第九章 再び舞踏会へ 第9話

文字数 2,935文字

 暗く深い森の奥に山肌を削ったような洞穴があります。入り口は狭いですが、奥へ進むと広々としています。そして、こんな所に不釣り合いな、小奇麗な家具や、煉瓦でつくられた立派なかまどがありました。

 ここはイルゼの隠れ家です。お城から逃げ出した彼女は、竈に火をかけて、ぐつぐつとどす黒い薬を煮込んでいました。

 隣の机の上には、緑色やオレンジ色の薬がおいてあり、その隣には魔法陣を書いた紙が置かれ、そこに重ねるように青紫の薬草と、そしてリンゴが丸ごと一個乗せられていました。

 鍋の中からはもうもうと湯気が出ています。イルゼの顔にも湯気がかかりますが、熱さを感じていないかのようです。薬がいよいよ嫌な色になってくると、鍋を火からおろして、杖を一振りして、氷を出して一気に冷やします。鍋が冷え切ると、まず緑色の薬を取って、リンゴに振りかけました。それからオレンジの薬も振りかけます。薬はどちらもリンゴの皮に触れると、ジワリと染み込んでいきました。そしてリンゴと青紫の薬草を一緒にして、鍋の中につけこみました。

 こうやって三日置いておけば、毒リンゴが完成します。このリンゴを食べれば、どんなに体が大きくて強い男でも、たちまち息がとまって死んでしまいます。

「といっても、この薬は期限があるわ。完全に息の根が止まるわけではなく、しばらく経ったら目覚めるの」

 イルゼは薬の調合を変えて、猛毒を仮死状態にするだけの薬にしたのです。

「これで姫様が倒れたら、誰もが死んでしまったと思うでしょう。姫様が亡くなったら結婚なんてできないのですから、エルフリーデは王妃様を陥れることに失敗したと思うでしょう。王様たちも当然結婚をあきらめる。王妃様は課題をこなしたことになります。けれど姫様は本当に亡くなったのではありませんから、この隠れ家で暮らし続けることになります」

「その通りよ。でもねユッテ、このリンゴに染み込んだ仮死の薬はいくつもの強い毒の危うい均衡によって成り立っているの。本当に仮死で終わらせられるか、実のところ自信がないの」

 それを聞いてユッテは言葉を失いました。薬の均衡が少しでも崩れていたら、白雪姫は本当に死んでしまうのです。

「もし姫が死んでしまったら、マルティンとのことはどうなるの? 白雪姫と結婚させることが協力の対価だった。それを反故にするなんて」

 隠れ家に現れたヨハンナはイルゼに詰め寄りました。

「薬草も質の高いものを選んだし、調合も慎重に慎重を重ねたわ。八割がたは、いいえ九割がたは成功したと言える。でも本当に完璧であるとは言い切れないのよ」

「それなら、そんなやり方をやめて。わたしもいろいろ探してはいるけれど、マルティンに相応しい姫といったら、白雪姫以外には見当たらない。姫に万が一のことがあれば、わたしはどうなるの? 骨折り損のくたびれもうけ」

「そんなことを言って、保険をかけているくせに」

 イルゼは珍しく顔をしかめて言いました。

「わたしは課題をこなすため、国民のため、そして姫のために、母としての禁忌を犯すのよ。それほどの覚悟をもっているの。必ず成功するわ。たとえ薬が失敗していたとしても、なんとしても思い通りの結果を得てみせる」

 以前と比べてイルゼは冷酷になっていました。だとしても、ヨハンナはイルゼを信じることができませんでした。

(どうしよう。先にマルティンを白雪姫の所へ連れてきてしまおうか。でも、マルティンが本当に運命によって導かれた相手だと思ってくれなければ、添い遂げることはない。まして、今はわたしに疑いを抱き、いばらの城を目指している最中。もちろん、行かせるつもりはないけれど、それでいばら姫ではない相手と会わせたところで、運命の相手だと思うかしら。

 やっぱり白雪姫以外の娘を当たるしかなさそう。ほかの国の姫や貴族の娘を比べてみたけれど、やはりシンデレラが一番優れた女性だった。家柄も今一つで、気立ては良くても特別な能力があるわけではないのに不思議だけれど。とにかく、そういう娘なら、マルティンも運命の相手だと思えるはず。ヘルガは結婚に反対していたけれど、もう一度強く説得すれば折れてくれるでしょう。いっそ落第するかもしれないと脅せばいい)

