第七章 すれ違い 第9話
文字数 3,006文字
白雪姫はイルゼがそんな顔をするのを初めて見たので、すこし狼狽えましたが、そんなことで恨みは消えません。
「わたしはあなたの所へなんか行かない。ここでこびとさんと暮らして、お父様が迎えに来てくれるのを待つわ。そしてシュネーヴィッテン国の王子様と結婚して女王になる。そうしたらあなたなんて追い出して、暗い森の中の塔に閉じ込めてやるわ」
「なんですって、それが育ての母に言うことなの」
「ええ、育てた子供を殺そうとした人だもの、何を遠慮することがあるというの。本当なら首を切ってしまっても良いくらいなのに、追い出して閉じ込めるだけにしてあげているんだから、感謝してほしいくらいよ」
「もう、なぜこうもわからずやなの! いいでしょう。あなたが何を言おうとも、わたしはあなたを結婚させはしない。あなたの幸せの為なら、恨まれてもかまわないわ」
イルゼは結界があることを忘れて姫に近寄り手を伸ばしました。しかしその手は結界に阻まれました。
「あなたはこちらへ来られないのね。だったら何も怖くないわ。この丸太小屋の側にいる限り、わたしは絶対に安全なのだから」
白雪姫はドレスの裾を翻して丸太小屋へ逃げ込んでしまいました。イルゼは涙と怒りで顔をぐちゃぐちゃにしながら、それを見送るしかできません。
姫の姿が見えなくなってしまうと、イルゼは地面に膝をついて、声を上げて泣きました。王様にも国民にも決して見せたくない、みっともない姿でしたが、そんなことを気にしていられないくらいに感情が溢れてしかたがなかったのです。
やがて、こびとたちが小屋へ戻ってきました。ヨハンナにやられて、ボロボロになってはいましたが、元気に動いています。ヨハンナが戻ってくる頃には、イルゼの涙は止まっていました。ですが心をすり減らしていることは、一目でわかりました。
「いつまでたっても知らせが来ないから、失敗したのだと思っていたけど、いったいどういうことなの。あなたほどの人が、結界のそばまで来た白雪姫を連れ出せないとは思えない」
ヨハンナはこびとたちを食い止めるのにかなり骨を折りました。だというのに、イルゼは白雪姫を手にいれられなかったのですから、自然と責める口調になります。
「失敗したわ。なんの言い訳もできないほどに。あの子はわたしから離れて行ってしまった。もう二度と戻ってきてはくれないでしょうね」
イルゼは悄然と首を振りました。ユッテが寄り添って、その肩を抱いて立ち上がらせます。ひとまずは王宮へ戻り、作戦を立て直すことになりました。
そこで、ヨハンナの頭の中に、使い魔のエメリヒの声が聞こえました。
「マルティンが起きてしまった。結界ももう持たせられない。もしかしたらペドラが来るかもしれないぞ」
ヨハンナはすぐにマルティンの所へ行かねばならなくなりました。
マルティンは宿で目覚めてから、ぶらりと町の外へ出ました。
ぐっすり眠っていましたし、ヨハンナから貰った薬のおかげで、体の疲れが取れた気がします。しかし心は晴れませんでした。
(町に来たのだから、妻となる女性を探さなければいけないのに、時間を無駄にしてしまった。ヨハンナ殿の薬が効きすぎたのだろうか。疲れが取れたのは有り難いが……)
町の中心の広場へ行くと、どういうわけか人だかりができていました。マルティンもそこに加わって様子を伺うと、広場の中央に立派な紺色の軍服を着て馬に乗った将校と、白い羽のついた緑のつばひろ帽子をかぶり、光沢のある茶色いマントを肩から掛けた青年が向かい合っていました。その後ろには、それぞれ兵士を引き連れています。
「あれが同盟国の第三王子様か。若いけどご立派な方だな」
「軍事演習のためにこの町に来たんだろう。森の中で訓練するのかな」
などと、やじ馬たちが話しているのが聞こえました。あらためて見てみると、第三王子といわれた青年は、癖の強い巻き毛で、目鼻立ちはくっきりとして、灰色の瞳は待っすぐに、将校に注がれ、確かに堂々として立派な姿でした。
王子は将校と打ち合わせを終えると、マルティンのいる道の方へ向かってきました。その後に兵士たちが続きます。人々は左右に分かれて道を開けました。
ところが、小さな子供が反対側にいる親の所へ行こうと走り出てきました。王子が慌てて手綱をひいたので、子どもは馬に蹴られずにすみました。しかし、行く手を阻まれたことに、王子の側近たちは怒りました。
「こちらはこの国と軍事同盟を結んでいるシュネーヴィッテン国の王子様であるぞ。その軍隊の行く手を遮るとは、子どもとて許されることではないぞ」
その子どもと親は真っ青になって、震えて命乞いをしました。誰もがかわいそうに思いましたが、とりなす人はいません。
見かねたマルティンは前に出ました。
