第十章 先のことはわからない 第7話

文字数 3,029文字

 イルゼの魔法で遠くへ飛ばされたヘルガは、どこかの森の中にいました。

「ここはどこかしらねぇ。どうしましょう。帰り道がわからないわ」

 ヘルガはあたりを見回しましたが、森なんてどこでも同じような景色ですので、たとえ知っている場所の近くであっても、それに気が付くことはできないでしょうし、どちらの方角がシンデレラの屋敷のある町で、どちらの方角がイルゼの隠れ家かも、見当がつきません。

「道に迷ったって? 魔女なんだからなんとかできるだろう」

 ラルフの言う通り、普通の人が困ってしまう時も魔法を使って簡単に切り抜けるのが魔女です。ヘルガはどうすればいいか考えました。

「まずはあたりの様子が知りたいわ。意外とそう遠くないところへ飛ばされただけかもしれないもの」

 高いところから見渡せば、何か道しるべになるものが見えるかもしれません。しかしヘルガは箒をイルゼの隠れ家においてきたままでした。

「箒を呼び出してみればいいんじゃないの」

「やってみるわ」

 ヘルガは呪文を唱えて、片手をスッと上げて待ちました。しかしいくら待っても、箒は主の手に戻ってきてくれません。

「……わたしたち、本当に遠くへ飛ばされたみたいね」

「ヘルガの魔法がへったぴだから来ないんじゃない?」

 ヘルガは咳払いすると、別の方法を考えました。側に生えていたヘルガの背丈ほどの木の根もとに魔法陣を描き、呪文を唱えて杖を振りました。するとゆっくりですが苗木が空へ向かって伸び始めました。

 ヘルガは急いで幹にしがみついて、枝の上におしりを乗せてそのまま上へと昇っていきます。少し時間はかかりましたが、苗木は森の木の中で頭一つ抜けた高さに伸びました。ヘルガは落ちないようにしっかり幹にしがみつきながらあたりを見回します。もっともあまり遠すぎるとボンヤリとしか見えないのですが。

「あれ、あっちに見えるのは、マヌエラのお菓子の家じゃないか」

 一つ上の細い枝にのっかっていたラルフが言いました。ヘルガは首をぐるっと捻ってラルフが指し示す方を見ました。ボンヤリとですが、ちょっと変わった色をした家が見えます。

「あら、まったく見知らぬところってわけじゃなかったのね。よかったわ」

「でもなんか変だぞ。黒い煙が上がってる」

 ヘルガが目を凝らしてみると、黒っぽいもやがかかっています。

「家事じゃないかしら。大変! マヌエラさんも、家にいる子ども二人も危ないわ」

 ヘルガは杖で木にもとの大きさに戻るよう合図します。木は伸びる時よりも早くもとの低さに戻りました。ヘルガはお菓子の家の方へと走り出しました。もっとも若い人の早歩きくらいのものでしたが。

「家事なんて、マヌエラがいれば大丈夫だから、心配する必要ないんじゃないか」

「でも、もしマヌエラさんが留守にしていたらどうするの。子ども二人じゃ、どうしようもないわよ」

 小さい子どもが死んでしまうのは何よりも悲しいことだと、孫を失ったことのあるヘルガにはわかりました。だからなるべく急いでお菓子の家を目指します。

 ですが、おばあさんのヘルガにとって走ることはとても大変なことです。いくらもしないうちに息が切れてしまいました。一度休憩しようかとも思いましたが、その間にもっと家事がひどくなってしまったらとんでもないことですから、よたよたしてもう歩いているのと変わらないくらいになっても、止まらずに足を動かし続けました。

「ねぇ、何か移動する道具を作った方がいいんじゃないか。それとも俺が先に行って見てくるかい?」

 ヘルガに合わせて地面を走っていたラルフが業を煮やして振り返って言いました。すると、返事をする代わりにヘルガがばったりと倒れているではありませんか。仰天して駆け寄って声をかけます。

