蝉しぐれ(1)
文字数 1,142文字
スマホが消えてしまった翌朝。
家の中のことをひととおり済ませ、
食材の買い出しに近所のスーパーへ出かけることにした。
いつもはせかせかと通りすぎてしまうポプラ並木を、今日はゆっくり歩いてみる。
木かげの道を風が吹きぬけ、暑さはほとんど感じない。
澄みきった空や日差しにも、なんとなく秋の色がまざりはじめた気がする。
夏が終わったと言うには、まだ早すぎるけれど……
スコールみたいなお天気雨の中、洋館の前ではじめて海翔くんに会ったのが
ずいぶん昔に思えてしまう。
──ほんの短い間に、いろんなことがあった……。
最初の頃、愛想はないし、すぐ不機嫌になる海翔くんとは、話すのさえなんだかひやひやして……。
だけど、海翔くんと暮らすうちに、自然と彼に惹かれていった。
そして今はもう、わたしにとってなによりも大切な存在になっている。
かけがえのない大切な人に……。
──わたし、消えちゃうのかな。
──これ以上、海翔くんのそばにはいられないのかな……。
気がつけば、ポプラの木の幹にもたれるようにして立っていた。
絶え間ない木々のざわめきが、心を揺さぶり続ける。
「イヤだ……。海翔くんと離れたくないよ……」
言葉がこぼれるのと一緒に、涙があふれる。
こんな道ばたで泣きたくないと思った。
だけど、本当の居場所がないわたしは、
こんなところでしか気の済むまで泣くことができないのもわかっていた──。
※ ※ ※
夕方──。
わたしは夕食の下準備を終え、海翔くんの部屋へ向かっていた。
曲がオルゴールのメロディに近づくにつれ、わたしのものが消えてしまう。
そのことを海翔くんに話す決心をした。
──思い切って打ちあけて……そして……オーディションは今のままの曲で出てもらおう。
──そうすればきっと、これ以上なにも消えない。
──わたしも……きっと……。
納得のいかない曲でオーディションに出てほしいなんて、本当は言いたくない。
──でも、こうするしかないんだ。あの曲を未完成にしておくしか……。
──だけどもし、そのことで海翔くんの運命を大きく変えてしまったら……。
決めたはずの心が、また頼りなく迷いだす。
──もうさんざん悩んだのに……。
そう思いながら、階段をのぼろうとしたとき──
「あ……っ」
ひとりテラスのほうへ歩く海翔くんの姿が見えた。
──庭へ行くつもりなのかな……。
海翔くんを追い、わたしもテラスへ向かった。