歌(4)
文字数 2,321文字
そして、夕方。
晩ごはんの下準備を終え、いったん部屋にもどってきた。
──仕事となると、料理も掃除もいい加減にはできないから、やっぱり大変だな……。
ホッと息を吐きながら、ソファに腰を下ろす。
疲れてはいたけれど、いつになく気分は充実している。
──やることがあるって嬉しい。それに……今日は歌が歌えた……。
──今までムリだったのが、ウソみたいだ……。
また歌えるようになったのは、わたしにとって歌の意味が変わったからかもしれない。
こんな状況のせいで、歌うことは成功とも失敗とも関係がなくなり、ただ単にわたしの好きなことになった。
そんな気楽さが、歌声の戻った理由なんだろうか。
──でも……もしかしたら、海翔くんのおかげなのかも。
海翔くんの歌が、わたしの中でかたくなに凝りかたまっていたなにかを壊したんだとしたら……彼は将来なんかじゃなく、今、すぐにでも世に出るべきだ。
そう思わせるくらいの力があるのに、海翔くんはこんな地方の街で暮らしている。
──チャンスは東京のほうが多いことくらい、海翔くんだってわかってるはずなのに。
──バンド活動に、こだわっているのかな。
──もしかすると、今はまだ曲作りに専念したいとか……?
いくら考えても理由がわからない。
──それにしても……わたしと一緒に歌える曲を作りたいって本気なのかな。
そのとき、部屋のドアが勢いよくノックされる音が響く。
「あ、はいっ」
ドアを開けると、そこにいたのは美雨ちゃんだった。
走ってきたのか、息をはずませている。
「美雨ちゃん、あわててどうし──」
「比呂ちゃん、部屋に入ってもいい!?」
「う、うん。いいけど……?」
「ねえ、比呂ちゃんがお兄ちゃんにすすめたんでしょ?」
興奮したように言いながら、美雨ちゃんがギュッと手をにぎってくる。
「すすめた? なにを?」
「お兄ちゃん、自分の部屋で久しぶりに作曲してるの!」
「え……っ」
──海翔くん、ホントに曲を作りはじめてるんだ……。本気でわたしと組むつもりで……?
美雨ちゃんは唖然としているわたしの手を引き、ソファのところまで連れて行った。
「わたしが後ろからくすぐっても、髪の毛ひっぱっても、お兄ちゃんパソコンに向かったまま、全然気づかないんだよ!」
「そ、そっか……」
止まらない勢いで話す美雨ちゃんの横に座り、話に耳をかたむけている。
「バンドがうまくいってなくて、ずっと悩んでたんだ。比呂ちゃん、どうやってお兄ちゃんにやる気出させたの?」
「なにも……ただ、海翔くんと歌っただけで……」
「じゃあ、比呂ちゃんの歌でスランプ脱出できたんだ! すごい!」
美雨ちゃんは飛び跳ねんばかりに大喜びしている。
「海翔くんが作曲をはじめたのが、どうしてそんなに嬉しいの?」
すると、美雨ちゃんは一瞬息を飲んだ。
「美雨ちゃん?」
「……心配だったの。お兄ちゃん、大学にも行かないで音楽に打ちこんできたんだよ。
それなのに最近、全然曲も作らないから……もうプロになるのあきらめちゃったのかなって……」
「それは大丈夫だよ。海翔くんは、歌で生きていくってはっきり決めてる。
いろいろ大変なこともあると思うけど、海翔くんは絶対にあきらめないよ」
「ホントに……?」
「うん」
うなずくわたしに、美雨ちゃんはホッとした笑顔を見せる。
「よかった……。お兄ちゃん、本当は東京に行きたかったのに、わたしのために家を出なかったから」
「え……? 美雨ちゃんのため……?」
「うん……」
美雨ちゃんは少しうつむき加減で話しはじめる。
「2年生のとき……お兄ちゃんとおじいちゃんがリビングで話してるの聞いちゃったんだ。
東京に行ったほうがいいっておじいちゃんがすすめても、お兄ちゃん、行きたいけど今は行けないって言うの。
わたしがまだ小さいから……お父さんもお母さんもいないのに、寂しい思いをさせたくないって」
「海翔くんが……」
──そうか……それで海翔くんはこの街に……。
「聞いたときは意味がよくわからなくて……。お兄ちゃんが遠くに行かなくてよかったとしか思わなかったんだ。
でもそれって、自分の夢をわたしのためにあとまわしにしたってことだったんだよね……だけど……」
ずっとうつむいていた美雨ちゃんが顔をあげ、わたしを見た。
「わたし、もうお兄ちゃんがいなくても大丈夫。来年は5年生だもんね。
それにお兄ちゃんが東京に行っても、おじいちゃんと流風もいるし……だから、大丈夫」
美雨ちゃんは自分に言い聞かせるように言った。
「美雨ちゃん……」
笑顔だけれど、ちょっとムリをしているのかもしれない。
それでも美雨ちゃんが海翔くんの夢を応援したいと思う気持ちが、胸に強く伝わってくる。
「比呂ちゃん……」
「ん? なに?」
「これからも、お兄ちゃんが夢を叶えるのに力をかしてあげてね」
「えっ……」
「お願い!」
「……う、うん……もちろん」
「ありがとう!」
美雨ちゃんはわたしのぎこちなさには気づかず、嬉しそうにはしゃいでいる。
海翔くんの力になれるのなら、なんでもしたいと思う。
だけど、海翔くんとグループになることだけはできない。
絶対にムリだ。
だってわたしは、本当はこの時間にいるはずのない人間なのだから──。
晩ごはんの下準備を終え、いったん部屋にもどってきた。
──仕事となると、料理も掃除もいい加減にはできないから、やっぱり大変だな……。
ホッと息を吐きながら、ソファに腰を下ろす。
疲れてはいたけれど、いつになく気分は充実している。
──やることがあるって嬉しい。それに……今日は歌が歌えた……。
──今までムリだったのが、ウソみたいだ……。
また歌えるようになったのは、わたしにとって歌の意味が変わったからかもしれない。
こんな状況のせいで、歌うことは成功とも失敗とも関係がなくなり、ただ単にわたしの好きなことになった。
そんな気楽さが、歌声の戻った理由なんだろうか。
──でも……もしかしたら、海翔くんのおかげなのかも。
海翔くんの歌が、わたしの中でかたくなに凝りかたまっていたなにかを壊したんだとしたら……彼は将来なんかじゃなく、今、すぐにでも世に出るべきだ。
そう思わせるくらいの力があるのに、海翔くんはこんな地方の街で暮らしている。
──チャンスは東京のほうが多いことくらい、海翔くんだってわかってるはずなのに。
──バンド活動に、こだわっているのかな。
──もしかすると、今はまだ曲作りに専念したいとか……?
