第六章 魔女たちの争い 第4話
文字数 3,011文字
真っ暗な森の中、ホーホーというフクロウの声のほかに、か細い子供の泣き声が聞こえます。
ほとんど消えかかって細い煙が立ち上る薪の側に、幼い兄妹がしゃがみ込んでいました。泣いているのは妹の方です。
「泣くのはおよし、グレーテル。兄さんは帰り道がわかるから。ここへ来るまでの道に、少しずつパンくずを落としてきたんだよ。それをたどれば家へ帰れるからね。さぁ、行こう」
ヘンデルは妹の手を取って、立ち上がらせました。そして来た方向へと、地面を注意深く見ながら歩き始めました。
ところが、よく目を凝らしてみても、パンくずが見つかりません。それもそのはず。パンくずは全て鳥がついばんでしまったからです。
「道しるべがけりゃ、あたしたちお家へ帰れないわ」
グレーテルはまた泣き出してしまいました。ヘンデルも途方に暮れてしまいました。しかし、ここに立ち止まっているわけにはいきません。夜の森ではフクロウだけでなく、他の獣の鳴き声も聞こえてきます。ぼうっとしていたら、小さな妹も自分も、恐ろしい獣に食べられてしまうかもしれません。
ヘンデルは妹を励まして、とにかくもと来た方向へと歩きました。ただ、子どもですし、真っ暗な夜中のことですから、正しい方向などわかるはずがありません。二人はぐるぐると森の中をさまよいました。
すると、木々の隙間から、ちらりと光が見えました。そちらへ近づいてみると、すこし開けたところにポツンと家が建っていました。まるで夜空の月のように、家は光を発しています。窓から明かりが漏れているのではなく、家自体が光っているのですから、奇妙な感じはしましたが、二人はとにかく安心できる場所を求めていたので、一晩泊めてもらおうと家に近づきました。
扉をノックしようとした、ようやくその扉がヌガーでできてることに気が付きました。よく見ればその家は、どこもかしこもお菓子でできていました。
「どうりで甘い匂いがしたわけだ」
二人はもちろんびっくりしましたが、それよりもお腹が減っていて仕方がなかったので、我慢できずにお菓子の家にかぶりつきました。二人が食べたことがあるどのお菓子よりも甘く香ばしかったので、もう夢中になって食べ続けました。食べてもなくならないのを不思議がるひまなどありません。
「誰だい。あたいの家をかじるのは」
突然家の中から声が聞こえました。二人はびくりと身を竦めました。少しして、ヌガーのドアが開き、中から人が出てきました。
「おやぁ、あんたたちだったのかい。ちょっとお早いおつきだね。ああ、こっちの話さ、気にすんじゃないよ。
小さいこどもがこんな真夜中に森の中で、道に迷ったのかい? まぁ、おあがりよ。ご飯も寝床もあるから」
マヌエラの予想では、兄妹がここへたどり着くのはもう少し後のはずでした。早く着いたとして、お菓子の家は準備万端だったわけですから、問題はないのですが。
それにしても兄妹は身を竦めたまま動こうとしません。けばけばした化粧や高くくくった髪のせいで、少し怖がられているようです。
「安心おしよ。あんたたちを取って食おうなんて思っちゃいないんだから。それともなにかい、そのまま家の外で寝るってのかい? クマやオオカミに襲われても知らないよ」
そういうと二人は慌ててドアの前へ来ました。マヌエラは二人を中へ招き入れました。
家中どこを見てお菓子、お菓子、お菓子。果物や蜂蜜もあります。兄妹は目を輝かせました。マヌエラは二人をパンの椅子に座らせてパンとスープと、蜂蜜を入れた暖かいミルクを出してやりました。
「この家は見ての通りお菓子でできているんだ。どんなに食べたって消えることはない。パンもおんなじさ。スープは、まぁこれはあたいが作って出してるんだけど、とにかく、ここにいれば食いっぱぐれはないってことなのさ。
あんたたち、親に捨てられたんだろう? 見りゃわかるさ。ボロボロの服にやせっぽちの体だ。どうだい、この家で暮らしたら。家に帰っても食べ物がないのはおんなじなんだから、また捨てられちまうよ。本当に死んじまうまでずーっと同じことの繰り返しよりも、ここで食べ物の心配はせずに暮らしたほうがいいだろう」
グレーテルは兄の顔を見ました。ヘンデルは開きかけた口を閉じて、目を泳がせました。
「この家に住んで良いんですか? あなたとは知り合いじゃないのに」
「いいんだよ。ここへたどり着いたのも何かの縁だろ。」
「そうですか? それじゃあ、ここに居させてもらおうかな」
こんな素敵な家に住めるなんてと、二人は途端に笑顔になりました。しかしグレーテルは、はっと悲しそうな顔になりました。
「ねぇ、父さんもこの家へ呼んでいい? 父さんも食べ物がなくて困っているの。あたしたちだけ良い思いをするのはよくないわ」