「ちょっと転んだだけよ」

 ヘルガは起き上がると足が何かにぶつかりました。見ると、箒が転がっていました。

「おや、ずいぶん遅いおつきだね。まぁ呼んでこないよりはましか」

 ラルフはそういいながら、早速箒にまたがったヘルガの足を伝って、いつもの定位置である柄の先に立ちました。ヘルガは高く飛び上がり、煙を上げるお菓子の家まで一直線に飛びました。

 家が近づいてくると、砂糖の焦げたにおいが漂ってきました。ヘルガがたどり着いたときには、炎は屋根や煙突にまで燃え広がっていました。

「どうしよう。早く消さなくちゃ。たくさん水が必要だけど……」

 試しにヘルガは水を出してみました。しかし杖の先から出てきたのは、ヤカンの口から流れ出る程度で、すぐに終わってしまいました。

「そうだわ。雨を降らせればいいのよ」

 ヘルガは箒の柄を地面に突きたてて燃えている家をぐるりと魔法陣で囲みました。そして師匠に習った知識を思い出しながら、呪文を描きこんでいきました。

 少しして、お菓子の家の上に雨雲が集まってきました。そしてぽつりぽつり雨が降り出し、いつしか本ぶりになりました。ヘルガはすっかり火が消えてしまうまで魔力を送り続けました。

 そして、あれだけ勢いのあった炎はついに消えました。ヘルガが力を弱めると雲はだんだんと薄くなっていきます。

 あのおいしそうな食べ物でできたお菓子の家は見る影もなく、炭の山となって、辛うじて残っている残骸も焼きすぎの黒焦げになっていました。

 その間に、煤にまみれたマヌエラがいました。ヘルガは急いで助け起こします。

「……なんだ、ばあさんか。あんたに助けられるなんて、ざまぁないね」

 マヌエラは手足に火傷を負っていましたが、幸い家の周りの薬草畑に植えたいくつかの薬草は無事でしたので、それを摘み取って直に肌に乗せて、魔法で溶かして薬とし、何とか手当てを始めました。それをしながら、こうなった原因を語りました。

 その日、マヌエラは檻の外側から手を伸ばして、ヘンデルの腕を触ってみました。

「なんだい。まだやせっぽちだね。これじゃあとても駄目だ」

 閉じ込めて食事をたっぷり与えているのに、ヘンデルはちっとも太りません。色つやが良くならないと良い貰い手がいないというのに。

 いっそ太らせる薬を作ろうかと、マヌエラはグレーテルを呼び、薬草を取ってくるよう言いつけました。

 グレーテルはいくつかの薬草を畑から、またいくつかを森の中から取ってきました。マヌエラはかまどに火を起こして待っていました。そして一緒に薬草を煮出したり砕いたりして混ぜて、柔らかい塊を作りました。

「ほら、これを食べれば体中に余計な肉が付くんだよ。もちろん、一回にたくさん食べるとブクブクで醜くなってしまうから、少しずつ食べるんだ。そうすりゃ、あんたの兄さんも、ちょうどよくふっくらしてくるよ」

 グレーテルも檻の中のヘンデルも、やはりマヌエラはヘンデルを太らせて食べようとしているのだと思いました。

「さ、こうして手のひらに乗るくらいの大きさに丸めて、かまどの中に置いて焼くんだよ。ただの炎でやったんじゃあだめだ。火にこの油を振りかけな。それで魔女の炎になるんだ」

 マヌエラはグレーテルに油を渡してかまどの火にかけるよう促しました。グレーテルは言う通りに四つん這いになってかまどの中に入ろうとしましたが、途中でやめました。

「初めてだから勝手がわからないわ。お手本を見せてよ」

「手本って、こうしてただかけりゃあいいのさ」

 マヌエラは面倒そうにグレーテルから油をひったくり、かまどに上半身を入れました。

 グレーテルはすかさずマヌエラをドンと突き飛ばしました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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