いくら考えても理由がわからない。
──それにしても……わたしと一緒に歌える曲を作りたいって本気なのかな。
そのとき、部屋のドアが勢いよくノックされる音が響く。
「あ、はいっ」
ドアを開けると、そこにいたのは美雨ちゃんだった。
走ってきたのか、息をはずませている。
「美雨ちゃん、あわててどうし──」
「比呂ちゃん、部屋に入ってもいい!?」
「う、うん。いいけど……?」
「ねえ、比呂ちゃんがお兄ちゃんにすすめたんでしょ?」
興奮したように言いながら、美雨ちゃんがギュッと手をにぎってくる。
「すすめた? なにを?」
「お兄ちゃん、自分の部屋で久しぶりに作曲してるの!」
「え……っ」
──海翔くん、ホントに曲を作りはじめてるんだ……。本気でわたしと組むつもりで……?
美雨ちゃんは唖然としているわたしの手を引き、ソファのところまで連れて行った。
「わたしが後ろからくすぐっても、髪の毛ひっぱっても、お兄ちゃんパソコンに向かったまま、全然気づかないんだよ!」
「そ、そっか……」
止まらない勢いで話す美雨ちゃんの横に座り、話に耳をかたむけている。
「バンドがうまくいってなくて、ずっと悩んでたんだ。比呂ちゃん、どうやってお兄ちゃんにやる気出させたの?」
「なにも……ただ、海翔くんと歌っただけで……」
「じゃあ、比呂ちゃんの歌でスランプ脱出できたんだ! すごい!」
美雨ちゃんは飛び跳ねんばかりに大喜びしている。
「海翔くんが作曲をはじめたのが、どうしてそんなに嬉しいの?」
すると、美雨ちゃんは一瞬息を飲んだ。
「美雨ちゃん?」
「……心配だったの。お兄ちゃん、大学にも行かないで音楽に打ちこんできたんだよ。
それなのに最近、全然曲も作らないから……もうプロになるのあきらめちゃったのかなって……」
「それは大丈夫だよ。海翔くんは、歌で生きていくってはっきり決めてる。
いろいろ大変なこともあると思うけど、海翔くんは絶対にあきらめないよ」
「ホントに……?」
「うん」
うなずくわたしに、美雨ちゃんはホッとした笑顔を見せる。
「よかった……。お兄ちゃん、本当は東京に行きたかったのに、わたしのために家を出なかったから」
「え……? 美雨ちゃんのため……?」
「うん……」
美雨ちゃんは少しうつむき加減で話しはじめる。
「2年生のとき……お兄ちゃんとおじいちゃんがリビングで話してるの聞いちゃったんだ。
東京に行ったほうがいいっておじいちゃんがすすめても、お兄ちゃん、行きたいけど今は行けないって言うの。
わたしがまだ小さいから……お父さんもお母さんもいないのに、寂しい思いをさせたくないって」
「海翔くんが……」
──そうか……それで海翔くんはこの街に……。
「聞いたときは意味がよくわからなくて……。お兄ちゃんが遠くに行かなくてよかったとしか思わなかったんだ。
でもそれって、自分の夢をわたしのためにあとまわしにしたってことだったんだよね……だけど……」
ずっとうつむいていた美雨ちゃんが顔をあげ、わたしを見た。
「わたし、もうお兄ちゃんがいなくても大丈夫。来年は5年生だもんね。
それにお兄ちゃんが東京に行っても、おじいちゃんと流風もいるし……だから、大丈夫」
美雨ちゃんは自分に言い聞かせるように言った。
「美雨ちゃん……」
笑顔だけれど、ちょっとムリをしているのかもしれない。
それでも美雨ちゃんが海翔くんの夢を応援したいと思う気持ちが、胸に強く伝わってくる。
「比呂ちゃん……」
「ん? なに?」
「これからも、お兄ちゃんが夢を叶えるのに力をかしてあげてね」
「えっ……」
「お願い!」
「……う、うん……もちろん」
「ありがとう!」
美雨ちゃんはわたしのぎこちなさには気づかず、嬉しそうにはしゃいでいる。
海翔くんの力になれるのなら、なんでもしたいと思う。
だけど、海翔くんとグループになることだけはできない。
絶対にムリだ。
だってわたしは、本当はこの時間にいるはずのない人間なのだから──。