【30-3】悪夢の前兆(3)

文字数 1,891文字

デスクに戻ってしばらくすると、蓑谷が本間の実家の連絡先をメモして戻ってきた。
永瀬がその連絡先に電話をするよう指示すると、
「教授に言っとかなくていいですか?」
と確認してくる。

永瀬は少し考えたが、
「はっきりしてからお伝えしよう」
と言って、蓑谷に電話するように促した。

蔵間顕一郎(くらまけんいちろう)にはいずれ報告しなければならないと思ったが、何となく躊躇してしまうのだ。
あの日以来、蔵間と話すのはやはり気が進まない。

いつまでも話さないでいる訳にはいかないのだが、どうしても怖さの方が先立ってしまう。
これから蔵間とどのように関わっていけば良いのか、自身の気持ちの整理が全くついていないというのが、正直なところだった。

電話はなかなか繋がらないようだった。
数回空振りに終わると蓑谷は、
「1時間程してかけ直します」
と言って、自分の部屋に戻って行った。

永瀬がデスクに戻って事務仕事をかたずけていると、小1時間程で蓑谷がやってきた。
本間雪絵の母親と電話が繋がったようだ。

研究室の外線電話のある部屋に行き、保留を解除して受話器を取ると、母親のおろおろとした声が聞こえた。
どうやら実家にも連絡が行っていないようだった。

狼狽する母親を(なだ)めつつ状況を説明した後、研究室の職員が本間のマンションに行って事情を再確認すること、実家からも本間の携帯に連絡を入れてもらうこと、何か新しい事実が分かった場合は、お互いに情報を共有することなどを、時間を掛けて母親に納得させ、電話を切った。時計を見ると30分以上経過していた。

横でやり取りを聞いていた蓑谷が、
「僕が本間さんのマンションに行ってみましょうか?」
と提案してきた。

そして
「同じ駅なんで」
と付け足す。

永瀬は少し考えたが、結局蓑谷に行かせることにした。
その後永瀬は、物凄く気が進まなかったのだが、状況報告をするために教授室の部屋をノックした。

中から「どうぞ」という蔵間の声がする。
部屋に入ると、蔵間は備え付けのデスクトップに向かって何か作業をしているようだった。

これまでに分かった状況を手短に説明すると、蔵間はあまり関心のない様子で、
「何か分かったら報告するように」
と永瀬に指示した。

今は蔵間自身の意識が表層に出ているはずなのだが、やはり以前とはどこか雰囲気が違っている。
自分の考えすぎかとも思うのだが、永瀬はどうしても怖さを感じずにはいられなかった。

このままの状況が続くと、自分は精神に変調をきたしてしまうのではないかという不安が、沸々と込み上げて来る。

――そうなる前に退職した方が良いだろうか?しかし退職しても次の就職先が…。
そんなことを考えながら彼は教授室を後にするのだった。

本間のマンションを訪ねた蓑谷から連絡があったのは、それから2時間程経ってからだった。
蓑谷からの報告は島崎から聞いた話と大差なく、本間が先週末から戻っていないのは事実のようだ。

もしかしたらと思い、本間に付き合っている男性がいないかどうか、島崎に確認してみようと思った。
学生のプライバシーに踏み込むのは躊躇されたが、単にその彼氏と一緒にいるだけという可能性も否定出来ないからだ。

しかし島崎の回答はノーだった。
少なくとも現在本間雪絵には、部屋に泊まったり、一緒に旅行に行ったりするようなパートナーはいないようだ。

島崎が知らないだけかも知れないので念を押してみたが、彼女は断固としてそれを否定する。
「そんな彼氏がいれば、絶対に自分が気づくはずです」
と涙目になりながら(かたく)なに言い張るので、永瀬は少し閉口してしまった。

永瀬は本間の実家に連絡を取り、これまでに判明した状況を伝えることにした。
今度は父親が電話口に出て、永瀬に対応してくれた。
本間とは未だに連絡が取れないらしい。

学生の管理不足について永瀬が詫びると、本間の父から、
「こちらこそご迷惑をお掛けして」
と、かなり恐縮したような口調の応えが返ってきた。

状況についてやり取りした後、結論としては、本間の父から、こちらの警察に捜索願を出すことになった。

彼女の実家は静岡県の西部だったので、遠隔地ということを考慮して研究室から届出を出すことも一応提案したが、身内からの方が妥当だろうということで落ち着いたのだ。
本間の両親は、すぐに上京してくるつもりのようだ。

最後に、
「何かあったら遠慮なく大学を訪ねて下さい」
と言って、永瀬は電話を切った。そして思わず深い溜息をつく。

――最近周りが、何となく不穏だな。
どういうところがと聞かれても、明確に返事は出来ないのだが、やはり落ち着かない。

これも蔵間父娘と林の話を聞いたせいなのかもしれないと思い、永瀬はもう一度深い溜息をついた。
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