第七章 すれ違い 第6話

文字数 2,958文字

「まぁ、黙ってやられっぱなしではないとは思いましたけれど、なかなかやりますわね。でもこんなことで動揺して白雪姫から目を離すわたくしではありませんわ」

 エルフリーデはこびとたちへ魔力を送る石に手を置いて、より強い魔力を送りました。それから結界も強化しました。これでこの隙にイルゼたちが白雪姫を取り戻しに来ても安心です。

 それから使い魔のカトリンを従えて、海の中で惚れ薬の材料を探しました。海の中にも、それなりに魔法の材料はありますが、強力な惚れ薬を作るためには、より多くの材料を集める必要があります。

 とくに赤いフジツボは、海の中でもなかなか見つけられないものでした。エルフリーデが海底火山のすそ野で赤いフジツボを探していると、突然、小さなサメが突進してきました。危ういところをカトリンがエルフリーデのドレスの袖を咥えて引き上げてくれました。

 サメはぐるりと旋回して、もう一度こちらへ向かってきます。

「あれは、使役されていますわね」

 操っている者がいるはずです。エルフリーデはサメの相手をカトリンに任せて、素早く周囲に目を配りました。そしてごろごろ転がっている岩の陰に、魔女の気配を感じました。

 その岩めがけて雷を放つと、岩は真っ二つに割れて、その向こう側にマヌエラが現れました。

「この前はよくもやってくれたね。お返しだよ」

 マヌエラは杖を振ってサメを操ります。カトリンはエルフリーデを守ってサメと戦います。二匹の恐ろしい海の怪獣が暴れると、大きな波がたちあたりの砂や海藻を巻き上げます。エルフリーデもマヌエラも、波にあおられていました。

「ふん。水の中に入ってくるなんて、わたくしと同等の薬や魔法を使ったとなれば、なかなかのものですわね」

「そりゃあ、あたいだって薬くらい作れるさ。あの時の火傷の跡がまだ治らないんだ。あんたも同じ目に遭わせてやるよ」

 マヌエラはスカートの下から小さな針刺しを取り出して、刺さっている針をエルフリーデに向かって投げました。針は空流でぼっと炎を発します。水のなかで炎を出すのですから、これも相当複雑なつくりの魔法道具に違いありません。マヌエラがこんなものを使えるとは思っていなかったエルフリーデは、すこし油断して右肩に針を受けてしまいました。

 ドレスに炎が燃え移りますが、ハンカチを取り出して叩くと、すぐに火は消えてしまいました。

「ずいぶん頑張りなさったようですけれど、あなたの魔法道具なんて所詮この程度、わたくしに敵うはずもありませんわ」

 エルフリーデはブレスレットの中から、この前使った扇をとって、ひとあおぎしました。あの時は竜巻を起こしましたが、水の中では渦巻がおこりました。マヌエラはあっけなく渦巻に巻き込まれてしまいました。魔力が途切れてしまったために、サメはカトリンの尾っぽで叩かれて、すごすごと遠くへ逃げ去ってしまいました。

「わたくしにはわかりますのよ。あなたはあの二人の子どもを幸せにすることはできないって。放っておいても必ず落第するのですから、構ってやる必要はなかったんですけれど、万が一あなたが自分の過ちに気が付いて合格してしまったらいけないと、ちょっと

をしてやりましたの。まぁ、お気づきではないようでしたけどね」

 どうせ渦巻の中にいて聞こえていないでしょう。エルフリーデは扇をひらひら回して、そのまま渦巻を遠く、水面までやってしまいました。

「さ、材料探しの続きをしましょう」

 といってカトリンとあたりを探していると、他の海藻の陰に隠れて、赤いフジツボがありました。エルフリーデは杖を一振りして、まわりの土を払いのけ、フジツボをごっそり取って拠点へ帰りました。

 一方のマヌエラは、まるで溺れた人のように、水面に顔を出して息を整えました。

「ちくしょう! あの小娘、サメをけしかけても顔色一つ変えないなんて。おまけになんだ? あたいはヘンデルとグレーテルを幸せにできないだって? おあいにく様、もうとっくに二人を幸せに暮らせる家へ住まわせてやってるんだから、合格したも同然なんだよ。

 あの偉そうな口ぶり、本当に腹が立つ。イルゼにやられちまえばいいのに」


 水の中でも平気でいられる薬は、もう効き目が切れてしまいましたので、腹が立ってももう一度潜っていくことはできません。

「まぁいいや。目的は果たしたんだから、お菓子の家へ戻ろう。あいつ、まさかあたいが偽物の赤いフジツボを置いたなんて、夢にも思ってないだろうね」

 クックっと笑って、マヌエラは魔法で空中へ浮かび上がり、箒を取り出して飛んでいきました。

 エルフリーデは偽物をつかまされたなどまったく気が付かずに、材料を刻んで、一晩海水に晒し、半日魚の血肉につけこんで、鍋で煮込みドロドロした惚れ薬を完成させました。

 届けるために地上へ出て、箒で飛んでいました。時間はちょうど夜でした。

「そうだわ。あの海辺の教会、例の娘ごと燃やしてしまいましょう。惚れ薬で人魚姫に惚れさせても、心のどこかにあの娘の影がある限り、またイルゼに利用されないとも限りませんわ。きれいさっぱりこの世から消えてしまえば、王子も諦めざるを得ませんし、死んだ人に惚れさせるなんて、どんな魔法を使ったって無理ですもの」

 教会は誰もが寝静まって静かでした。エルフリーデは杖の先に火をともして、教会の周りのあちこちにつけて回りました。火はあっという間に教会全体を包み込みました。火事に気が付いた近くの村人たちが集まってきましたが、魔法の火なので、簡単には消えません。

 エルフリーデは冷酷に笑って、お城へと飛んでいきました。

 エルフリーデから惚れ薬を渡された人魚姫は、翌日、厨房でスープを作りました。もちろん、中には惚れ薬がたっぷり入っています。そして王子の部屋にそれを持って行きました。

 王子は、椅子に座ってあの娘のことをぼうっと考えていました。

「ああ、お嬢さん、どうしてスープを持ってきてくれたの? そうか、僕が最近心ここにあらずだから、心配して元気づけようとしてくれたんだね」

 王子は何の疑いもなくスープを口にしました。人魚姫は側でじっと見つめています。

「もしかしてお腹が減っているの? それなら君も食べてごらん。自分で作ったのだし」

 王子はスプーンを差し出してきました。人魚姫は差し出されたスプーンに口をつけました。既に王子に惚れているので、今更惚れ薬を飲んだところで、何の問題もないのです。

 その後も、王子は優しく語り掛けてくれました。美味しいと言いながらスープを平らげました。けれど、どれをとっても普段通りの王子でした。

(まさか、惚れ薬が効いていないの? そんなはずはないわ、だって魔女様がくれた薬だもの)

 人魚姫はしばらく王子を眺めていましたが、何の変化も現れません。

 そこへ、家来がやってきて言いました。

「王子様、お探しの娘がいるという教会ですが、本日城の者が向かったところ、昨晩火事が起きて、全て燃え尽きてしまったそうです。中にいた人は、焼け死んでしまったとのことです」

 それを聞いて王子は驚きの余り立ち上がり、そして膝から崩れ落ちました。人魚姫は王子の体を支えてやりました。王子はその後ベッドに横になり、その日はそのまま起き上がりませんでした。
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