涙(2)

文字数 2,110文字

どのくらいソファで海翔くんと抱き合っていたんだろう。



──……あ、あれ……? 

──なんか……なにも変わってないような……?



とっくに泣きやんでいるわたしは、恐る恐る海翔くんから離れようとした。

そのとたん、海翔くんがぐらりと後ろに倒れそうになる。



「わっ! あっ! 危ないっ!」



あわてて海翔くんを引きよせると、身体の重みがずしりとのしかかる。



──ね、寝てる……。



頰が触れ合うほどの距離で、すやすやという寝息が響く。

背中越しに見えるいつもの海翔くんの部屋……。

伝わる海翔くんの体温……。

海翔くんの確かな感触……。

身体で感じるすべてが、さっきまでとなにも変わりないことをわたしに教えている。



──曲が完成したのに……消えてない……。

──わたし……わたしは消えないんだ……!


「海翔くん!」



ギュッと腕に力を入れて海翔くんを抱きしめる。



「ん……」



海翔くんはわたしにもたれかかったままで起きる気配もない。

肩にある無邪気な寝顔に、また涙がこぼれそうになる。



──これからも海翔くんのそばにいられる……。

「海翔くん、あの……重たいんだけど……」



そうは言ったものの、本当は少しも海翔くんから離れるつもりはなく……。



──ずっと一緒だよ……。



わたしは海翔くんと抱き合ったまま、彼の温もりを感じていた──。




   ※   ※   ※




その日の夕食の時間、曲の完成をお祝いすることになり……

いつもよりメニューを少し豪華にして、海翔くんのためにサンドイッチも食卓に並べた。



「お兄ちゃん、おめでとうございまーす!

じゃあ、みんなで、かんぱーい!」



美雨ちゃんが元気にジュースのグラスを掲げ、マサミチさんとわたしもそれにならう。



「おめでとう、海翔」

「海翔くん、お疲れさま!」



口々に言い、みんなでグラスを合わせる。



「まだ応募もしてねえんだけどさ……なんだかもう、オーディションに合格したような勢いだな」

「お兄ちゃん、自信ないの?」

「まさか」

「じゃ、やっぱり今日はお祝いだねっ!」

「おい、そんなに喜ぶなって……」



ハイテンションの美雨ちゃんに、押され気味の海翔くんだったけれど……



「でもまあ……ありがとう」



はにかみながら、つぶやくように言った。



「お祝いだから、海翔くんがいちばん多く食べていいよ」



サンドイッチが山のようにのった大皿を、海翔くんの前にすすめる。



「えっ、マジ? みんなも食うの? もともと俺がぜんぶ食べるつもりだった」

「ぜ、ぜんぶ? いくらなんでも、こんなに食べきれないんじゃあ……」

「大丈夫。これくらい楽勝だし」



平然と言い放つ海翔くんに、美雨ちゃんが呆れ顔になる。



「はあ? お兄ちゃん、なに言ってんの?」

「フツー、そう思うだろ」

「なに? そのお兄ちゃんのフツーって。全然フツーじゃないじゃん」



美雨ちゃんに言われているそばから、海翔くんは大皿をじりじりと自分の近くに引きよせる。



「まったく、お前はいつまでも子どもだな……」



マサミチさんの言葉に、わたしと美雨ちゃんは一緒に声を出して笑っていた。

なごやかな雰囲気で、お祝いの会はすすんでいたけれど……


──この場に流風くんがいたら、どんなによかっただろう……。


ふと、そう考えてしまう。



「流風……今頃どうしてるのかな」



同じことを思ったらしく、美雨ちゃんがつぶやいた。

流風くんがいなくなり、美雨ちゃんは何日も落ちこんでいた。

でも今はもう美雨ちゃんなりに納得して、気持ちも落ち着いているようだった。



「あいつ、スイスでなにやってんだろ」



海翔くんは、いつも流風くんが座っていた席に目を向けた。

食堂の席はとくに決まっていなかったけれど、大抵、わたしの隣には流風くんがいた。

そして、その席は流風くんがいなくなってからは、いつもぽっかりと空いていて誰も座ろうとはしない。

口には出さないけれど、いつ流風くんが帰ってきてもいいように……

みんな、そんな気持ちで空けているんだと思う。



「流風のことだ。誰とでもすぐに仲良くなって、元気に過ごしてるに違いないよ」



そう言い、マサミチさんがサンドイッチをひとつパクッと食べた。



「あっ、じいさん! いつの間にっ!」

「ちょっとお兄ちゃん、サンドイッチのお皿、抱えこまないでよっ!」

「これは早いもん勝ちだ!」


──またはじまった……。

──こんな子どもっぽいところだけ見てると、海翔くんがあのハーヴになるなんて信じられないな。



サンドイッチをめいっぱい頬ばる海翔くんを、クスクス笑いながら見つめる。



──曲ができて、いよいよこれからだ。がんばってね、海翔くん。



わたしはもう、海翔くんがハーヴとして活躍する日々に思いをはせていた。


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