第十一章 失意の幕切れ 第9話

文字数 2,940文字

 エルフリーデは震えを抑えて精一杯堂々とした態度で話を聞きました。

(そうよ。わたくしはまだ挽回できるはず。小さな頃から誰よりも優れた魔女になるべく学んできたのだもの。他の見習い魔女の誰よりも優れているのはわたくしよ。マヌエラ如きの策略に負けてなるものですか)

 エルフリーデはの人魚姫の祖母に、姫を助けてほしいなら、姉姫たちの髪の毛を差し出せといいつけました。祖母は急いで城へ戻って、姉姫たちの髪の毛を集めてきました。

 エルフリーデは髪の毛をを糸車で紡ぐと、それを魔法の棒針で編んで細長い形にします。そして真珠といくつかの薬草と一緒に火にくべて、鋭利な一振りのナイフを作り出しました。

「これを人魚姫に渡しなさい。そしてこれで王子を殺してしまうように言うのよ」

 祖母はすぐさまそのナイフを持って城へ戻りました。


 王子と王女はその日の夜の晩餐会から、すでの夫婦になったかのように仲睦まじく過ごしていました。王子は昼間王女と再会した後、すぐに結婚を承諾しましたので、人々は微笑ましく二人を見守りました。

 王子は王女に人魚姫を紹介しました。

「彼女は口がきけないのだけれど、とてもいい娘なんだよ。この前は海に落ちた僕を助けてくれたんだ。僕は昨日まで君が死んでしまったものと思っていて、それでも両親が結婚を強要するなら、この娘と結婚してしまおうと思うくらいに、気に入っていいたんだよ。

 君がお嫁に来たら、彼女を側に置くといいよ。優しくて気立てがいいから、嫌なことや悲しいことがあっても、彼女といると慰められるんだ」

「まぁ、そうなの。とても美しい娘さんですこと。どうぞ、これからよろしくね」

 人魚姫にとって、これほど残酷なことがあるでしょうか。人魚姫はまるで魂のない人形のようにうなずきました。王子はそんな人魚姫の容子なと気にもとめず、王女とのおしゃべりに夢中なのでした。

 やがて、王子は王女を連れて国へ帰ることになりました。人魚姫は今度は自分の荷物と王子の荷物に加えて、王女の荷物も持ちました。彼女はもう完全に、ただの荷物持ちの召使になってしまいました。

 船の上でも、王子はずっと王女と一緒でした。人魚姫が近づく隙もありません。

 行きとは打って変わって人魚姫にとって、哀しみで眠れない航海となりました。毎晩甲板に出て、憎らしいほど輝く月をボンヤリ見つめて涙を流していました。

 ある夜、また姉姫たちが水面に顔を出しました。皆の美しい髪はバッサリ切り取られていました。

「おばあ様が魔女に頼んで、わたしたちの髪でナイフを作ってくれたの。これであなたを捨てた王子を殺してしまいなさい。そうすればあなたは人魚に戻れる。海の泡にならずにすむわ」

 姉姫が投げてよこしたナイフは、船のへりに突き刺さりました。人魚姫が引き抜いてみると、その刃は真珠のように怪しく輝いていました。

 姉姫たちは心配そうに何度も振り返りながら、海に潜っていってしまいました。

 甲板でじっとナイフを眺めている人魚姫のところへ、今度はエルフリーデがやってきました。

「あの教会の娘が生きていたなんて、流石のわたくしも想定外でしたわ。でもまだ挽回の方法ならありますわ。

 あなたの姉たちが言ったとおり、そのナイフで王子の心臓を一突きして殺してしまいなさい。もちろん、このナイフは魔法で作った特別なナイフ、突き刺したものから魂を抜き取ってしまうのですわ。そう怖い顔をなさらないで。肉体は滅んでも魂だけ残れば愛の誓いはできます。それどころか、王子の魂を箱の中に閉じ込めて持っていれば、王子は未来永劫あなたのものになりますのよ。とても魅力的しょう」

 たしかに魅力的ですが、愛する王子を刺し殺すなんて恐ろしくてできそうにありません。人魚姫は今からでも王女をどうにかして王子から離してほしいと頼みました。

「それはできますけれど、それでも王子の未練は消えることはありません。むしろ王女を失くした哀しみで、あなたの事なんて本当に目に入らなくなってしますわよ。あなたの望みは王子と結ばれてはじめて叶えられる。ならば魂を奪い、意のままにしてしまうのが近道ですのよ。

 それに王子をひとおもいにやってしまうというのは、あなたには簡単化ことではありませんの? だってあの嵐の夜に荒れ狂う海で助けててやったのに、そのことに気が付かず、あれこれさんざん尽くしたのに、感謝のの言葉だけで何の見返りもなし。やっと結婚の約束を引き出したのに、王女が現れるやいないなや反故にされて、流石に腹の虫がおさまらないでしょう。

 王子も肉体が滅んだら思い知るでしょうね。あなたの愛がいかほどのものかと。命を奪うほどの狂おしい愛を知れば、あの王女の向けている愛情なんて取るに足らないものだとわかり、すぐにあなたを愛するようになるはずですわ」

 エルフリーデは人魚姫の両手にしっかりとナイフを握らせて、王子の船室へと背中を押しました。

 人魚姫は何度も振り返りながら、ゆっくりと船室へ入りました。

 王子は王女とベッドの上で手をつないで眠っていました。

 穏やかな王子の顔をおみると、自然と笑みがこぼれます。しかし隣で同じ顔をして眠っている王女には、憎しみしか感じません。

(魔女はあんなことを言ったけれど、このナイフで王女をめった刺しにしてしまったらどうだろう。魂が抜けるという話だけれど、それなら王女の魂をわたしがもらって、頑丈な箱に閉じ込めて、真っ暗で何もない冷たい海の底に沈めたり、サメたちの遊び道具にして散々にいたぶってやるわ。そうすれば、胸がスッとするに違いない)

 けれど、王子と結ばれなければ海の泡になって消えてしまうのですから、魂を持っていられなくなると思い至りました。やはり魔女の言う通り、王子を殺してしまうしかないのでしょうか。

 人魚姫は王子を愛しているからこそ、憎く感じたことは数知れずあります。特に人間になってからは、好かれるためにいろいろなことをしたというのに、まったくまともに取り合ってくれず、いつも不満でした。

 最初の頃はそばにいられるだけで嬉しかったのに、王子のためならどんなことでも喜んでしたのに、いつの間にか王子からも愛情がほしいと、欲張りになっていたようです。

(でも、王子様はわたしに応えてくれるべきだったわ。わたしは王子様のために声を捨て、ものすごい苦痛に耐えて、人魚としての一生を捨て、愛が成就しなければ、海の泡になることさえ受け入れた。それだけ多くの代償を払ったのだから)

 人魚姫は悔し涙を流しました。ですが眠っている王子が起きて慰めてくれるわけではありません。もちろん王女もです。この船室で人魚姫を憐れんでいるのは、人魚姫ただ一人だけなのでした。そのことに気が付くと、涙はひとりでに止まりました。

(魔女の言う通り、ここまでしたのだから、王子の魂をもらって愛を誓うしかないわ。わたしにはもうそれしか道がないのよ)

 人魚姫はもう少しベッドに近づきました。そしてかけ布団をそっとはがして、王子のシャツの胸元をはだけました。王子はぐっすり眠っていて、目を覚ましません。

 人魚姫は両手でナイフを握りしめ頭上に掲げると勢いをつけて、王子の白い胸めがけて振り降ろしました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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