洋館の朝(5)

文字数 1,893文字

──……かなり気まずい。



ずっと無言でペットボトルの水を飲んでいる海翔くん。

そんな彼の前で、まだ残っていたフレンチトーストを食べ続けている。



──味がわからなくなってきた……。



と、そのとき、目の前にゴロゴロとペットボトルが転がってきた。



「はっ!?」



テーブルのふちから落ちそうになったペットボトルを、あわててキャッチする。



「飲んだら?」



こちらも見ずに、頬杖をついている海翔くんが言う。



「え……あ、うん……」



戸惑いながら、ペットボトルのキャップを開ける。



──いちおう気づかってくれてるんだよね。

──態度は引くくらいぶっきらぼうだけど……。


「ありがとう。……いただきます」



お礼を言い、ペットボトルに口をつける。

どこの店にも置いてある定番のりんごジュースの薄い味に、なんだか気持ちがホッとする。




──さっきだってそう。

──わたしのこと心配して、ここを出ないほうがいいって言ってくれたみたいなもんだよね。

──言いかたはともかく……。

──こう見えても、根は優しい子なんだろうな。


「ところでさ。あんたって、歳いくつ?」




タンッと空になったペットボトルをテーブルに置き、海翔くんが訊いてくる。



「わたし? 26だよ」



答えると、海翔くんがちょっとびっくりする。



「そんな上だと思わなかった。タメ口、ムカついてた?」

「ははっ、少し……ね。でもそれより、あんた、はやめてほしいかも。名前で呼んでもらったほうがいいな」

「ふうん。じゃあ、これから比呂って呼ぶわ」

「は? 比……」



──比呂さん、とかじゃないんだ。ま、別にいいか……。



そのとき、食堂のドアが開き、流風くんが顔を出す。



「海翔、カモミールティーの缶、どこにあるか知らない?」

「さあ?」

「だよね……。仕方ないや。先生には違うお茶で我慢してもらおうっと」



はああ、と流風くんはため息をつき、行ってしまった。



「先生って……家庭教師の?」

「そう。ワガママなんだよ、あの先生。カモミールティー出さないと、機嫌悪いんだってさ。数学者って変わった人多いから」

「数学者の家庭教師……? そうだ、流風くんって今日、学校は?」

「あいつは行かないんだ。そもそも美雨とは学校も違うし」

「どういうこと?」

「流風はじいさんの知り合いの孫なんだ。
事情があって、その知り合いが親代わりになってたんだけど。

流風が不登校になったから、しばらく環境を変えたいって言われたらしくてさ。そんで、去年からウチで預かってるってわけ」

「流風くんが……そうだったの……」


──ちょっと大人びた子に思えたのは、いろいろあったからなのかな……。


「あんなにいい子なのに……」



ついつぶやくと、海翔くんは首を横に振り、



「いや、流風にしたら不登校も大した問題じゃねえし」



と、気楽な調子で言う。



「小学校で勉強することなんかないから、行く気が起きないだけみたいで授業が簡単すぎて、退屈なんだってさ」

「あ……それで数学者の家庭教師……。つまり……流風くんは天才少年ってこと?」

「天才かどうかは知らねえけど。あいつには何人も家庭教師がついて、外国語だの量子力学だの教えてるよ」

「へ、へえ……」


──それを天才って言うような気がする。


「まあそんなわけで、じいさんの孫は俺と美雨だけなんだ。でも、俺は流風も兄弟みたいなもんだと思ってる」

「そっか……みんな、仲がいいもんね」



海翔くんと流風くん。それに美雨ちゃん。

3人が口喧嘩しながらも、結局じゃれてる普段の様子は、

知らない人が見たらみんな兄弟だと思うだろう。



「……なんやかんや言っても、俺も美雨もあいつのことが気に入ってるんだよな」



ぶっきらぼうにだけど、どことなく嬉しそうな顔で海翔くんは言う。



──気に入ってる……か。好きって言えばいいのに。



海翔くんらしい言い方に、ちょっと笑いそうになる。




「……で、買い物、どうすんの? 荷物持ちしてやるよ」


「ううん、ひとりで大丈夫」


「俺も行くって。あとからじいさんになに言われるかわかんねえし」


「ありがとう。でも……寄りたいところもあるから」


「どこ?」


「……バイト先」




わたしはそう言うと、少し残っていたりんごジュースを飲み干した。

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