【11-3】Metamorphose(3)
文字数 2,225文字
「当時私は、KCLの解剖学研究室で助手をしていた。
パルマー教授の元でだ。
パルマー先生は非常に私に目をかけてくれ、独身だった私を、しばしば自宅でのディナーに招待してくれた。
夫人のクレアさんも私に良くしてくれた。そして1人息子のトミーも私に懐いていた。君には信じられないかも知れないがね」
確かにそうだ――とバドコックは思った。この男に子供が懐くなど、到底信じられない。
「ところが、ある日を境に私はパルマー家に招待されなくなった。
その頃パルマー先生はお父上を亡くされていたので、最初はそのせいかと思っていた。
しかし、パルマー先生の様子が日に日に変わっていったのだ。
物静かで温和だった先生が、ちょっとしたことで癇癪を起こし、突然研究室のスタッフを怒鳴りつけるようになったのだ。
最初私は先生の変化に戸惑ったが、それまでに先生から受けた恩を考えると、やはり黙ってはいられなかった。
そして意を決し、何があったのか先生に問い質したのだ。
先生は私を見つめて、しばらく黙考されていた。
やがて先生は、私に見せたいものがあるので、週末に先生の家を訪ねるように言われた。私はそれ以上何も問うことが出来ず、黙って先生の言いつけに従うことにした」
淡々と語るケスラーの眼に、何故か悲痛な色が浮かぶ。それを見たバドコックは、彼の話に口を差し挟むことが出来なくなってしまった。
「私が家を訪ねると、クレア夫人が出迎えてくれた。
私は彼女を見て言葉を失ったよ。
たった2か月程お会いしない間に彼女は頬がこけるまで痩せ細り、以前のふくよかで明るい様子は見る影もなかった。
顔色も随分と悪かったので、私は彼女が深刻な病気を患っているのではないかと疑った。
それが先生の変化の原因ではないかと思ったのだ。
だが実際は違った。
先生に案内された部屋で、私は変わり果てた姿のトミーを見た。
最初はそれがトミーだと認識することが出来なかった。
いや、人間であるとすら思えなかった。
暗い部屋の片隅に横たわっていた彼の手足と首が、異常に長かったからだ。
トミーはかなり小柄な少年だった。
彼の胴の部分は10歳の年齢そのままの大きさだったが、彼の手足の長さは、おそらく以前の倍以上になっていた。
そして頸部は」
当時を思い出したケスラーは、痛ましそうな表情を浮かべて話を切った。バドコックは信じられないという表情で、彼を見ている。
「トミーの頸部はおそらく、30インチ(約75cm)以上に伸びていた」
「馬鹿な!」
思わずバドコックが口を挿んだ。しかしケスラーは動じない。
「私もそう思ったよ、フィル。
目の錯覚ではないかとね。
何しろその半年ほど前に見たトミーは少し小柄だが通常サイズの体格をしていた。
しかしその時私が見た彼の変わり果てた姿は、紛れもない事実だった。
背後で号泣していたクレアさんの声が、今でも耳から離れないよ」
バドコックは話のあまりの凄惨さに声を失ってしまった。
「私はパルマー先生に目で問うた。
言葉を発することが出来なかったからだ。
彼はトミーに起きた変化の原因は分からないと言った。
この様な病態は聞いたことがないと。
トミーは病気ではないのだと。
私も先生の意見に賛同せざるを得なかった。
それは30年経った今でも変わらない」
「医者には診せなかったのか?」
「あの様な姿になったトミーを、他人の目にさらすことにメアリーさんが猛烈に反対したそうだ。
だから私は特別だったのだろう。
あるいは私に、何らかの助言を期待しておられたのかも知れない。
いずれにせよパルマー先生は、解剖学の権威であったと同時に優秀な医師でもあった。
彼は夫人の意見を容れ、ご自身で原因を調べることにしたのだ。
そして彼は2か月間あらゆる文献を精査したが、結局原因は分からなかったんだ」
そう話すケスラーの顔には、バドコックがこれまで見たことのない、悲しげな表情が浮かんでいた。
「結局先生は、何故その日私を呼んでトミーの変わり果てた姿を見せたのか、何も仰らなかった。
幼い彼を襲った悲惨な運命を、誰かに知って欲しかっただけなのかも知れない。
その日私は無言で先生のお宅を後にした。
そして先生はその日から研究室に姿を見せることはなく、1週間後に自動車事故で亡くなられた。クレアさんとトミーも一緒だった」
「トミーはどうなったんだ?」
バドコックは苦いものを吐き出すように訊く。
「ご両親と一緒に亡くなったよ。
どうやら車に大量のガソリンを積んでいたらしく、崖から落ちて炎上した後、爆発が起こって、跡形もない程ばらばらになってしまったそうだ」
「それは」
「おそらく心中だろうね。トミーの姿を世間の目から永遠に葬るための」
「ちょっと待て。
いくらトミーの姿がそんなでも、死なせなくてもいいじゃねえか。
その子にだって生きる権利があったはずだ。
ちゃんと治療すれば、治ったかも知れねえだろう?