父親を思いやる優しいお願いでした。ですがマヌエラはきっぱりと首を振りました。
「駄目だ。あんたたちを森の中へ置き去りにしたのは父親なんだろう。いつも継母のいいなりであんたたちを守ろうともしない。そんな奴に腹一杯食わせてやるのはごめんだね」
マヌエラは兄妹の父親のことが気に喰わなくてしかたがありませんでした。大体いつも父親というのは勝手なものです。マヌエラが魔女になる前にも、食うに困って町へ売り飛ばしたのは父親でした。兄や弟は家に残ったのに。
売られたのは町のごみごみした裏路地の宿屋でした。女たちが沢山いて、夜になると男たちがやってきて、小銭を渡して女と一緒に部屋に入って行きます。子どもだったマヌエラは最初は洗濯や掃除をしていましたが、そのうち自然に、小銭をもらって男と一緒に部屋に入って行くようになりました。
この宿屋に来る男のなかの多くは誰かの父親でした。日の当たる所では、子ども思いの優しい親の顔をしているのに、店では醜い欲望を丸出しにしています。中には金に汚い奴や、酒癖の悪い奴、日の当たる場所でも本性を隠せないろくでなしもいました。
(なんて醜いんだろう。父親なんてみんなこんなろくでなしばかりさ)
マヌエラはいつもこんなことを考えていました。しかし宿屋には父親ではない男もやってきましたし、その身分や職業もさまざまでした。だからこれは、ろくでなしなのは父親というより男なのかもしれないと思うようになりました。そうであれば、売られていくときに兄や弟が父に反対せず、別れに涙すら流さなかったことも説明がつきます。
いつしかマヌエラは、男たちから金を巻き上げることに熱を上げるようになりました。部屋に入る前に客と交渉して、喧嘩になり殴られることもありましたが、成功してより多くの小銭を集めることもありました。
けれど、ちまちま小銭を集めることでは満足できなくなって、もっと大金を手にいれたいと思うようになりました。その頃マヌエラも若い盛りを過ぎてしまって、このまま生きていくのは難しそうでしたから、これからの人生の元手がほしかったのです。
裕福な客の男をうまいこと騙して、大金をせしめたと思ったのですが、男に知られてしまい、捕まって散々殴られた末に、裁判をして牢獄に入れてやると恐ろしいことを言われました。マヌエラは何とか逃げだして、困りごとがあったら駆け込めば助けてくれると噂の占い屋に逃げ込みました。そこが師匠の魔女の住まいだったということです。マヌエラは魔女となることで、災難から逃れたのでした。
ほとんど消えかかって細い煙が立ち上る薪の側に、幼い兄妹がしゃがみ込んでいました。泣いているのは妹の方です。
「泣くのはおよし、グレーテル。兄さんは帰り道がわかるから。ここへ来るまでの道に、少しずつパンくずを落としてきたんだよ。それをたどれば家へ帰れるからね。さぁ、行こう」
ヘンデルは妹の手を取って、立ち上がらせました。そして来た方向へと、地面を注意深く見ながら歩き始めました。
ところが、よく目を凝らしてみても、パンくずが見つかりません。それもそのはず。パンくずは全て鳥がついばんでしまったからです。
「道しるべがけりゃ、あたしたちお家へ帰れないわ」
グレーテルはまた泣き出してしまいました。ヘンデルも途方に暮れてしまいました。しかし、ここに立ち止まっているわけにはいきません。夜の森ではフクロウだけでなく、他の獣の鳴き声も聞こえてきます。ぼうっとしていたら、小さな妹も自分も、恐ろしい獣に食べられてしまうかもしれません。
ヘンデルは妹を励まして、とにかくもと来た方向へと歩きました。ただ、子どもですし、真っ暗な夜中のことですから、正しい方向などわかるはずがありません。二人はぐるぐると森の中をさまよいました。
すると、木々の隙間から、ちらりと光が見えました。そちらへ近づいてみると、すこし開けたところにポツンと家が建っていました。まるで夜空の月のように、家は光を発しています。窓から明かりが漏れているのではなく、家自体が光っているのですから、奇妙な感じはしましたが、二人はとにかく安心できる場所を求めていたので、一晩泊めてもらおうと家に近づきました。
扉をノックしようとした、ようやくその扉がヌガーでできてることに気が付きました。よく見ればその家は、どこもかしこもお菓子でできていました。
「どうりで甘い匂いがしたわけだ」
二人はもちろんびっくりしましたが、それよりもお腹が減っていて仕方がなかったので、我慢できずにお菓子の家にかぶりつきました。二人が食べたことがあるどのお菓子よりも甘く香ばしかったので、もう夢中になって食べ続けました。食べてもなくならないのを不思議がるひまなどありません。
「誰だい。あたいの家をかじるのは」
突然家の中から声が聞こえました。二人はびくりと身を竦めました。少しして、ヌガーのドアが開き、中から人が出てきました。
