知らせ(3)
文字数 2,736文字
わたしは前に海翔くんと曲を作った公園までやって来た。
──海翔くんは……あ、いた。
浜辺に目をやると、砂浜に座って海を眺める海翔くんの後ろ姿が見えた。
辺りには海翔くんのほかに、犬を散歩させている親子がいるだけだった。
「海翔くーん!」
大きな声で呼びかけて、海翔くんのほうへと歩いていく。
振り向いた海翔くんは一瞬びっくりしたようだったけれど、わたしに向かって手招きした。
「どこに行ったのかと思ったよ」
海翔くんの隣に、わたしも腰を下ろす。
「悪い。すぐ帰るつもりだったんだけど……。なんかここから動きたくなくなってさ」
「ふうん……」
日差しは春そのもので、風がいつもよりあたたかい。
海のほうを見れば、深く澄んだ青い波と一緒に、まぶしい光がきらきら揺れている。
──もう春なんだな……。
「こんなに気持ちよかったら、ホント、動きたくなくなるよね」
「……それもあるけどさ」
海翔くんの口から、小さくため息がもれる。
「いよいよ明日がライブ審査かと思うと、なんとなくな……」
そう言って、砂まみれになるのもかまわずゴロンと後ろに倒れた。
「あ、やっぱりまた弱気になってる」
「またって言うな。自分でもわかってんだから」
上目づかいでジロリとにらまれる。
だけど、わたしはその瞳をまっすぐに見つめかえす。
「大丈夫だよ。海翔くんの弱さは、これから音楽の道で生きていく力になる。
人の心を優しく惹きつける力に。だから……大丈夫」
しばらく海翔くんは黙っていたけれど……
「……比呂に言われると、なんとなくその気になってくるから不思議だ」
ちょっとふてくされたようにつぶやく。
「わたしが年上だからじゃない?」
「なに? その子どもあつかい」
「いや別に……そういうわけじゃないけど……」
「……」
「海翔くん?」
頭の後ろで両手を組んで、海翔くんは黙りこくってしまう。
──拗ねた? でもむくれた表情もかわいいんだよね。
──……とか言ったら、よけいに機嫌悪くなるんだろうな。
顔をそむけてこっそり笑っていると、ふいに海翔くんが口を開く。
「比呂って、ここに来るのはじめて?」
「え? あ、そういえば……。浜辺まで来たのははじめて。もう何か月も古葉村邸に住んでるのにね」
すると寝そべったままの海翔くんに、なぜかじっと見つめられる。
「……なに?」
「……俺が音楽にばっかかまけてたからだよな」
「え?」
「ずっと放ったらかしでごめん。海にも連れて来てやんなくて……」
「え……ええっ!?」
大真面目に言われた言葉に驚き、息を飲む。
「な、なに!? どうしたの!? 急に彼氏っぽいよ!?」
「彼氏だし」
「そ、そうだよね、そうだけど……」
──うわ……なんか、汗かきそう。
海翔くんの顔を見続けられなくて、思わず膝を抱えこむ。
「比呂。あのさ……」
「は、はい……?」
海翔くんは、まだわたしを見つめている。
「海翔くんっての、そろそろやめろよ」
「え……」
「呼び捨てでいいんじゃないの? 俺たち……付きあってんだし」
「よ……よび……?」
「なんか、いつまでも子どもだと思われてるみたいな気がするんだよな」
──つまり……海翔……って、呼べってことだよね……?
いきなりの提案に脳ミソがフリーズしそうになる。
「おい……。なんでかたまってんの?」
「だって……海翔くんは、やっぱり海翔くんだし……その……急に言われても……」
「俺から言わなかったら、ずっとこのままで通すつもりだっただろ?」
「ど、どうだろ。わ、わかんないけど……」
わたしがおたおたしながら答えたとき、
海翔くんがムクッと起きあがり、真正面から顔を寄せてくる。
「え……っ」
「俺、いつまで待たされんの?」
その言葉が終わった瞬間、ほんの軽く唇を重ねられた。
「……! か、海翔くん!?」
叫んだけれど、彼はもう素知らぬ顔で、また砂浜に寝そべっている。
──キス……された。
いい歳してキスのひとつやふたつで驚くことはない……
そう思いながらも、耳まで熱くなっているのが自分でもわかる。
──こんな年下の子に振りまわされて……。
──なんか腹が立つっていうか、おもしろくない……。
「い、いつまで待たされんのって言うわりに……な、なに、今の?
