ハーヴ(6)

文字数 1,258文字

ルミ子さんの店から部屋にもどる頃には、もう夜になっていた。

わたしは明かりをつけると、お気に入りのルームウェアに着替えた。



──まさか、古道具屋でバイトすることになるなんて……。



雇ってほしいと言うと、ルミ子さんは大喜び。

わたしはその場で採用された。



──どうしよう。仕事の条件も先のことも、なにも考えてなかった。

──骨董の知識ゼロ、興味もゼロ。これで古道具屋の店員なんてつとまるのかな……。



軽はずみな行動を、ちょっと後悔してしまう。

だけど、もう明日から店へ行くことになっている。

今さら悩んだところで仕方のない話だった。



──うん、決まったことだ。それに、いちおう息子さんがもどるまでって話だし……。



とにかく明日から通う場所がある。

それだけでも一歩前進できた気がした。



──仕事は、これからルミ子さんに教えてもらえばいいんだよね。

──あ……そういえば、夕ご飯も食べてないや。



軽食でも作ろうと、キッチンへ行く。



──なににしようかな。



冷蔵庫をのぞき込んだけれど、食材がほとんどない。



──ま……いっか。あるものでどうにかしよう。



昨日の残りものと少しの野菜を取り出し、でたらめな料理を作りはじめる。



──食料品、この辺でいいお店あるのかな。

──あ、そうだ。明日、ルミ子さんに聞いてみよう。



新しい生活が動きだしたことで明るい気分になったのか、いつの間にかハミングしていた。

そんな自分に気づき、ふと思う。



──今なら歌を歌えるかもしれない……。

──小さな声で、ほんの少しくらいなら……。



おそるおそる、のどに息を通してみる。


「……」


だけど声は出ずに、空気のかすれた音だけが耳に響いた。



──……もう歌えないんだ。



どうして、と、やっぱり、が心の中で入りまじる。



「歌うときだけ、こんな……。変なの」



ははっ、とひとりで笑ってしまう。



「ホント……変だよ……」


このままだと少し泣いてしまいそうな予感がして、あわててリモコンでテレビをつける。

すぐに耳慣れた洗剤のCMソングが流れだす。



──キッチンでボーッとしててもしょうがないよね。ご飯、作ろう……。



テレビの音を聞きながら手を動かしはじめた、そのときだった。


『お待たせしました! それではいよいよハーヴの新曲、初公開です!』


コマーシャルが終わり、音楽番組がはじまった。

テンションの高い女子アナの声につられ、画面に目が向く。



──ハーヴ……。



ハーヴは男性シンガーソングライター。

顔は出さず、ほとんどネットとラジオだけで活動しているのに、彼の作る曲は次々に大ヒット。

コマーシャルやドラマにもよく使われている。

だから、ハーヴの曲を一度も聞いたことのない人はいないはずだ。

ハーヴはそんな誰もが認めるトップアーティストだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み