【12-1】来訪者
文字数 2,101文字
「今日の講義はここまでです」
永瀬晟 が言うと、学生たちがテキストをしまう音や、ホワイトボードの板書を携帯電話のカメラで撮影する音で教室が騒めき始めた。
板書の撮影を嫌って禁止する教員も中にはいるようだが、永瀬は時代の流れと割り切っている。
永瀬が学生の頃にも、普段は碌 に講義ノートなど取らずに、テスト前に友達のノートをコピーするちゃっかり者は大勢いたのだ。
単に手段が進歩しているだけで、行為自体に変化はないと彼は思っている。
ここは東都大学キャンパス内の講義棟の1つで、永瀬が籍を置く理学部の、専門課程の講義に使用されることが多い建物だ。
今も永瀬は、3回生を対象にした講義を終えたばかりだった。
永瀬は理学部生物科学科の教員で、肩書は准教授である。
教員と言っても、それ程頻繁に講義がある訳でもなく、今期は学部生と大学院生を対象に週に1回ずつ、それぞれ90分1単位の講義を担当している。
残りの時間は研究室に所属する職員及び研究生、学生の指導と、論文作成などの業務に加え、研究室の予算管理や理学部全般に関わる会議への出席など雑務も多く、それなりに多忙である。
永瀬の専門分野は大脳生理学である。
彼が所属する研究室を統括する蔵間顕一郎 教授は、大脳生理学分野の世界的権威であり、主要な研究テーマの殆どが、大脳の生理機能に関連するものだった。
昼休みに入る時間だったので、学生たちが急ぎ足で教室を出ていく。
講義室の左右の扉の前では、出席カードの提出ボックスを持った助教の箕谷明人 と梶本恭子 が、退室する学生たちからカードを回収していた。
永瀬は学生の出席自体もあまり気にしていなかったが、こちらは学部長の方針として、全ての講義で必ず出席確認を取ることになっている。
理由の1つは、単位取得の条件の一部として出席点を加算するという、学生への救済措置の意味もあるようだ。
ホワイトボードの板書を消し終えて講義室から出ると、梶本がドアの脇に立っていた。蓑谷は既に研究室に戻ったようだ。
「永瀬先生。先程学部長が来られて、講義後にお部屋に来て頂きたいとのご伝言を受けました」
梶本は生真面目なその性格通りの口調で言った。
蔵間研究室で博士課程後期まで修了した梶本は、学位取得と同時に当時空席だった助教として採用された。
勤勉で努力家の彼女は、教室の運営に関しても、自身の研究に関しても常に真摯に取り組んでくれる、非常に信頼のおけるスタッフだ。
ただ、少し真面目過ぎて融通が利かないところがあり、同僚の蓑谷や研究室の学生と時折ぎくしゃくすることがある。
しかしそれも、教室内の人間関係に波風を立てるようなレベルのことでもなく、永瀬も、そして教授の蔵間もこれまで問題視したことは一度もなかった。
「ありがとう。それから、ボックスはいつも通り僕の机に置いておいてくれるかな」
永瀬がそう言うと、梶本は「承知しました」と言って会釈し、研究室に戻って行った。
永瀬は講義室を出て、講義棟に隣接している本部棟に向かった。
本部棟の2階に上がり、学部長室のドアをノックすると、室内から「どうぞ」という富安学部長の声がした。
部屋に入ると、正面のデスクに座った富安の温和な顔が待ち受けていた。
そしてデスクの前に置かれた応接セットのソファに、見知らぬ男が1人腰かけている。
「永瀬先生、急にお呼びだてして申し訳ない」
富安はそう言いながら席を立つと、永瀬にソファを勧め、自身はその男の隣に座った。
そして永瀬が席に着くのを見計らい、
「ご紹介します。こちらは林さんです」
と、隣の男を紹介した。
そして男は富安の言葉を引き取り、
「永瀬先生、初めまして。林海峰 と申します。
日本語ではリンカイホウと発音します。よろしくお見知りおき下さい」
と流暢な日本語で挨拶した。
「は、初めまして。永瀬晟です」
永瀬も慌てて挨拶を返す。
「永瀬先生。蔵間先生から既にお聞き及びかも知れませんが、林さんは中国の成都大学から、本学に短期の研究生として来られた方です」
「ああ、その件は教授からお聞きしています。しかし、予定はもう少し先ではなかったですか?」
富安の紹介を聞いた永瀬は、少し不審に思い質問した。
「仰る通りです。確かに林さんの来日は少し先の予定だったのですが、事情があって早まったんですよ。
