんを落第から救う方法はある?」

 鏡はしばしゆらゆらと波紋を出してから、答えました。

「あります」

「その方法とは何?」

「エルフリーデの幸せにする対象と会うことです」

「人魚姫ってことよね? 人魚姫は今どこにいるの? 海の底?」

「いいえ。海の底ではありません。というより、この世界にはいなくなりました」

「ええ、死んでしまったってこと? じゃあどうやって会うの」

「精霊の世界へ行けば、会えます」

 ヘルガは何度も質問を繰り返して、人魚姫に会う方法を探りました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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