海翔くん、ぜんっぜん待ってないし!」
悔しまぎれにそんなことを言うと、海翔くんはわたしに背中を向ける。
「ねえ、聞いてる? こっち向いてよ」
「……」
──無言……。ま……いいか。
──わたしの顔、たぶん真っ赤だし……。
その時……
──あれ?
海翔くんの耳が赤くなっているのに気づいてしまった。
──なんだ……それでこっち向かないんだ。
わたしは微笑み、立てた両膝の上で頬づえをつくと海を眺める。
波は穏やかで、空にはふわりと薄い雲がかかっていた。
水平線と空のぼんやりとした境が春めいて見え、柔らかな気持ちになる。
──海翔……か……。
心の中でそっと呼んでみたけれど、やっぱりなんとなく気恥ずかしい。
──口に出して呼べるのは、まだ先かな……。
それでも胸の真ん中は、ぬくぬくと日だまりみたいな温もりが満ちている。
──ずっと一緒にいたいな……。
心からそう思う。
──でも……。
幸せな気持ちが大きくなればなるほど、いつもは押し隠して気づかないようにしている不安が膨らむ。
──海翔くんを信じているけれど……
──もしもいつか、わたしたちの想像もつかない力がはたらけば、どうなってしまうかはわからない。
──変わらず海翔くんのそばにいられるかどうかは、わからない……。
海翔くんのいない時間を考えただけで、悲しさがわたしの身体を微かに震わせる。
それでも……
たとえ離ればなれになったとしても……
海を見るたび、きっとわたしは今日を思い出す。
ふたりで一緒に過ごせた時間を思い出す。
だから、荒れているときも、凪いでいるときも……
海は、わたしの心をずっと支えてくれるんだ──。
──海翔くんは……あ、いた。
浜辺に目をやると、砂浜に座って海を眺める海翔くんの後ろ姿が見えた。
辺りには海翔くんのほかに、犬を散歩させている親子がいるだけだった。
「海翔くーん!」
大きな声で呼びかけて、海翔くんのほうへと歩いていく。
振り向いた海翔くんは一瞬びっくりしたようだったけれど、わたしに向かって手招きした。
「どこに行ったのかと思ったよ」
海翔くんの隣に、わたしも腰を下ろす。
「悪い。すぐ帰るつもりだったんだけど……。なんかここから動きたくなくなってさ」
「ふうん……」
日差しは春そのもので、風がいつもよりあたたかい。
海のほうを見れば、深く澄んだ青い波と一緒に、まぶしい光がきらきら揺れている。
──もう春なんだな……。
「こんなに気持ちよかったら、ホント、動きたくなくなるよね」
「……それもあるけどさ」
海翔くんの口から、小さくため息がもれる。
「いよいよ明日がライブ審査かと思うと、なんとなくな……」
そう言って、砂まみれになるのもかまわずゴロンと後ろに倒れた。
「あ、やっぱりまた弱気になってる」
「またって言うな。自分でもわかってんだから」
上目づかいでジロリとにらまれる。
だけど、わたしはその瞳をまっすぐに見つめかえす。
「大丈夫だよ。海翔くんの弱さは、これから音楽の道で生きていく力になる。
人の心を優しく惹きつける力に。だから……大丈夫」
しばらく海翔くんは黙っていたけれど……
「……比呂に言われると、なんとなくその気になってくるから不思議だ」
ちょっとふてくされたようにつぶやく。
「わたしが年上だからじゃない?」
「なに? その子どもあつかい」
「いや別に……そういうわけじゃないけど……」
「……」
「海翔くん?」
頭の後ろで両手を組んで、海翔くんは黙りこくってしまう。
──拗ねた? でもむくれた表情もかわいいんだよね。
──……とか言ったら、よけいに機嫌悪くなるんだろうな。
顔をそむけてこっそり笑っていると、ふいに海翔くんが口を開く。
「比呂って、ここに来るのはじめて?」