「おやぁ、あんたたちだったのかい。ちょっとお早いおつきだね。ああ、こっちの話さ、気にすんじゃないよ。
小さいこどもがこんな真夜中に森の中で、道に迷ったのかい? まぁ、おあがりよ。ご飯も寝床もあるから」
マヌエラの予想では、兄妹がここへたどり着くのはもう少し後のはずでした。早く着いたとして、お菓子の家は準備万端だったわけですから、問題はないのですが。
それにしても兄妹は身を竦めたまま動こうとしません。けばけばした化粧や高くくくった髪のせいで、少し怖がられているようです。
「安心おしよ。あんたたちを取って食おうなんて思っちゃいないんだから。それともなにかい、そのまま家の外で寝るってのかい? クマやオオカミに襲われても知らないよ」
そういうと二人は慌ててドアの前へ来ました。マヌエラは二人を中へ招き入れました。
家中どこを見てお菓子、お菓子、お菓子。果物や蜂蜜もあります。兄妹は目を輝かせました。マヌエラは二人をパンの椅子に座らせてパンとスープと、蜂蜜を入れた暖かいミルクを出してやりました。
「この家は見ての通りお菓子でできているんだ。どんなに食べたって消えることはない。パンもおんなじさ。スープは、まぁこれはあたいが作って出してるんだけど、とにかく、ここにいれば食いっぱぐれはないってことなのさ。
あんたたち、親に捨てられたんだろう? 見りゃわかるさ。ボロボロの服にやせっぽちの体だ。どうだい、この家で暮らしたら。家に帰っても食べ物がないのはおんなじなんだから、また捨てられちまうよ。本当に死んじまうまでずーっと同じことの繰り返しよりも、ここで食べ物の心配はせずに暮らしたほうがいいだろう」
グレーテルは兄の顔を見ました。ヘンデルは開きかけた口を閉じて、目を泳がせました。
「この家に住んで良いんですか? あなたとは知り合いじゃないのに」
「いいんだよ。ここへたどり着いたのも何かの縁だろ。」
「そうですか? それじゃあ、ここに居させてもらおうかな」
こんな素敵な家に住めるなんてと、二人は途端に笑顔になりました。しかしグレーテルは、はっと悲しそうな顔になりました。
「ねぇ、父さんもこの家へ呼んでいい? 父さんも食べ物がなくて困っているの。あたしたちだけ良い思いをするのはよくないわ」
父親を思いやる優しいお願いでした。ですがマヌエラはきっぱりと首を振りました。
「駄目だ。あんたたちを森の中へ置き去りにしたのは父親なんだろう。いつも継母のいいなりであんたたちを守ろうともしない。そんな奴に腹一杯食わせてやるのはごめんだね」
マヌエラは兄妹の父親のことが気に喰わなくてしかたがありませんでした。大体いつも父親というのは勝手なものです。マヌエラが魔女になる前にも、食うに困って町へ売り飛ばしたのは父親でした。兄や弟は家に残ったのに。
売られたのは町のごみごみした裏路地の宿屋でした。女たちが沢山いて、夜になると男たちがやってきて、小銭を渡して女と一緒に部屋に入って行きます。子どもだったマヌエラは最初は洗濯や掃除をしていましたが、そのうち自然に、小銭をもらって男と一緒に部屋に入って行くようになりました。
この宿屋に来る男のなかの多くは誰かの父親でした。日の当たる所では、子ども思いの優しい親の顔をしているのに、店では醜い欲望を丸出しにしています。中には金に汚い奴や、酒癖の悪い奴、日の当たる場所でも本性を隠せないろくでなしもいました。
(なんて醜いんだろう。父親なんてみんなこんなろくでなしばかりさ)
マヌエラはいつもこんなことを考えていました。しかし宿屋には父親ではない男もやってきましたし、その身分や職業もさまざまでした。だからこれは、ろくでなしなのは父親というより男なのかもしれないと思うようになりました。そうであれば、売られていくときに兄や弟が父に反対せず、別れに涙すら流さなかったことも説明がつきます。
いつしかマヌエラは、男たちから金を巻き上げることに熱を上げるようになりました。部屋に入る前に客と交渉して、喧嘩になり殴られることもありましたが、成功してより多くの小銭を集めることもありました。
けれど、ちまちま小銭を集めることでは満足できなくなって、もっと大金を手にいれたいと思うようになりました。その頃マヌエラも若い盛りを過ぎてしまって、このまま生きていくのは難しそうでしたから、これからの人生の元手がほしかったのです。
裕福な客の男をうまいこと騙して、大金をせしめたと思ったのですが、男に知られてしまい、捕まって散々殴られた末に、裁判をして牢獄に入れてやると恐ろしいことを言われました。マヌエラは何とか逃げだして、困りごとがあったら駆け込めば助けてくれると噂の占い屋に逃げ込みました。そこが師匠の魔女の住まいだったということです。マヌエラは魔女となることで、災難から逃れたのでした。