腕時計(2)

文字数 2,662文字


夕方、マサミチさんとサンルームでお茶を飲みながらおしゃべりしていると……



「ただいまーっ!」



玄関ホールからバタバタと足音が聞こえ、学校帰りの美雨ちゃんが飛びこんできた。



「美雨ちゃん、おかえりなさい」

「おかえり、美雨。なにをそんなにあわてて──」

「おじいちゃん! おこづかいちょーだい!」



美雨ちゃんは言うなり、後ろからマサミチさんに抱きついた。



「いきなりどうしたんだい?」

「今日、神社のお祭りでしょ? クラスの子たちといっしょに行くの!」


──へえ、お祭りがあるんだ……。


「美雨ちゃん。せっかくだから、思いっきりおねだりしちゃえば?」

「うん、そうする!」



わたしの冗談に、美雨ちゃんが大真面目にうなずく。



「ははっ、いくら欲しいんだい?」

「いくらかって言われたらね……もちろんたくさん欲しいけど、多すぎたらダメでしょ?」

「そりゃそうだよ」

「だよね……」



ちらちらとマサミチさんの反応をうかがう美雨ちゃん。

そして、そんな美雨ちゃんがかわいくて仕方がないという顔のマサミチさん。



──マサミチさん、美雨ちゃんにならいくらでもあげちゃいそう……。



ふたりの様子を微笑ましく眺めながら紅茶を飲んでいると……



「じゃあ、一千万円ちょうだい!」



いきなり美雨ちゃんが叫んだ。



「いっ、一千万!?」



思わず紅茶を吹き出しそうになる。



「一千万か。はいはい、了解」

「りょ……っ!? マサミチさん!?」



あわてふためくわたしをよそに、マサミチさん

スラックスのポケットから平然と長財布を取り出した。



──一千万もの大金、ど、どうやって? あっ、も、もしかして……

──カード払い!?  

──お金持ちの子どものおこづかいって、まさかのブラックカード決済!? 



絶句しているわたしの前で、マサミチさんは財布を開き、

美雨ちゃんに千円札を手渡した。



「ありがとう、おじいちゃん。ホントに千円くれるなんて、今日は気前がいいね!」

「お祭りだからね。特別だよ」



──千円……。ふたりとも冗談言ってただけだったのか。びっくりした……。

──ケタ違いのお金持ちの冗談って、冗談に聞こえない……。


「みんなが喜ぶから、流風も連れてくね!」

「ああ、それがいい」

「流風、部屋にいるかな? 誘ってくる!」



美雨ちゃんはダッシュでサンルームを出て行った。

未だにわたしが脱力していると、マサミチさんが笑顔で肩をすくめる。



「五百円は五百万円。千円は一千万円。あのやり取りが、美雨の中で今ブームなんですよ」

「そうだったんですね。一瞬、本気にしそうになりました」

「ははっ、比呂さん、それは素直すぎますよ」

「ええ、ホントに……」



マサミチさんと顔を見合わせ、笑ってしまう。



「流風も行くなら、こづかいをやらないといけないな」

「流風くん、美雨ちゃんのクラスの子と友だちなんですね。

ずっと家で難しい講義を受けてばかりなのかと思ってたので、ホッとしました」

「学校には行ってないけど、流風は誰とでもすぐ仲良くなれるんですよ。大人だろうと子どもだろうとね」

「あ……確かに」



はじめて出会ったとき、流風くんはなんの警戒心も持たずにわたしに近づき、あっという間に親しくなってしまった。

それは流風くんの無邪気さがそうさせるのかと思っていたけれど、

今はそれだけじゃない気がしている。

無邪気さというより、流風くんに人を包みこむような深さがあるからなのかもしれない。



──ホントに流風くんってすごい……。


「頭もよくて、誰とでもすぐ親しくなれて……流風くん、どんな大人になるのか楽しみですね」

「……そうだね」



そう言うマサミチさんの笑みは、どことなく寂しげに見える。



──マサミチさん……?



でもそれはほんの一瞬の出来事で、マサミチさんは、もう美味しそうに紅茶を飲んでいる。



──今のなんだったのかな。気のせいだったかもしれないけど……。


「ところで、比呂さんはお祭りを見に行かないの?」

「えっ? あ、わたしはお夕飯の支度もありますし……」

「僕のことは気にしないで。比呂さんが来るまで、お手伝いさんがいない日は自分で適当にやってたんだから。

海翔とふたりで行ってきたらいいですよ」

「かっ、海翔くんとっ!?」



びっくりして心臓が跳ねあがり、気がつけば叫んでいた。



「……僕、そんなに驚かせるようなこと言ったかな?」



マサミチさんがキョトンとわたしを見る。



「あ、いっ、いえ……」


──やだな。なにあせってるんだろ……。


「比呂さん、今朝も客間で海翔の作曲を手伝ってくれてましたよね。

いつも海翔に協力してくれてありがとう」

「お礼なんて……わたし、ほとんどなにもしてませんし……」

「比呂さんがそばにいてくれるだけで、海翔はきっといい曲が作れる。

それに……海翔だけじゃなく、この家のみんなをいつも気づかってくれて本当にありがとう。

比呂さんは偶然、うちにやって来たけれど……あなたは古葉村家にとって、大切な人ですよ」

「え……あ……ありがとうございます……」


──マサミチさんが、そんなふうに思ってくれてるなんて……。



嬉しさと照れくささで、うつむいてしまう。



「流風の考えることは、やっぱりいつも正しいな」



しみじみとマサミチさんがつぶやいた。



「正しい……?」


──そういえば、流風くんがわたしをここに住まわせようってマサミチさんに言ってくれたんだっけ……。

──その提案を、マサミチさんがあっさり受け入れて……。

──流風くんが天才少年だから、マサミチさんは流風くんを信頼してる……?


──違う……ような気がする。

──きっと流風くんには、わたしの知らないなにかがあって、マサミチさんはそれを知っていて……



そのとき、玄関のドアが開く音が聞こえてくる。



「あ、海翔がバイトから帰ってきたようだね」

「え……」



ドキッとして入り口のほうを見ると、海翔くんがあらわれる。

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