「え? あ、そういえば……。浜辺まで来たのははじめて。もう何か月も古葉村邸に住んでるのにね」
すると寝そべったままの海翔くんに、なぜかじっと見つめられる。
「……なに?」
「……俺が音楽にばっかかまけてたからだよな」
「え?」
「ずっと放ったらかしでごめん。海にも連れて来てやんなくて……」
「え……ええっ!?」
大真面目に言われた言葉に驚き、息を飲む。
「な、なに!? どうしたの!? 急に彼氏っぽいよ!?」
「彼氏だし」
「そ、そうだよね、そうだけど……」
──うわ……なんか、汗かきそう。
海翔くんの顔を見続けられなくて、思わず膝を抱えこむ。
「比呂。あのさ……」
「は、はい……?」
海翔くんは、まだわたしを見つめている。
「海翔くんっての、そろそろやめろよ」
「え……」
「呼び捨てでいいんじゃないの? 俺たち……付きあってんだし」
「よ……よび……?」
「なんか、いつまでも子どもだと思われてるみたいな気がするんだよな」
──つまり……海翔……って、呼べってことだよね……?
いきなりの提案に脳ミソがフリーズしそうになる。
「おい……。なんでかたまってんの?」
「だって……海翔くんは、やっぱり海翔くんだし……その……急に言われても……」
「俺から言わなかったら、ずっとこのままで通すつもりだっただろ?」
「ど、どうだろ。わ、わかんないけど……」
わたしがおたおたしながら答えたとき、
海翔くんがムクッと起きあがり、真正面から顔を寄せてくる。
「え……っ」
「俺、いつまで待たされんの?」
その言葉が終わった瞬間、ほんの軽く唇を重ねられた。
「……! か、海翔くん!?」
叫んだけれど、彼はもう素知らぬ顔で、また砂浜に寝そべっている。
──キス……された。
いい歳してキスのひとつやふたつで驚くことはない……
そう思いながらも、耳まで熱くなっているのが自分でもわかる。
──こんな年下の子に振りまわされて……。
──なんか腹が立つっていうか、おもしろくない……。
「い、いつまで待たされんのって言うわりに……な、なに、今の?
海翔くん、ぜんっぜん待ってないし!」
悔しまぎれにそんなことを言うと、海翔くんはわたしに背中を向ける。
「ねえ、聞いてる? こっち向いてよ」
「……」
──無言……。ま……いいか。
──わたしの顔、たぶん真っ赤だし……。
その時……
──あれ?
海翔くんの耳が赤くなっているのに気づいてしまった。
──なんだ……それでこっち向かないんだ。
わたしは微笑み、立てた両膝の上で頬づえをつくと海を眺める。
波は穏やかで、空にはふわりと薄い雲がかかっていた。
水平線と空のぼんやりとした境が春めいて見え、柔らかな気持ちになる。
──海翔……か……。
心の中でそっと呼んでみたけれど、やっぱりなんとなく気恥ずかしい。
──口に出して呼べるのは、まだ先かな……。
それでも胸の真ん中は、ぬくぬくと日だまりみたいな温もりが満ちている。
──ずっと一緒にいたいな……。
心からそう思う。
──でも……。
幸せな気持ちが大きくなればなるほど、いつもは押し隠して気づかないようにしている不安が膨らむ。
──海翔くんを信じているけれど……
──もしもいつか、わたしたちの想像もつかない力がはたらけば、どうなってしまうかはわからない。
──変わらず海翔くんのそばにいられるかどうかは、わからない……。
海翔くんのいない時間を考えただけで、悲しさがわたしの身体を微かに震わせる。
それでも……
たとえ離ればなれになったとしても……
海を見るたび、きっとわたしは今日を思い出す。
ふたりで一緒に過ごせた時間を思い出す。
だから、荒れているときも、凪いでいるときも……
海は、わたしの心をずっと支えてくれるんだ──。