歌(7)

文字数 1,254文字

「あのさ……」



眉間にシワを寄せながら、海翔くんがわたしを見る。



「比呂のおかげで、忙しくなった。落ちこんでるヒマもねえってカンジ」

「えっ、そ、そんな文句を言われても……」

「……ありがとう」



海翔くんはつぶやくように言うと、さっと部屋に引っこんだ。



──今のって……?



あっという間の出来事にポカンとしてしまう。



「海翔、メッチャ照れてたよね」

「そ……そうなの?」


──また怖い顔だったけど、照れてただけなんだ。

──それにしても、あの海翔くんからこんなふうにお礼を言われるなんて……。


「比呂ちゃん、ニヤニヤしてる」

「ウソ! し、してないよっ!」

「してるしてる」



冷やかすように流風くんが言う。



「ね、海翔となにかあったの?」

「もう……。なーんにもありません。それより流風くん、リビングに行ってトランプでもしよ?」


わたしは流風くんの背中を軽く押すようにして、廊下を歩いた──。




   ※   ※   ※




その日の夜──

わたしはバスタブに身体を沈めて、窓から見える星空をぼんやり眺めていた。



──海翔くん……今も部屋で曲作りしてるのかな。



曲がいつできあがるのかはわからない。

だけど、海翔くんは本気だ。

彼はきっと曲を完成させる。

ふたりで歌っていくために……。



──海翔くんがやる気になってくれたのは嬉しい。

──でも、わたしと海翔くんが一緒に活動するなんて……絶対にありえない……。



音楽にはたくさんの人がかかわってくる。世間の注目も浴びる。

わたしと組むこと。それは必ず海翔くんのデビューの足かせになる。

そのくらい海翔くんだってわかるはずだ。



──わかっているけれど、19歳の海翔くんには、それが大した問題とは思えないのかもしれないな……。



海翔くんは、できあがった曲を聴いてから、組むかどうかを決めてほしいと言った。

でも、中途半端な期待は持たせたくない。

一緒に歌をやっていくつもりはないと、きっぱり伝えるほうがいい。

少しでも早く。曲が完成してしまう前に……。



──よし……明日、海翔くんに言おう……!



海翔くんの不満げな顔が目に浮かんだけれど、わたしは心を決めた。

そして、バスタブから立ちあがったとき──



「わっ……?」



なにかの拍子にバレッタが外れたらしく、留めていた髪がばらけてしまう。

あわててバスタブの中を探るけれど、バレッタは見あたらない。

浴室の床にも、どこにも……。



「ウソ……なくなっちゃった」



バレッタは麻美と行った旅行先で、一目惚れして買ったものだった。



──お気に入りだったのに……。



もう時間も遅い。

今日はあきらめて、明日また探すことにした。





そのときのわたしは

バレッタがなくなった意味なんて

なにもわかってはいなかった──。
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