雨の日の幻
文字数 2,146文字
洋館の美少女からオルゴールをもらって数日後──。
「梅雨入りが近いのかもしれないわね」
ルミ子さんが窓の外を眺めながらつぶやいた。
「そうですね……」
今日は朝から雨が降っていて、店にはほとんどお客さんが来ていない。
骨董品のデータを入力していると、ポンと肩を叩かれる。
「比呂ちゃん、お茶にしましょう」
「え、またですか」
こんな人の出入りがほとんどない日は、いつにもましてルミ子さんはわたしとお茶休憩をしたがる。
「変わった茶葉をもらったのよ。淹れてくるわね」
ルミ子さんはいそいそと店の奥へ入っていった。
──まあ確かに、急がなきゃならない仕事もないか……。
伸びをしてパソコンから離れ、立ちあがる。
そして、気分転換に店の中のものをのんびりと眺めてまわる。
ルミ子さんはいつも年代もジャンルもこだわりなく買いつけてくる。
だから、フランス・アンティークのテーブルと椅子の横に、
ぽつんと昭和レトロのスタンド灰皿が置いてあったりする。
でももしかしたら、そんな品揃えが逆にルミ子さんのこだわりなのかもしれない。
──そういえば、古葉村邸の骨董品……どこの店が買い取ることになったのかな……。
──オルゴールをもらってから、一度も洋館に行ってない……。
その瞬間──
ふっと意識が遠のき、目の前にありありと古葉村邸があらわれる。
お天気雨が降る中……
まるで、本当に洋館の前に立っているように──
「比呂ちゃん。どうかした?」
ルミ子さんの声にハッと我に返る。
「あ、いえ……?」
「今日はよくぼんやりしてるわよね。なにか考えごと?」
「え、わたしが……ですか? 気づきませんでした。すみません、仕事中に……」
頭を下げると、暇だもの全然かまわないわとルミ子さんは言い、トレイに乗せてきたカップをテーブルに並べた。
「疲れてるんじゃない? 明日、休んでいいわよ」
「いえ、大丈夫です。それに、締め日前に休めません」
「まじめねえ……。この店の締め日なんて、あってないようなもんだって、そろそろ気づいてるでしょ?」
「えっ、ま、まあ……」
「気にしなくていいから。ゆっくり休んでね」
「はい……」
──疲れるほど仕事してるわけでもないんだけどな。
──でもルミ子さんにそう思われるくらい、ぼんやりしてたんだ……。
言われてみれば、今日は何度もぼうっと洋館のことを考えていたような気がする。
体調もなんとなくいつもと違う。
そして、さっき見えた古葉村邸のリアルさにも少し戸惑っている。
──あの曲のこと、考えすぎてるせいだよね……。
しっかりしなきゃ、とわたしは小さく頭を振った。
※ ※ ※
──なんだか、すごく疲れてる……。
仕事を終えて部屋に帰ってくるなり、床の上にゴロンと大の字で寝ころんでしまう。
斜めがけしたショルダーバッグの紐が身体にからまったけれど、直す気にもならない。
帰り道で急に大雨が降りだしたものだから、
傘をさしていたのに肩先がぐっしょりぬれている。
店を出てから、さらに具合が悪くなっていた。
──カゼ、ひきかけてるのかも……。
気だるさに包まれ、全身が重い。
──ホントに、今日は変な日だった……。
ゆらゆらと夢と現実を行き来しているような……
目の前のものすべてが幻と思えるような……
そんなあやふやな感覚に、一日中取り憑かれていた気がする。
──眠い……。
目を開けていられないほどの眠気。
それでも手は、テーブルに置いてあるオルゴールへ自然と伸びる。
と、そのとき……
──あっ……!
オルゴールをつかみ損ね、うっかり床に落としてしまう。
蓋が開き、メロディが流れだす。
──よかった……壊れなくて……。
寝そべったまま、小箱からこぼれてくるメロディに耳をかたむける。
ひとつの曲をここまで聞きこむなんて、おかしいのかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいいことだった。
金属の小さなピンがはじき出す音に、ただひたすら耳をすます。
聴けば聴くほど、身体が細胞から震えだすような感じがする。
その瞬間──
メロディのテンポが急に遅くなる。
──ネジ、巻かないと……。
身体を起こしたいのに、まるで力が入らない。
雷の音が近づく。
──目眩がする……。
息苦しいほどの湿度のせいなのか、意識があちこちにぶれはじめる。
ゆらゆらと、ゆらゆらと──。
そしてそのうち、なにもわからなくなってくる。
──本当にどうしたんだろう……。
──ここはどこなんだろう……。
今のわたしは アパートの部屋にいるのか
それとも まったく違う
想像も つかないような
高い場所に いるのか
果てしなく 深い地の底に いるのか
そんなことも
わからない──