「これは幼い子供のしたことです。それに王子様にお怪我はなく、軍に何の損害もなかったのですから、この親子を罰するのは行きすぎではありませんか。同盟をむすんでいるとはいえ、ここは異国でしょう。異国の人間を勝手に処罰する権限はないはずです」
側近たちは生意気なことを言う男だと、怒りの矛先をマルティンに向けようとしましたが、それを王子が止めました。
「この者の言う通りだ。幼い子供のしたことである。いちいち目くじらを立てるな」
親子が許されて、人々はほっとしました。そして王子の寛大さに感心しました。
王子はまじまじとマルティンを見ました。マントの下の衣服も、腰の剣も、とても高価な品に見えました。
「もし、高貴なお方とお見受けするが、この国の貴族か、王族か」
出自を問われたので、マルティンは素直に答えました。
「やはり、他国の王族でありましたか。わたしはジュネ―ヴィッテン国の第三皇子、フロリアンと申す。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ。思いがけない縁ですが、お見知りおきを」
マルティンも挨拶を返します。王子はなおも去りませんでした。
「王子だというのに、たった一人で民衆に交じって我が軍を見物するとは、何か特別な事情がおありのようですな。せっかく知り合えたことですから、交流を深めたい。今すぐにでもといいたいところだが、演習があるゆえ、改めて機会を設けるしかないでしょう。数日後にこの町の領主が夜会を開くとか。その場でぜひ語らいたいと思うのだが、いかがか」
夜会に招待するということでしょう。ヨハンナがいないのに、勝手に約束を取り付けていいのでしょうか。マルティンは迷いました。ただ、これまで同年代の他国の王子と話をする機会はなかったため、フロリアン王子には興味を持ちました。彼の話を聞くのも見聞を広げることになるでしょう。
「ありがたいことです。わたしもぜひお話したい」
「そうか、では決まりですね。どこに逗留しておいでか? そこへ使いをやりましょう」
こうしてマルティンはフロリアンと会う約束を取り付けました。
ヨハンナは戻ってきてこれを聞き、やはりいい顔をしませんでした。ペドラの罠かもしれないからです。
「この旅の目的の一つは見聞を広げることだ。異国の王子の話を聞くのはためになる。それに夜会へ行けば素晴らしい女性に出会えるかもしれない。このままあの魔女から逃げ回っているだけでは、わたしの旅は終わらない。ただ出会いを待つのではなく、自ら動かなくては」
そう説得されて、ヨハンナは渋々夜会へ行くのを許しました。
「わたしはあなたの所へなんか行かない。ここでこびとさんと暮らして、お父様が迎えに来てくれるのを待つわ。そしてシュネーヴィッテン国の王子様と結婚して女王になる。そうしたらあなたなんて追い出して、暗い森の中の塔に閉じ込めてやるわ」
「なんですって、それが育ての母に言うことなの」
「ええ、育てた子供を殺そうとした人だもの、何を遠慮することがあるというの。本当なら首を切ってしまっても良いくらいなのに、追い出して閉じ込めるだけにしてあげているんだから、感謝してほしいくらいよ」
「もう、なぜこうもわからずやなの! いいでしょう。あなたが何を言おうとも、わたしはあなたを結婚させはしない。あなたの幸せの為なら、恨まれてもかまわないわ」
イルゼは結界があることを忘れて姫に近寄り手を伸ばしました。しかしその手は結界に阻まれました。
「あなたはこちらへ来られないのね。だったら何も怖くないわ。この丸太小屋の側にいる限り、わたしは絶対に安全なのだから」
白雪姫はドレスの裾を翻して丸太小屋へ逃げ込んでしまいました。イルゼは涙と怒りで顔をぐちゃぐちゃにしながら、それを見送るしかできません。
姫の姿が見えなくなってしまうと、イルゼは地面に膝をついて、声を上げて泣きました。王様にも国民にも決して見せたくない、みっともない姿でしたが、そんなことを気にしていられないくらいに感情が溢れてしかたがなかったのです。
やがて、こびとたちが小屋へ戻ってきました。ヨハンナにやられて、ボロボロになってはいましたが、元気に動いています。ヨハンナが戻ってくる頃には、イルゼの涙は止まっていました。ですが心をすり減らしていることは、一目でわかりました。
「いつまでたっても知らせが来ないから、失敗したのだと思っていたけど、いったいどういうことなの。あなたほどの人が、結界のそばまで来た白雪姫を連れ出せないとは思えない」
ヨハンナはこびとたちを食い止めるのにかなり骨を折りました。だというのに、イルゼは白雪姫を手にいれられなかったのですから、自然と責める口調になります。
「失敗したわ。なんの言い訳もできないほどに。あの子はわたしから離れて行ってしまった。もう二度と戻ってきてはくれないでしょうね」
イルゼは悄然と首を振りました。ユッテが寄り添って、その肩を抱いて立ち上がらせます。ひとまずは王宮へ戻り、作戦を立て直すことになりました。