 イルゼは優秀な魔女見習いでしたから、敵に回したくはありません。ヨハンナは洞窟にとどまりましたが、頭の中でそんなことを考えていました。

 一方、人魚姫のために魔法のペンを作っているペドラの所へ、エルフリーデがやってきました。

「まぁ、まどろっこしい。それなら代わりに手紙を書いてやったほうが早いではありませんの」

「代筆しようにも、人魚姫は口がきけませんから、思いのたけを一言一言代わりに書いてやるなんて無理ですよ」

「よくある愛の言葉を連ねておけばいいんですわ。まさにそういう恋をしているのですもの、この娘は」

 エルフリーデは人魚姫の頭にポンと手をやりました。それから、歯の浮くような愛の言葉を読み上げながらさらさらと手紙を書いてしまいました。人魚姫は自分の王子への気持ちはこんな言葉程度では表せないと思いましたが、そこそこの出来栄えではあったので、喜んで手紙を受け取り、早速王子にわたしに行きました。

「恋文なんてものは、一番簡単で誰もが使う魔法ですよ。自分の心から出てきた言葉でなくちゃ意味がないのでは?」

 ペドラは親切心から言いました。ですがエルフリーデは聞く耳を持ちません。

「恋文が魔法とは、よく言ったものですわ。ならば尚更、わたくしのようにきちんと魔法を使える魔女見習いが書いたほうが、本人が書くよりも効果があるというものではなくて」

 うまくいかないかもしれないなど、すこしも思っていないようです。ペドラは仮にも館の魔女であるのに、その忠告を無視するのは、名門一族に生まれたゆえでしょうか。

 ペドラは心の中では呆れていましたが、これ以上口うるさく言うと面倒になると思い、例の虫眼鏡のことを持ち出しました。

「まぁ、結局最後はわたくしが手紙を書きましたので、あなたのお手伝いはお手伝いになっていなかったんですけれど……。まぁ、手を尽くしてくださったのはわかりますから、約束通りお貸ししますわ」

 エルフリーデが差し出したルーペをペドラはひったくるようにして受け取り、すぐに自分の魔法の地図を広げました。

「さて、わたくしも、そろそろ白雪姫のお相手を連れてこなくてはね。シュネーヴィッテン国第三王子フロリアンを」

 エルフリーデはちゃんとフロリアンの居場所を突き止めていたのでした。すぐに箒にまたがって、迎えに行きました。

 ペドラは虫眼鏡を片目に当てて、地図を隅から隅まで眺めました。せっかくの魔法の地図なのに、ヨハンナの目くらましの魔法で、マルティンがどこにいるのか、わからなくなっていたのです。ですが、虫眼鏡を通してみると、マルティンの居所を示す赤い点が見えました。


「この町にいる。ヨハンナはここに隠していたわけだね。まさか何の備えもしてないとは思えないけど、次の町へ移動するときまで待っていられない。もし隙があるなら、力づくでも奪い取って、茨の城へ連れて行く」

 ペドラもすぐに箒に乗ってマルティンがいる町へと飛び立ちました。
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登場人物紹介

ヘルガ

腰は曲がり、顔は皺だらけ、魔力が低く箒で飛ぶのも一苦労なおばあさんの魔女見習い。正式な魔女となるために参加した魔女試験で、シンデレラを幸せにするこという課題を課される。使い魔はネズミのラルフ。

マヌエラ

魔女試験に参加する魔女見習い。けばけばした化粧をした派手な女。ヘンデルとグレーテルを幸せにするのが課題。師匠同士が知り合いだったため、ヘルガのことは試験が始まる前から知っている。使い魔は黒猫のヴェラ。

エルフリーデ

魔女試験に参加する魔女見習い。長身で美しい若い娘。名門一族の出身である自負が強く、傲慢で他の見習いたちを見下している。人魚姫を幸せにするのが課題。使い魔は黒猫のカトリン。

イルゼ

魔女試験に参加する魔女見習い。聡明で勉強家であり、既に魔女の世界でその名が知れているほどの力があるが、同時にある国の王妃でもある。白雪姫の継母であり、関係性に悩んでいる。課題は自国民を幸せにすること。使い魔は黒猫のユッテ。

ヨハンナ

魔女試験に参加する若い魔女見習い。没落した名門一族の出身で、この試験で優秀な成績を修め館の魔女になって一族の復興させたいと願っている。ペドラとは因縁がある。課題はマルティンという王子を幸せにすること。使い魔は猫のエメリヒ。

ペドラ

今回の試験監督の補佐を務める館の魔女。じつは100年前の試験である国の王女に賭けた祝福の魔法の成就が、この試験中に決まるという事情を抱えている。胡麻塩頭で色黒の、陰気な魔女。使い魔は黒猫のディルク。

ケルスティン

今回の試験監督を務める館の魔女。軍服を纏い男装している妙齢の女性。魔女見習いたちの奮闘を面白がって眺めているが、気まぐれに手だししたり助言したりする。黒猫以外にも、ヘビやカラスなど複数の使い魔を操る。

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