オルゴール(4)

文字数 1,468文字




古葉村邸から店にもどった頃には、閉店時間をとっくに過ぎていた。



「比呂ちゃん、お疲れさまでした」

「お疲れさまでした」

「あ、そうだ。うっかり忘れてた」



ルミ子さんはそう言うと、店の棚から名刺の束を取ってくる。



「これ、比呂ちゃんの名刺。渡しとくわね」

「わたしの名刺……? わざわざ作ってくださったんですか?」

「当然でしょ。比呂ちゃんは店の看板娘だもの」

「えっ、そ、そんな……」



ちょっと乗せられた感はあるけれど、嬉しくなりながら受け取った名刺を眺める。

名刺は和紙でできていて、わたしの名前がちゃんと入っている。

押された店のハンコの滲みがオシャレで、なかなか素敵なものだった。

印刷されているのは不慣れな苗字とはいえ、これまで名刺をもらえる仕事なんてしたことがなかったので気分もあがる。



「ありがとうございます……! でも、どういうときに使ったらいいですか? わたし、ただのバイトなのに……」

「アルバイトでもおんなじよ。ほら、今回みたいにお客さまのお宅を訪問したときとか……。

それにしても、今日はよく働いたわ。比呂ちゃん、大きな仕事で大変だったでしょ? まだそんなに慣れてないのに、ごめんなさいね」

「いえ、楽しかったです。いろいろきれいなものがたくさん見られたし。ルミ子さんの知識の豊富さにも、なんだか感動したっていうか……。

わたしもルミ子さんぐらいの知識があればよかったのに。そうしたら、今日だってもっと違う見方ができたんだろうな……」


「そう? わたしでよければ、骨董についていくらでも教えてあげるけど?」

「わ、ありがとうございます!」

「フフッ、新しいことを知るって楽しいわよ」

「ええ、ワクワクします」

「でも……」



ルミ子さんはふっと優しい笑みを浮かべる。



「もし、ほかに本気でやりたいことができたら、ムリしないで言ってね」

「え……あ、はい……」

──本気でやりたいこと……。


ふいに言われたルミ子さんの言葉に、胸が微かに疼(うず)いていた。



   ※   ※   ※


ルミ子さんの店からアパートに帰ってきたとたん、スマホが震えた。



──あ、お母さんからだ……。


「もしもし……」



出てみると、話はいつもの近況報告だった。



「うん……なんかあったら、また電話する。……じゃあね」



お互いが元気なのを確認しただけで、あっさり通話が終わる。



──結局、住む場所が変わったって、お母さんに知らせてないな。

──歌をあきらめたことも伝えていない。

──ちゃんと言わないといけないのに……。

──でも、反対を押し切って大学をやめた結果がこれじゃあ……。



わたしの変化に、お母さんは気づいていない。

もちろん、娘が古道具屋で働きだしたことなど知るはずもない。

わたしを取り巻くいろいろなことが、ずいぶん変わってしまった。

でもスマホ越しの会話だけなら、わたしはなにも変わっていない。


電話は本当のわたしを伝えない。

だけどいつかは真実を知られ、もう帰ってきなさいと言われるんだろう。

そんな日を先のばしにしているのは、やっぱり音楽をあきらめきれていないからかもしれない。



──本当にやりたいこと……か。



店で聞いたルミ子さんの言葉が、まだ耳に残っていた。

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