藍色の瞳(1)
文字数 1,850文字
海翔くんが作っているのはオルゴールの曲だと知ってから、数日がたっていた。
朝食後、わたしはキッチンでふたり分のコーヒーを淹れると、サンルームで読書をしているマサミチさんのところへ運んだ。
「お待たせしました」
「ありがとう、比呂さん」
食後にサンルームでマサミチさんとおしゃべりするのが、最近の日課だった。
「マサミチさん、今日のご予定は?」
「晴れてるから、公園で写真を撮ってこようかなと思ってるんです」
「あ、いいですね」
サンルームには涼しい風が気持ちよく入り、窓際にある鉢植えの葉はまぶしく日差しを返している。
──ホント、今日もいい天気……。
「海翔はまだ起きてきませんか」
「はい……」
──昨日も遅くまで作曲に打ちこんでたんだろうな……。
──このところ食事もみんなと一緒にとらないし……。
あの夜。サンドイッチを食べ終えるとすぐ、何ごともなかったかのような顔でキーボードに向かった海翔くんを思い出す。
考えてみれば、毎日食事を部屋に運ぶものの、あれからまともに海翔くんと話していない。
「あいつは曲作りがはじまると、ほかになにも見えなくなるんですよ」
本を閉じ、マサミチさんが優しい笑みを浮かべる。
「そうみたいですね……」
一瞬、困った顔をしてしまったのかもしれない。
マサミチさんが心配そうにわたしを見た。
「もしかして作曲のことで、海翔が比呂さんにご迷惑をかけてるんですか?」
「……いえ、違うんです」
わたしは小さく首を横に振る。
「今、海翔くんが作っている曲が……その……海翔くんにとって、大事な曲だってわかってるのに、海翔くんの力になりきれない自分がもどかしくて……」
「やはり……海翔とは一緒に歌えないのかな?」
「えっ……?」
──マサミチさん、知ってる……?
唖然とマサミチさんを見る。
「海翔が今度のオーディションにあなたと出るって、自分から話してきたんです」
「なっ……」
──海翔くん、気が早すぎる……!
「比呂さんに無理を言ってるんじゃないのかと聞いたら、断る気がなくなるような曲にするから大丈夫だと……」
「マサミチさんにまで、そんなことを……」
「ワガママなヤツで申し訳ないです」
「い、いえ……。でも……やっぱり海翔くんって、かなりの自信家ですよね。なんだか羨ましいです」
「そう見えるかもしれませんが、あいつの自信は張りぼての自信ですよ。
本当は、もろいくらいに繊細で……。
まあ、それも海翔の才能のひとつなんだろうとは思いますが……」
──もろいくらいに繊細……。
そういえば、思い当たることはいくつもあった。
わたしが組むのを断るたびに見せた、寂しそうな表情。
海翔くんはすぐに強気な態度にもどるから、あまり気にはとめてなかったけれど……本当は、わたしが思うより傷ついていたのかもしれない。
「どんなに偉そうなことを言っても、海翔は僕から見ればまだまだ子どもです。
自分の繊細さを守る術を身につけていない。本当の強さも育っていない……。
そして、これは僕の勘なんだけどね」
「はい……」
「今作っているあの曲でオーディションに出ることは、アーティストとしての未来が開かれるかどうか……
あいつがこれから本当の自信を持てるかどうかを決めてしまうんじゃないかな」
「え……」
一瞬、ドキッと胸が音を立てる。
マサミチさんの勘は正しい。
海翔くんが……ハーヴがトップアーティストになっている7年後の世界では、今作っているあの曲は確かに存在している。
オルゴールの曲はちゃんと完成している。
──だとしたら……もしあの曲がなかったら、海翔くんはトップアーティストにはなれない……?
氷を身体にあてられたような冷たさが全身を走る。
──わたしの行動で、海翔くんの未来が変わる……?
怖くなり、思わずギュッと両ひじを抱えた。
「あ……僕からこんなふうに言われたら困りますよね。すみません、気にしないで」
「は、はい……」
それからマサミチさんは、自分の趣味の話を楽しそうにしゃべるだけで……
海翔くんのことは一言も話さなかった──。