【43-2】結末(2)

文字数 1,456文字

「林さん、ご厚意ありがとうございます。
でもやっぱりお断りします。
林さんに、これ以上ご迷惑をおかけしたくありませんし」

「迷惑などではありませんよ」
と言いかける林を遮るように、梶本は続けた。

「それにもうこれ以上、他の誰にも見られたくないんです」
「では、どうされるおつもりですか?まさか」

その時、梶本のいる辺りで大きな音がした。
何かが勢いよく噴き出す音がそれに続く。

「梶本さん、いけない」
そう言って、彼女のいる方に駆け寄ろうとする林に、
「来ないで!」
と梶本が叫ぶ。

「止めるんだ。あなたには、まだ生きる権利がある!」
林は断固とした声で、彼女を止めようとする。
しかし梶本は少し沈黙した後、静かな声で応えた。

「林さん、ありがとうございます。
でも私は、こうしたいんです。

永瀬先生、これまで本当にお世話になりました。
先生の様な方にお会い出来て、これまでご指導いただいて、一緒に働くことが出来て、本当に幸せでした。
ありがとうございます。

それから、最後にこんな形でご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした!」
そして梶本は、最後に血を吐くような声で叫んだ。

「梶本君、何を言ってるんだ。
一体何をしようとしてるんだ。
とにかく止めるんだ」

永瀬は、梶本の声から伝わってくる切迫感に押されて叫んだ。
しかし林が駆け寄ろうとする先で、何かが大きなものが倒れる音がし、床が地響きを立てた。

「今、ここにあった大型の冷蔵庫を倒しました。
もうこちらには近寄れません。

だから来ないで!
2人とも、早くこのビルから逃げて下さい!」

梶本が叫ぶ。
永瀬が咄嗟に林を見ると、薄明かりの中で無念そうな表情で目を閉じている。

やがて目を開けた彼は、
「残念ですが行きましょう。
ここは非常に危険です。

あなたまで巻き込む訳にはいかない」
と言って、永瀬の腕を強く引き、出口へと向かった。

背後から「永瀬先生」という、梶本の声が聞こえた気がした。
2人は階段を一気に駆け下り、裏口を通り抜けて表通りへと飛び出した。

その時。
頭上で轟音が響き、足元の地面が揺れ、辺りが急に明るくなった。
そして大小の破片の様なものが、火の粉と共に永瀬たちの上に降り注いで来る。

2人は反射的に腕で自分の頭を庇いながら、近くの建物の壁際まで避難すると、赤黒い炎を上げているビルを見上げた。
窓からはオレンジ色に照らされた煙が、朦々と噴き上げている。

永瀬たちがいた4階部分は、内部が跡形もなく吹き飛んでしまったようだ。
暫くすると周囲に人が集まって来て、辺りに喧噪が満ち始めた。

永瀬が隣の林を見ると、沈痛な表情でビルを見上げている。
「林さん、一体何が…」
永瀬は呟くように訊いた。

「梶本さんは一切の痕跡を残さず、この世から旅立つ道を選んでしまいました。
彼女は恐らく、ガス管を引き抜いて、何かで引火させたのです」
そう言って永瀬を見た林の目から、一筋の涙がこぼれ落ちていた。

「残念です。
とても残念です。

私が無暗に考え込まず、もう少し早く行動を起こしていたならば、彼女を止められたかも知れない。

そう考えると、自分の不甲斐なさに嫌気が差してしまう。
一体私の能力は、何のためにあると言うのだ」

林はビルに目を戻し、悲壮な表情を浮かべて言った。
これ程感情を露わにした彼を見るのは、初めてだった。
永瀬はもうそれ以上、何も言えず、燃え盛るビルに目を戻した。

そして不幸な運命に翻弄され、最後に自ら壮絶な死を選ばざるを得なかっ、た梶本恭子を思う。
せめて彼女が、最後に心の安らぎを取り戻していたことを、瞑目して祈ることしか、永瀬には出来なかった。
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