第十一章 失意の幕切れ 第4話

文字数 2,983文字

 人魚姫はエルフリーデに書いてもらった手紙を綺麗に丸めて、ピンク色の可愛らしいリボンで結びました。

(王子様はこの手紙を読めば、わたしの愛に気が付いてくださるわ。気が付きさえすれば、あんな教会と一緒に焼けた娘なんて忘れて、わたしだけを愛してくれるはず)

 人魚姫は自信満々で、王子の部屋へ行き手紙を差し出しました。

「これは手紙かい? いったい誰からだろう」

 王子は受け取りはしましたが、人魚姫からとは思っていないようです。彼は人魚姫は文字を知らないと思っていたからです。

 人魚姫は必死に身振りで自分が描いたのだと伝えようとしました。王子はわかったのかわかっていないのか、困ったように笑って、渋々といった様子で手紙を開きました。

 人魚姫はエルフリーデが書いた熱烈な愛の言葉が、王子に目の前にいる娘こそが真実、王子を愛しているのだと気付かせるのを今か今かと待っていました。

 ですが、一向にその瞬間は訪れません。それどころか、手紙を読み進めるにつれて、王子の顔は険しくなっていきました。

 最後まで読み終えると、王子は不機嫌に手紙を持った手を下ろしました。

「なんだこれは。会ったこともないのに、心の底から愛してる、だの、あなたなしでは生きていけない、だの。ああ、君にはとても読んで聞かせてあげられないよ。なんてことだろう。どんなに美しい愛の言葉でも、本当に愛する人から贈られるのでなければ、こんなにも薄気味悪くて嫌なものになるなんてね。

 一体どこの誰がこんな手紙をよこしたんだろう。わかっているよ、きっと出しゃばりな貴族の娘が、君が口がきけないのを良いことに、無理やり押し付けて僕に届けさせたんだろう。まったく、王宮に出入りする若い娘たちときたら、どうしてこうも厚かましいんだろうね。僕の心なんてお構いなしに、自分の気持ちをぶつけてくるんだ。僕の心の中には、あの海辺の教会の娘が住んでいるというのに。

 君もこんなくだらない手紙を届けさせられて災難だったね。ああ、君は他の若い娘とは違うよ。いつも僕の気持ちを理解してくれて、君の気持ちを推しつけてくることはない。一緒にいてとても心地いいんだ」

 手紙の最後には、きちんと人魚姫の名前が書いてありました。しかし、王子は人魚姫の名前を知りませんでしたので、他の誰かが書いて寄越したものだと勘違いしたのです。

 王子は熱烈な愛の言葉を心底迷惑がっていました。さらに、あの死んでしまった教会の娘を今でも忘れられないと言い、その上人魚姫はこんなふうに気持を押し付けてこないから好ましいとさえ言ったのです。

 この手紙を書いたのは自分だと伝わったら、きっと嫌われてしまいます。人魚姫はそれが怖くて、王子に本当の事を伝えられなくなってしまいました。

 王子は手紙を破って、今は火が消えている暖炉に放り込んでしまいました。夕方になったら、暖を取るために火をつけられ、他の薪と一緒に、燃えて灰になってしまうでしょう。

 人魚姫は落ち込んで、あてがわれた部屋のベッドに突っ伏して泣きました。これまでいろいろな方法で王子に愛を伝えようとしては失敗してきました。手紙は最後にして最善の手段だったはずなのに、それも上手くいかなかったとなると、もうどうすればいいのかわからないのでした。

(どうして王子様はわたしの気持ちに気が付かないのかしら。こんなに一緒にいるのに! やはり言葉が喋れないからなの? ああ、だったらあの時魔女に、舌ではなくて、足の小指とか、耳たぶの先っぽなんかを差し出しておくべきだったわ)

 ただ、足の指でも耳たぶの先でも、体の外側でよく見えますから、そこが欠けててしまっていたら、王子様はきっとそれを見るたびに痛々しいと思って、人魚姫を愛するどころではなくなっていたでしょう。だからこそエルフリーデも舌を選んだのだったと思い出し、その後悔はすぐに消えました。

(そうよ。だいたい、ああやって足を生やさなければ、こうして毎日王子様の側で暮らせなかったわ。これまでの事は全て間違っていないわ。もっといい方法なんてない、常にいい方法を選んできたのよ。だから、信じて頑張り続けるしかないわ。王子様に気が付いてもらうために)

 人魚姫は涙を拭いて起き上がりました。これ以上、どうやって王子に愛を伝えるのかわかりませんでしたが、へこたれていてはいけません。魔女の力を借りているのですから、できないはずがありません。努力するしかないのです。

 こうして人魚姫は逞しくやる気を出したのでしたが、王子の周りでは、それを邪魔するように、ある出来事が起こり始めていました。

 王子の両親、つまり国王と王妃は、王子もそろそろ結婚するべきと考えていました。近頃は、王子が死んでしまった教会の娘の事を忘れられないでいるので、その気持ちはなおさら強くなっていました。

「いつまでもくよくよしているのは、あの子にとって良くありませんわ。どうにか新しく好きな娘を見つけて、死んだ娘を忘れて、前向きに生きてくれないと」

「王妃の言う通りじゃ。国としても、王子がいつまでも独り身では対面が保てん。それに早く孫の顔も見たいからな。誰か、王子が気に入るような娘はいないか」

「貴族の若い娘たちを探してみるといたしましょう」

 王妃は早速信頼している貴婦人たちをお城へ呼び寄せて、良い娘を知っていたら推薦してほしいと頼みました。貴婦人たちは次々とたくさんの娘の名前を出し合いました。互いに知っている娘もいれば、知らない娘もいました。その中から、家柄とか、教養とか、器量とかを吟味して、数人の候補をたてました。

 候補のなかから一人ずつ、王宮へ招いて王子に会わせることになりました。ただし、面と向かってお見合いだというと、王子はきっと、あの教会の娘以外を愛することはできない、などと言い出すでしょうから、お城へ来た時に偶然会ったように見せかけることにしました。

 さて、最初の娘がやってくる日、王子はいつものように人魚姫に本を読んでやろうと書庫に行きました。ところが、人魚姫を呼びに言った召使は、彼女は仕事があるので来られないと報告しました。

「そうかい。じゃあ、仕事が終わったら来るように言っておいてくれ」

 じつは、人魚姫に言いつけられた仕事などありませんでした。召使は今日は大切なお客が来るから、人魚姫を王子から離しなさいと、王妃に命じられていたのです。

 最初は言う通りにしていた人魚姫ですが、部屋で過ごすうちになんだか嫌な予感がしてきました。そしてとうとう部屋を抜け出して、王子を探しました。そして、いつもの書庫で見つけました。

 きっとまた自分に本を読んで聞かせようとしてくれたに違いない。人魚姫は王子の側へ行こうとしましたが、彼の隣に人がいるのを見て足を止めました。

 隣にいたのは綺麗な娘でした。楚々として、しかし知的な感じがして、とても品よく見えます。彼女は本棚の間で王子と向かい合って立ち、なにか会話しています。

 人魚姫は強く嫉妬しました。彼女は王妃の計画の事などまったく知りませんでしたが、あの娘が自分の愛の成就の邪魔になると直感したのです。

 人魚姫はこっそりと二人のいる本棚の後ろへ回りました。幸い、王子とその娘は少し離れて立っていました。人魚姫は娘の横に立っている本棚を、後ろか力いっぱい押しました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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