第十章 先のことはわからない 第1話

文字数 2,997文字

 幸い、継母も義姉も話に夢中で、シンデレラの失敗に気が付きませんでした。シンデレラはサッとドレスをひろい、えもんかけにかけながら、三人のお喋りに耳を傾けていました。

「なんだい、そのガラスの靴っていうのは」

「この前三日間つづけて開かれた舞踏会で、とても目を引くご令嬢がいたでしょう。あの人が最後の晩に会場を去る時、階段に残していったものなんですって。透き通って輝いていて、まるでガラスでできているみたいだから、そう呼んでいるのだそうよ。きっと凄腕の職人が、あのご令嬢の足に合わせて作った特別な品に違いないわ」

「ということで、そのガラス靴がぴったり合う人こそが、あのご令嬢だということ。王子様はあのご令嬢を探して結婚するつもりなのよ」

「そんなまどろっこしいことをしないでも、王子様だったら召使や兵隊を使って、国中いくらでも探せるじゃないの」

「それがそうもいかないのだそうよ。なんせあのご令嬢は、名前も住所も、何一つ明かさなかったそうだから。いくら人手があっても、手がかりが無いんじゃあ、探せないでしょう」

「ふぅん。でもあんたたちが大騒ぎするようなことじゃないでしょう。舞踏会では王子様から視線一つだってもらえやしなかったっていうのに」

 継母はあわよくばあの舞踏会で娘のうちどちらか王子様の目にとまればと期待していたのでしたが、完全に当てが外れていたのでした。それは義姉たちも同じです。

「お母様ったら、肝心な時に頭が回らないわね。あのご令嬢の手がかりは、ガラスの靴だけなんだから、国中を回って、年頃の娘に履かせてみて、ぴったり合う人を探すつもりなんですって。つまり、靴が足に合いさえすれば、王子様のお妃になれるってわけ。視線一つもらえなかったわたしたちでも、靴さえ合えばいいの」

「ははぁ、なるほどね。あのご令嬢は背格好はあんたたちとそう変わらなかったから、足の大きさだって、同じくらいなはずだわ。これはもしかして、玉の輿にのれるかもね」

 三人は色めき立ちました。シンデレラは仕事を終えたので、そっと部屋から出て行きました。

(ガラスの靴ですって。あの夜わたしが穿いていた靴。脱げてしまっていたなんて気がつかなかったわ。それに魔法で出してもらった物よ。ドレスは消えてしまったというのに、どうして靴だけ残っているの?)

 シンデレラはいてもたってもいられず、すぐに墓地へ向かいました。

 いつもヘルガはハシバミの木の下で待っているか、シンデレラがやってきたらすぐに姿を現すかしていましたが、今日に限って少し待っても出てきませんでした。そわそわしていると、ようやく向こうの方からやってきました。

「ちょっと立て込んでいて、ごめんなさいね」

 ヨハンナとの会話をいったん終わらせて、慌てて出てきたのでした。シンデレラはあの日自分が穿いていたガラスの靴が王子の手元にあり、王子はそれを手掛かりにシンデレラを探そうとしていることを話しました。

「靴が脱げちゃってたのか。帰る時は慌ててから気がつかなかったぜ。まぁ、シンデレラも歩きにくいのに気がつかなかったんだから、おあいこだよな。

 それにしても、あの夜のドレスも靴もとっくに消えてるはずなのに、かたっぽの靴だけ残ってるなんて、どうなってるんだ?」

 ヘルガもラルフと同じ疑問を持っていました。靴が脱げたのは、きっとヘルガの魔力が持たなかったためでしょうが、魔力を込めていない今、片方の靴だけが残っているなんて奇妙です。

「靴のことも不思議だけれど、それより王子様が私を探しているというのが問題だわ。もし探し当てられてしまったらどうしましょう。せっかくお別れを言ったのに」

 シンデレラが心配しているのはそれでした。彼女は確かに王子に恋していました。だから王子が自分を探し求めていると聞いて、心の中ではとても嬉しいのです。けれど、自分などが王子と結ばれることなどないと固く思っているので、王子の気持ちを受け入れることはできません。

「お別れを言ったのに探し出そうとするなんて、王子様はずいぶん熱心なのね。とにかく、今からでもその靴をどうにかしなくちゃ。消すなりどこかへやるなり、とってくるなり。そうしないと王子様がシンデレラの所へ求婚にきてしまう。一大事だわ」

「本当に一大事」

 聞きなれない声にシンデレラは少しだけ肩をすくめ、声のする方を見ました。山高帽を目深にかぶり、マントを肩から被った若い女が一人立っていました。

「ヨハンナさん、ちょっと用事ができたから、お話は後にしてくれない」

 ヘルガはヨハンナを小屋へ戻そうとしましたが、ヨハンナは無視してこちらへやってきます。

「シンデレラさんが王子様に見つかったら、マルティン王子はまた一から生涯の伴侶を見つけなければいけなくなる。これはわたしにとっても一大事。そうならないように、わたしがシンデレラさんを連れて行くわ」

 言うなりヨハンナはマントの下から赤いリボンを取り出して、シンデレラに向かって投げました。リボンはたちまち伸びてシンデレラをぐるぐる巻きにしてしまいます。リボンの端をヨハンナが引っ張り、シンデレラを自分の側へ連れてきました。そして片手をかざして小屋の玄関に立てかけてあった箒を呼び、それに飛び乗ります。シンデレラは空中に吊り下げられる格好になりました。

「魔女さん、助けて!」

 もちろんヘルガは助けを求める声にこたえようとしました。指先が震えるのも厭わず、杖を取り出してシンデレラに念力を送ります。強力な魔法道具であるリボンは解けませんでしたが、シンデレラをこちらがへ引っ張ることはできました。

 ヨハンナはヘルガがシンデレラを引っ張っていると気が付いて、箒にもっと魔力を込め、無理やり飛び去ろうとしました。ヘルガは何とかくらいついて、連れ去らせまいとします。

 二人は地面と空中で綱引きのようなことを続けました。

 ラルフはシンデレラの下へ行って、飛び上がって何とかその足に捕まると、彼女を縛っているリボンに歯を立てました。魔法道具ですから、普通のリボンと違ってずいぶん頑丈で、ちょっとやそっとでは切れそうにありません。ですがヘルガが頑張っているのですから、使い魔たる自分も頑張るのだと、がりがりかじります。

 そんなラルフめがけて、黒い影が降ってきました。大きい猫はヨハンナの使い魔エメリヒです。エメリヒは器用に前足をリボンに引っ掛けて、もう片方の前足で、ラルフを払い落としました。ラルフは地面に落ちてころりと転がって立ち上がりました。相手が猫だとわかると体が勝手に逃げ出そうとしますが、辛うじてそこへとどまりました。

 エメリヒは体を震わせると、みるみる大きな豹の姿になりました。猫というだけで怖いのに豹だなんて。ラルフは我慢できず、一目散に逃げ出しました。

 エメリヒはヘルガの前に立ち、杖を握ったその手を食いちぎらんとしました。ヘルガは手をひっこめます。念力は途絶えてしまい、ヨハンナはものすごい速さで、シンデレラをぶら下げたまま空へと昇っていきました。

 エメリヒはヘルガに向かって恐ろしい唸り声をあげ、墓場のなかで追いかけまわしました。太い尾っぽや足があたって、墓石は砕けたり倒れたりして、めちゃくちゃになってしまいました。こんな猛獣相手に、ヘルガはなすすべがありません。壊れた墓石の影に逃げ込み、頭を抱えて震えました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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