ピアノ(2)

文字数 2,169文字

「な……なに怒ってんだよ……?」



わたしの剣幕に、海翔くんが一瞬ひるむ。



「わたしは7年後の人間なんだよ? 居場所もない、家族とも会えない……本当はここにいたらいけない人間なんだから!」

「そんなこと……なんとかなるよ。

デビューして、圧倒的に売れればいいんだ。比呂の状況なんて黙ってればバレないって」



あまりに無邪気すぎる海翔くんの言葉に、大きくため息をついてしまう。



「あのね、ホント悪いんだけどはっきりさせとくね。

わたし、海翔くんがどんなにすごい曲を作っても、海翔くんと組むつもりはないの」



その瞬間──



「……なんでだよ」



海翔くんが見せたのは、今まで見たこともないような、とても寂しそうな顔だった。



──あ……ちょっときつく言いすぎた……?


「ご、ごめん、海翔くん……」



とっさにあやまったけれど、海翔くんはわたしに背を向ける。



「ごめんとか……言うなよ」



かすれて消えそうな声だった。



──うわあ……、すっかりへこんでる……!



どうやってフォローしようかとあたふたしてしまう。



「悪気はないんだよ? わ、わたし……海翔くんのためを思って……だから……」



すると、海翔くんがいきなり振りかえり、ニヤッと笑う。



「まあ、そのうち比呂の気も変わるよ」

「は……?」



さっきまでのへこんだ様子からは想像もつかない、勝ち誇ったような顔をしている。



──なっ……ぜ、全然へこんでないっ!?


「わたしのこと、からかったの!?」

「は? 別に?」



平然と言われ、すました表情がなんだか憎たらしく見えてくる。



「こっちは海翔くんのことを思って言ってるのに!

とにかく、わたしの気が変わるとか変わらないとかの問題じゃなくて、海翔くんの将来が──」

「あ、時間だ。バイト行ってくる」

「海翔くん、ちゃんと聞いて!」

「今晩、夜食あると嬉しい。帰ったら曲作んのに専念したいから」

「うん、わかった……って、ちょっと待って! 海翔くん!」

「サンドイッチがいいな。じゃ、よろしく」



素早くドアを閉め、海翔くんは行ってしまった。



──だからムリだって言ってるのに……。

──超マイペース。ワガママ。傍若無人……。



わたしはストンとピアノ椅子に座り、力なく天井をあおいだ。




   ※   ※   ※




その日の夜。

頼まれたとおり夜食を作って、海翔くんの部屋にやって来た。

大皿に山ほどのったサンドイッチは、ちょっと作りすぎかもしれない。



──サンドイッチでご機嫌をとってから……ってわけじゃないけど……。

──今度こそ、ちゃんと断らなきゃいけない。



覚悟を決めてドアをノックする。

だけど、中からはなんの反応もない。



──集中してて、聞こえてないんだろうな。


「海翔くん、入るね……」



わたしはそっとドアノブを回した。

部屋では、海翔くんが昨日と同じようにヘッドホンをつけて、キーボードに向かっている。

表情は見えないけれど、背中から気迫のようなものを感じてしまう。



──こんなに一生懸命なとこ見せられたら、ますます断りにくい……。



部屋に足を踏み入れたものの、その場から動けなくなる。



──早く断ろうと思ったけど……やっぱり、今日はやめとこう。



気づかれないように食事だけ置いて、部屋を出ることにした。



──いい曲ができますように……。

──わたしには海翔くんの望みは叶えられないけど、きっとほかの誰かが力になってくれるはず……。



テーブルにトレイを置こうとした、そのとき──



「うん、これでいくか!」



いきなり海翔くんが叫んだ。



「わっ!?」



驚いて、あやうくつまずきそうになる。



「あ、比呂。いたんだ」

「う、うん……」



ヘッドホンを外しながら振りかえる海翔くんの目が、飲み物とサンドイッチにとまる。



「お、待ってました」



海翔くんはパッと笑顔になり、わたしのそばへやって来ると、サンドイッチをひとつ口に放りこむ。



「うん、やっぱウマい」

「よ、よかった……。じゃあ、わたしはこれで」



そそくさとトレイをテーブルに置いて、立ち去ろうとしたとき……



「曲……ちょっと聞いてみて」



海翔くんが部屋の片隅に行き、そこにあったギターを手にする。



「え……まさか、もうできたの!?」

「まだ途中。歌詞は決まってないし、メロディもまだまだ変えてかなきゃなんない……。

あ、適当なとこに座って聴いて」

「は、はい……」



海翔くんに言われるがまま、ソファに腰を下ろす。



──どんな曲なんだろう……。



ちょっと緊張しながら待っていると、やがてギターの調べが流れだす。

そして、海翔くんはそれにあわせてメロディをハミングする。



──この曲は……。



聞きおぼえのある旋律に言葉を失う。

それは、わたしがこの時間に来る前。

古葉村邸で美雨ちゃんからもらったオルゴールの曲だった……。
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