別れ(6)

文字数 1,454文字

ほんの少し前まで、春の季節の中にいた。

それが今は、梅雨入り間近のしっとりとした空気を吸いこんでいる。

向かい風にだんだんと草いきれが混じりだし、そのまま自転車を走らせると、やがて風は潮のにおいに変わる。



──わたし、元の時間に帰ってきた……!



迷子になったみたいに心細くて、自分の居場所がわからなくて……。

ただなんとなく毎日を過ごしていた時間に……。

だけど、今のわたしは前のわたしとは違う。



──もう迷子じゃない。そうだよね、流風くん……!



気がつけば、声を出して笑っている。

どういうわけか、息をすることさえ新鮮に思える。

すべてが……

目に映るものも、聞こえる音も、風の香りもなにもかもが新しく思える。

わたしは笑いながら、海のほうへ続く下り坂をペダルから足を離したままで降りていく。

自転車がぐんぐん加速して、風が勢いを増す。



──早く……もっと早く!



わたしは精一杯のスピードで古葉村邸に向かった。



   ※   ※   ※



古葉村邸に着いたわたしは、自転車を停めて洋館のチャイムを鳴らす。


──美雨ちゃん、いるかな……。ん? あっ、いないか! 

──こんな時間、学校だよ。しまったな……。


がっくりと門に手をついたとき、玄関のドアが開く。



「あ……」

──美雨ちゃん……。



制服姿の美雨ちゃんがゆっくりとやって来て、門を開けてくれた。



「あの……学校じゃあ……?」

「学校は午前中まででした。先日もお話ししましたが、定期テスト中なので」


表情も変えない美雨ちゃんから、そっけない答えが返ってくる。


「そ……そうでした……」


美雨ちゃんの淡々とした態度に、考えもなしに突然やって来てしまったことを後悔した。



──わたしをおぼえてないのかな……っていうか、待って。

──あれは単なる夢で……わ、わたし、なにかとんでもない勘違いしてるんじゃあ……。



さっきまでの興奮が、冷や水を浴びせられたように一瞬にして冷める。



──そ、そうだよ、普通に考えたら、あんなこと……。


「う……わ……。やっちゃった……」



思わずうめいて額に手をあてる。



「あの……大丈夫ですか?」



心配そうに、美少女がわたしに声をかけてくる。



「は、はい……ごめんなさい。ホント、勉強の邪魔までして……」


わたしは深々と頭を下げた。

だけど顔を上げれば、やっぱり目の前にいるのは、紛れもなくあの美雨ちゃんで……。



──あれは……夢じゃない。わたし、はっきりおぼえてる。

──美雨ちゃんも、マサミチさんも。

──流風くんも……。

──そして、海翔くんも……。


「あの……わたしのこと、わからない? 美雨ちゃん……」



恐る恐る問いかけた。



「は……?」



美少女は一瞬、顔をしかめた。

そして──



「わからないって……どういう意味? 

わかってなかったのは、比呂ちゃんのほうじゃん」


怒った声で、ぼそりと言う。


「えっ!? じゃ、じゃあ……」

「今頃になって帰ってくるなんて。遅いよ……比呂ちゃん」

「ご、ごめん……わっ!?」



突然、美雨ちゃんがわたしにしがみついてくる。



「比呂ちゃん、会いたかった……」

「美雨ちゃん……」



美雨ちゃんはわたしの服をつかんだまま、声をあげて泣き続けた──。


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