そこで、ヨハンナの頭の中に、使い魔のエメリヒの声が聞こえました。
「マルティンが起きてしまった。結界ももう持たせられない。もしかしたらペドラが来るかもしれないぞ」
ヨハンナはすぐにマルティンの所へ行かねばならなくなりました。
マルティンは宿で目覚めてから、ぶらりと町の外へ出ました。
ぐっすり眠っていましたし、ヨハンナから貰った薬のおかげで、体の疲れが取れた気がします。しかし心は晴れませんでした。
(町に来たのだから、妻となる女性を探さなければいけないのに、時間を無駄にしてしまった。ヨハンナ殿の薬が効きすぎたのだろうか。疲れが取れたのは有り難いが……)
町の中心の広場へ行くと、どういうわけか人だかりができていました。マルティンもそこに加わって様子を伺うと、広場の中央に立派な紺色の軍服を着て馬に乗った将校と、白い羽のついた緑のつばひろ帽子をかぶり、光沢のある茶色いマントを肩から掛けた青年が向かい合っていました。その後ろには、それぞれ兵士を引き連れています。
「あれが同盟国の第三王子様か。若いけどご立派な方だな」
「軍事演習のためにこの町に来たんだろう。森の中で訓練するのかな」
などと、やじ馬たちが話しているのが聞こえました。あらためて見てみると、第三王子といわれた青年は、癖の強い巻き毛で、目鼻立ちはくっきりとして、灰色の瞳は待っすぐに、将校に注がれ、確かに堂々として立派な姿でした。
王子は将校と打ち合わせを終えると、マルティンのいる道の方へ向かってきました。その後に兵士たちが続きます。人々は左右に分かれて道を開けました。
ところが、小さな子供が反対側にいる親の所へ行こうと走り出てきました。王子が慌てて手綱をひいたので、子どもは馬に蹴られずにすみました。しかし、行く手を阻まれたことに、王子の側近たちは怒りました。
「こちらはこの国と軍事同盟を結んでいるシュネーヴィッテン国の王子様であるぞ。その軍隊の行く手を遮るとは、子どもとて許されることではないぞ」
その子どもと親は真っ青になって、震えて命乞いをしました。誰もがかわいそうに思いましたが、とりなす人はいません。
見かねたマルティンは前に出ました。
「これは幼い子供のしたことです。それに王子様にお怪我はなく、軍に何の損害もなかったのですから、この親子を罰するのは行きすぎではありませんか。同盟をむすんでいるとはいえ、ここは異国でしょう。異国の人間を勝手に処罰する権限はないはずです」
側近たちは生意気なことを言う男だと、怒りの矛先をマルティンに向けようとしましたが、それを王子が止めました。
「この者の言う通りだ。幼い子供のしたことである。いちいち目くじらを立てるな」
親子が許されて、人々はほっとしました。そして王子の寛大さに感心しました。
王子はまじまじとマルティンを見ました。マントの下の衣服も、腰の剣も、とても高価な品に見えました。
「もし、高貴なお方とお見受けするが、この国の貴族か、王族か」
出自を問われたので、マルティンは素直に答えました。
「やはり、他国の王族でありましたか。わたしはジュネ―ヴィッテン国の第三皇子、フロリアンと申す。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ。思いがけない縁ですが、お見知りおきを」
マルティンも挨拶を返します。王子はなおも去りませんでした。
「王子だというのに、たった一人で民衆に交じって我が軍を見物するとは、何か特別な事情がおありのようですな。せっかく知り合えたことですから、交流を深めたい。今すぐにでもといいたいところだが、演習があるゆえ、改めて機会を設けるしかないでしょう。数日後にこの町の領主が夜会を開くとか。その場でぜひ語らいたいと思うのだが、いかがか」
夜会に招待するということでしょう。ヨハンナがいないのに、勝手に約束を取り付けていいのでしょうか。マルティンは迷いました。ただ、これまで同年代の他国の王子と話をする機会はなかったため、フロリアン王子には興味を持ちました。彼の話を聞くのも見聞を広げることになるでしょう。
「ありがたいことです。わたしもぜひお話したい」
「そうか、では決まりですね。どこに逗留しておいでか? そこへ使いをやりましょう」
こうしてマルティンはフロリアンと会う約束を取り付けました。
ヨハンナは戻ってきてこれを聞き、やはりいい顔をしませんでした。ペドラの罠かもしれないからです。
「この旅の目的の一つは見聞を広げることだ。異国の王子の話を聞くのはためになる。それに夜会へ行けば素晴らしい女性に出会えるかもしれない。このままあの魔女から逃げ回っているだけでは、わたしの旅は終わらない。ただ出会いを待つのではなく、自ら動かなくては」
そう説得されて、ヨハンナは渋々夜会へ行くのを許しました。