新しい生活(2)

文字数 2,439文字

アパートの近くにあるコンビニに入り、コーヒーとメロンパンを買った。

そのままイートインスペースで遅すぎる昼食を済ませ、ようやく人心地がつく。



──さて、さっそくバイト探しだ。



スマホを取り出し、求人サイトに条件を入力しはじめる。



──家の近くで見つかるといいな……。



職種にはこだわらずに探すつもりだった。

それなのに、キーワードの欄にうっかり『音楽』と入れてしまった。



──未練がましいかな。でも、ためしにこのまま検索してみよう……。



すると、画面にはずらりと店名が並んだ。



──意外にいっぱいある……。



だけどよく見ると、そのどれもがカラオケ店やCDショップの店員の募集だった。

音楽そのものとかかわるような仕事じゃない。



──あたり前だよね……。



ため息をついて、音楽、の文字を消した。

とたんに、ヒット数が何倍にも跳ねあがる。

『音楽』という単語さえなければ、数えきれないほどの仕事があることを、
数字にはっきり示されてしまった。



──そっか……。この中からしぼっていけばいいんだ。



思いついた条件を入力し、そのたびに検索ボタンを押す。

それは指先をほんの少し動かすだけのことなのに……

ひとつ、またひとつと、自分にあったかもしれない未来をつぶす作業のような気がした。




   ※   ※   ※




コンビニを出ると、もう夕暮れ時になっていた。



──ずいぶん長い時間いたんだ……。



ぼんやりしたまましばらく歩くと、通りは古い民家や商店だけになる。

コーヒーを何杯も買ってイートインスペースでねばったけれど、結局、バイトの種類さえしぼれなかった。



──なんの収穫もなかったな。



バイトを決めることは、いよいよ音楽とは関係のない生活を送るということだった。

どうやらわたしはそれが怖かったらしい。

ぐずぐずとスマホをさわるだけの時間を過ごしてしまった。



──もう、歌うことさえできないのにね……。



すべてを吹っ切ろうと、わざわざ縁もゆかりもない土地にまで来たくせに、まだ音楽を引きずっているのが情けない。



──部屋に帰ったら決めよう。必ず。



自分に言い聞かせ、歩き続ける。

うろ覚えのアパートまでの道順に、少しだけ不安になる。

ついうつむくと、ヒビの入った黒いアスファルトが目に映った。

道はいたみが激しく、表面がところどころめくれあがっている。

そんな寂れた町の眺めに、なんとなく寒々しさを感じた。



──わたし、これからどうなるのかなあ……。



小さくため息をついたとき……勢いよく引き戸の開けられる音が通りに響く。

なんの気なしに音がしたほうを見ると、古い民家の玄関から、

大きなダンボール箱が引き戸の横幅すれすれに出てくるところだった。



──ぶ、ぶつかる!?



案の定、箱の角が引手(ひきて)にあたって、戸にはめこまれたガラスがガタンと大きく揺れる。



「わっ、ごめんね!」



誰が誰にあやまっているのか、家の中からそんな声が聞こえてきた。



「なっ、斜めにしないと!」



思わず叫んでかけて行き、ダンボール箱を支える。



──うわ、とっても重い。



なのに運び手はひとりだけ。

ダンボール箱の向こう側にいるその人だけだ。

しかもかなり背が低いのか、箱の影になって姿すら見えない。



──こんな重たいものをひとりで運ぼうとしてたってこと?


「あのっ、手伝いますから! 下がって向きを変えましょう……!」




   ※   ※   ※




そして、なんとか通りに出ることができた。



「ホントに助かりました。どうもありがとう」



ピョコンとダンボール箱の影から顔をのぞかせたのは、小柄なおばあさんだった。

きれいな白髪をキュッとおだんごにしたおばあさんは、愛想のいい笑顔でわたしを見あげている。



──こんな小さなおばあさんがひとりで……?


ちょっとびっくりしているうちに、おばあさんは箱をよいしょと持ち直す。



「家から出すところだけが問題だったの。あとはもう、ノープロブレムよ」

「あ、は、はい……」


──家から出すところだけって……本当に大丈夫なのかな。



おそるおそる手を離すと、おばあさんは意気揚々と歩きだす。

確かにひとりで運べてはいるけれど、おばあさんの姿は箱を持っているというより、箱に乗られているように見えてしまう。



「あの……どこまで持って行くんですか? よかったら手伝います」



気がつけば、口が自然に動いていた。



「すぐそこまでなんだけど……じゃあ、お願いしようかしら」

「はい。わかりました」



さっきと同じようにおばあさんとダンボール箱を持ち、そろそろと後ろ向きに歩きだした。




   ※   ※   ※




「ここの通りにある古道具屋なんだけど……」


路地に入るとすぐに、おばあさんが言った。


──古道具屋?

「じゃあ、この箱の中身はお店の……?」

「そう、ぜんぶ商品なの」



振りかえると、3軒向こうの家の前に『久保古道具店』と書かれた木の板がイーゼルに置かれていた。

木造の古びた佇まい。

表には売り物らしい大きな水瓶(みずがめ)がある。

ほかにも同じような木造の家が並び、理髪店、和菓子屋……といくつか看板が見えたけれど営業はしていないようだった。



──まだこういうところが残ってるんだ……。



レトロな町並みをきょろきょろ眺めながら、ゆっくり道を進んだ。


やがて、わたしたちは店の前に着いた。


「さっきのが自宅で、ここがわたしの店」


おばあさんは箱を支えたまま、片手で器用に引き戸を開けた。

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