それを親だからといって、勝手に奪う権利はねえぞ!」
「私も君の考えには同意するよ、フィル。
しかしトミーは、恐らく長くは生きられなかった。
私が見たトミーは、多分伸びてしまった頸部の構造のせいだと思うが、いつ呼吸が停止してもおかしくない様子だった。
とても苦しそうで、見ていられなかったよ。
もしかしたらトミーは、事故の前に既に亡くなっていたのかも知れない」
そう言ってケスラーはバドコックから顔をそむけた。バドコックも黙り込んでしまった。2人の間に重苦しい沈黙が流れる。
少し間を置いて、その沈黙を破ったのはケスラーだった。
パルマー教授の元でだ。
パルマー先生は非常に私に目をかけてくれ、独身だった私を、しばしば自宅でのディナーに招待してくれた。
夫人のクレアさんも私に良くしてくれた。そして1人息子のトミーも私に懐いていた。君には信じられないかも知れないがね」
確かにそうだ――とバドコックは思った。この男に子供が懐くなど、到底信じられない。
「ところが、ある日を境に私はパルマー家に招待されなくなった。
その頃パルマー先生はお父上を亡くされていたので、最初はそのせいかと思っていた。
しかし、パルマー先生の様子が日に日に変わっていったのだ。
物静かで温和だった先生が、ちょっとしたことで癇癪を起こし、突然研究室のスタッフを怒鳴りつけるようになったのだ。
最初私は先生の変化に戸惑ったが、それまでに先生から受けた恩を考えると、やはり黙ってはいられなかった。
そして意を決し、何があったのか先生に問い質したのだ。
先生は私を見つめて、しばらく黙考されていた。
やがて先生は、私に見せたいものがあるので、週末に先生の家を訪ねるように言われた。私はそれ以上何も問うことが出来ず、黙って先生の言いつけに従うことにした」
淡々と語るケスラーの眼に、何故か悲痛な色が浮かぶ。それを見たバドコックは、彼の話に口を差し挟むことが出来なくなってしまった。
「私が家を訪ねると、クレア夫人が出迎えてくれた。
私は彼女を見て言葉を失ったよ。
たった2か月程お会いしない間に彼女は頬がこけるまで痩せ細り、以前のふくよかで明るい様子は見る影もなかった。
顔色も随分と悪かったので、私は彼女が深刻な病気を患っているのではないかと疑った。
それが先生の変化の原因ではないかと思ったのだ。
だが実際は違った。
先生に案内された部屋で、私は変わり果てた姿のトミーを見た。
最初はそれがトミーだと認識することが出来なかった。
いや、人間であるとすら思えなかった。
暗い部屋の片隅に横たわっていた彼の手足と首が、異常に長かったからだ。
トミーはかなり小柄な少年だった。
彼の胴の部分は10歳の年齢そのままの大きさだったが、彼の手足の長さは、おそらく以前の倍以上になっていた。
そして頸部は」
当時を思い出したケスラーは、痛ましそうな表情を浮かべて話を切った。バドコックは信じられないという表情で、彼を見ている。
「トミーの頸部はおそらく、30インチ(約75cm)以上に伸びていた」
「馬鹿な!」
思わずバドコックが口を挿んだ。しかしケスラーは動じない。
「私もそう思ったよ、フィル。
目の錯覚ではないかとね。
何しろその半年ほど前に見たトミーは少し小柄だが通常サイズの体格をしていた。
しかしその時私が見た彼の変わり果てた姿は、紛れもない事実だった。
背後で号泣していたクレアさんの声が、今でも耳から離れないよ」
バドコックは話のあまりの凄惨さに声を失ってしまった。
「私はパルマー先生に目で問うた。
言葉を発することが出来なかったからだ。
彼はトミーに起きた変化の原因は分からないと言った。
この様な病態は聞いたことがないと。
トミーは病気ではないのだと。
私も先生の意見に賛同せざるを得なかった。
それは30年経った今でも変わらない」
「医者には診せなかったのか?」
「あの様な姿になったトミーを、他人の目にさらすことにメアリーさんが猛烈に反対したそうだ。
だから私は特別だったのだろう。
あるいは私に、何らかの助言を期待しておられたのかも知れない。
いずれにせよパルマー先生は、解剖学の権威であったと同時に優秀な医師でもあった。
彼は夫人の意見を容れ、ご自身で原因を調べることにしたのだ。
そして彼は2か月間あらゆる文献を精査したが、結局原因は分からなかったんだ」
そう話すケスラーの顔には、バドコックがこれまで見たことのない、悲しげな表情が浮かんでいた。
「結局先生は、何故その日私を呼んでトミーの変わり果てた姿を見せたのか、何も仰らなかった。
幼い彼を襲った悲惨な運命を、誰かに知って欲しかっただけなのかも知れない。
その日私は無言で先生のお宅を後にした。
そして先生はその日から研究室に姿を見せることはなく、1週間後に自動車事故で亡くなられた。クレアさんとトミーも一緒だった」
「トミーはどうなったんだ?」
バドコックは苦いものを吐き出すように訊く。
「ご両親と一緒に亡くなったよ。
どうやら車に大量のガソリンを積んでいたらしく、崖から落ちて炎上した後、爆発が起こって、跡形もない程ばらばらになってしまったそうだ」
「それは」
「おそらく心中だろうね。トミーの姿を世間の目から永遠に葬るための」
「ちょっと待て。
いくらトミーの姿がそんなでも、死なせなくてもいいじゃねえか。
その子にだって生きる権利があったはずだ。
ちゃんと治療すれば、治ったかも知れねえだろう?
それを親だからといって、勝手に奪う権利はねえぞ!」
「私も君の考えには同意するよ、フィル。
しかしトミーは、恐らく長くは生きられなかった。
私が見たトミーは、多分伸びてしまった頸部の構造のせいだと思うが、いつ呼吸が停止してもおかしくない様子だった。
とても苦しそうで、見ていられなかったよ。
もしかしたらトミーは、事故の前に既に亡くなっていたのかも知れない」
そう言ってケスラーはバドコックから顔をそむけた。バドコックも黙り込んでしまった。2人の間に重苦しい沈黙が流れる。
少し間を置いて、その沈黙を破ったのはケスラーだった。