第二章 それぞれの対象 第5話

文字数 2,990文字

 人里離れた森の中、大きな木の枝の上に、突然小さな瓶が現れました。そして、まるでハンカチでも飛び出てくるかのように、黒い影が出てきました。影はあっという間に人の形になりました。

 魔女の館で魔法の小瓶を使って、幸せにする対象を探しに出かけたヨハンでした。彼女は木の枝の上に立ち、小瓶をマントの中へしまいました。

 今度はマントの下から丸っこい小さな弓矢を取り出しました。そして、赤い矢羽根をつがえて、ひょう、空に向かって射ます。さほど強い力で射たわけでもないのに、矢は天高くまで飛んでいき、大きな弧を描いて、だいぶ遠くへ落ちました。ヨハンナは矢の飛んでいった方角を見定めて、藁をあつめた箒にまたがり一直線に飛んでいきました。

 一方、人一人通らない山道を黙々と歩いている青年がありました。背も高く、なかなかにがっしりとした体つきをしていますが、顔を見るとナッツのような茶色い丸い目をしていて、頬にもまだ丸みが残り、引き結んだ唇も瑞々しく、若いようでした。

 ずっと山道を歩き続けた彼は、途中で少し休憩しようと、木陰に座り込み、腰に下げた革袋の水を一口飲みました。それから方に背負っていた荷物の袋から干し肉をひとかけら取り出し、これを齧りました。

 少し暑かったのでしょうか。彼は羽織っている赤茶色のマントを外しました。マントは風雨にさらされたからか、ところどころ色あせて、皺もついていましたが、その中に着こんでいるゆったりした袖のシャツや地紋の入った茶色いベスト、厚手の生地のズボンなどは、かなり良い品に見えました。それに腰に下げた細身の剣は、よく見れば優美な装飾がしてあり、これまた高価な品のようでした。

 青年は尻の後ろに手をついて、晴れ渡った空を見上げていました。すると、空中にきらりと光るものが見えました。まっすぐにこちらに落ちてきます。とっさに避けると、落ちてきたのは赤い羽根のついた矢でした。矢は彼のすぐ隣の地面に突き刺さりました。

 青年はすぐに背にしていた木の後ろへ身を隠し、腰の剣に手を賭けました。長く旅をしていると、ときどき山賊に出くわすことがあります。この矢も山賊が自分を狙って打ったものだと思ったのです。

しかし、もう矢は飛んできませんでしたし、山賊はいっこうに姿を現しませんでした。奇妙なことだと思いましたが、物騒な連中に出くわさないにこしたことはありませんので、きっと猟師が獲物を狙ったつもりで、あらぬ方向へ飛んできた矢だったのだろうと思い、先へ進むことにしました。

 地図によれば、日暮れまでには町に到着できるはずです。彼はまっすぐ前を向いて山道を歩いていきました。

 その後ろ姿を、ヨハンナが箒に乗って追いかけています。彼こそヨハンナが幸せにするべき対象のマルティン王子でした。

 ヨハンナは彼にどうやって近づくべきか考えながら、箒で空中高くへ飛びあがりました。こうすると道の先までよく見渡せます。マルティン王子が向かっている町もよく見えました。

 そして、その町の向こう側にある、こんもりとした奇妙な茨の茂みもしっかりと目に入りました。ヨハンナはその方向を睨みつけると、箒の向きをグイッと変えて素早く飛んでいきました。町に先回りするつもりです、もちろんマルティン王子に見つからないように、山道の上を飛ぶのは避けましたが、それでも彼よりは早く到着できるはずです。

 何も知らないマルティン王子は一心不乱に歩き続けて、遂に日が傾く前に町の入口へたどり着きました。彼はすぐに宿屋へ行って、一晩泊めてくれと頼みました。宿屋の主人はマルティン王子の身なりを見て、これはぞんざいにしてはいけないお客だと、丁寧に部屋に案内し、粗相のないように食事の世話もしました。その最中に、ちょっとした世話話をしました。どこから来たのかと尋ねると、マルティンは素直に答えました。

「ドルン国からだ。あちこち旅をして回っているんだよ。故郷では一人前の男になるために、一人で旅をするのが習わしでね」

「へぇ、それは結構なことで。それでどれくらいで家に帰れるのですか?」

「普通は一ヶ月くらいで、とにかく国境を越えて別の国へ足を踏み入れて、見聞を広げたらそれで良しとされているんだ」

「ははぁ、ではお客様の旅ももう終わりですかね。ここはもうシュラーフ王国ですから」

「それがそういうわけにもいかなくて。じつは我が家だけには、旅先で伴侶を見つけて戻るという伝統があるんだ。わたしはもうかれこれ二カ月は旅を続けているが、なかなか良い娘に巡り会わなくて、まだ旅を続けなければいけないんだ」

「そうでしたか。ここは小さな国のひなびた宿場町ですから、お客さんに釣り合うような娘はおりませんね」

「だからもっと大きな町へ行こうと思っているんだ」

「ええ、ええ、そうするのがようございます」

 そこで主人は思い出したように付け加えました。

「大きな町というと、ここから東へ向かうことになりますが、途中で大きな茨の茂みを見つけても、決して近寄ってはいけませんよ。魔法の茨に覆われたお城で、近づくと棘のついた茨にからめとられて、絞め殺されてしまいます」

「魔法の茨に覆われた城だって。そんな恐ろしいものがあるのか」

「もう100年ほど前の話だそうです。その城に王様と王妃様が住んでいて、お姫様がお生まれになりました。十二人の仙女がお祝いにやってきて、それぞれお姫様が幸せになるように魔法をかけたそうです。ところが一人の仙女が呼ばれなかったことに怒って、王女様が15歳になったら糸つむぎの

に突かれて死んでしまう呪いをかけたのです。幸い、まだ魔法をかけていなかった最後の仙女が、死ぬのではなく眠るだけという魔法をかけたので良かったのですが。

 その後王様は国中の

を燃やしてお姫様を守ろうとしましたが、お姫様が15歳になったら、どういうわけか

を触ってしまって、呪い通り眠ってしまったんです。お姫様だけでなく城の全てが眠りにおちて、茨が城を閉ざしたのです。

 嘘みたいな話でしょう。でも実際に茨の城はありますし、近くを通って危ない目に遭い、命からがら逃げてきた人もいるのですから、まったくの作り話ではないのですよ」

 山賊よりも物騒な城です。マルティン王子は身震いして、忠告してくれた宿の主人に感謝しました。

 マルティンは食事を済ませて部屋で笑のベッドに寝転がりました。しかしどういうわけか目が冴えてしまって、よく眠れません。

 最初はあんな恐ろしい城の話を聞かされたからだと思い、そのことを考えまいとしました。しかし、そうすればするほど、却って主人の語った物語が思い出され、また茨の城への興味が湧いてきました。近づいてはいけない恐ろしい場所だとわかっているのに、一目見てみたいという興味がむくむくと沸き上がります。一体どうしてなのか、不思議でなりませんでした。

 翌朝目覚めても、茨の城のことが頭から離れません。むしろ道すがらその近くを通ることを楽しみにすら思っています。

「こんなにも茨の城のことを考えてしまうのは、わたしと茨の城に何か不思議な縁があるからではないかな。もしそうなら避けて通るのではなくむしろ近づいてみるのがいいのではないだろうか。それで危険な目に遭ったならすぐに逃げればいいんだ」

 マルティンはこっそりと茨の城へ行くことに決めました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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