蔵間先生にも先日メールでお知らせしたのですが、永瀬先生に伝わっていなかったようですね。
まあ、あちらで大変な目に遭われたと聞いていますので、メールチェックが遅れているのかも知れませんね」
永瀬は漸く状況を把握することが出来た。
蔵間顕一郎は、2週間前にロンドンで開催された国際学会の演者として招聘され、渡英していたのだった。
学術講演自体は問題なく終わったようなのだが、その後事件に巻き込まれ、帰国予定が伸びてしまったのだ。
その事件というのは、蔵間が彼のイギリス留学時代の恩師であったケネス・ボルトン博士をロンドン郊外の自宅に訪ねた際に、博士夫妻の変死体を発見したことだった。
そのため蔵間と同行していた娘の未和子は、警察の事情聴取を受けるために、滞在期間を伸ばさざるを得なかったようである。
そのことは永瀬から富安に報告済みであった。
板書の撮影を嫌って禁止する教員も中にはいるようだが、永瀬は時代の流れと割り切っている。
永瀬が学生の頃にも、普段は
単に手段が進歩しているだけで、行為自体に変化はないと彼は思っている。
ここは東都大学キャンパス内の講義棟の1つで、永瀬が籍を置く理学部の、専門課程の講義に使用されることが多い建物だ。
今も永瀬は、3回生を対象にした講義を終えたばかりだった。
永瀬は理学部生物科学科の教員で、肩書は准教授である。
教員と言っても、それ程頻繁に講義がある訳でもなく、今期は学部生と大学院生を対象に週に1回ずつ、それぞれ90分1単位の講義を担当している。
残りの時間は研究室に所属する職員及び研究生、学生の指導と、論文作成などの業務に加え、研究室の予算管理や理学部全般に関わる会議への出席など雑務も多く、それなりに多忙である。
永瀬の専門分野は大脳生理学である。
彼が所属する研究室を統括する
昼休みに入る時間だったので、学生たちが急ぎ足で教室を出ていく。
講義室の左右の扉の前では、出席カードの提出ボックスを持った助教の
永瀬は学生の出席自体もあまり気にしていなかったが、こちらは学部長の方針として、全ての講義で必ず出席確認を取ることになっている。
理由の1つは、単位取得の条件の一部として出席点を加算するという、学生への救済措置の意味もあるようだ。
ホワイトボードの板書を消し終えて講義室から出ると、梶本がドアの脇に立っていた。蓑谷は既に研究室に戻ったようだ。
「永瀬先生。先程学部長が来られて、講義後にお部屋に来て頂きたいとのご伝言を受けました」
梶本は生真面目なその性格通りの口調で言った。
蔵間研究室で博士課程後期まで修了した梶本は、学位取得と同時に当時空席だった助教として採用された。
勤勉で努力家の彼女は、教室の運営に関しても、自身の研究に関しても常に真摯に取り組んでくれる、非常に信頼のおけるスタッフだ。
ただ、少し真面目過ぎて融通が利かないところがあり、同僚の蓑谷や研究室の学生と時折ぎくしゃくすることがある。
しかしそれも、教室内の人間関係に波風を立てるようなレベルのことでもなく、永瀬も、そして教授の蔵間もこれまで問題視したことは一度もなかった。
「ありがとう。それから、ボックスはいつも通り僕の机に置いておいてくれるかな」
永瀬がそう言うと、梶本は「承知しました」と言って会釈し、研究室に戻って行った。
永瀬は講義室を出て、講義棟に隣接している本部棟に向かった。
本部棟の2階に上がり、学部長室のドアをノックすると、室内から「どうぞ」という富安学部長の声がした。
部屋に入ると、正面のデスクに座った富安の温和な顔が待ち受けていた。
そしてデスクの前に置かれた応接セットのソファに、見知らぬ男が1人腰かけている。
「永瀬先生、急にお呼びだてして申し訳ない」
富安はそう言いながら席を立つと、永瀬にソファを勧め、自身はその男の隣に座った。
そして永瀬が席に着くのを見計らい、
「ご紹介します。こちらは林さんです」
と、隣の男を紹介した。
そして男は富安の言葉を引き取り、
「永瀬先生、初めまして。
日本語ではリンカイホウと発音します。よろしくお見知りおき下さい」
と流暢な日本語で挨拶した。
「は、初めまして。永瀬晟です」
永瀬も慌てて挨拶を返す。
「永瀬先生。蔵間先生から既にお聞き及びかも知れませんが、林さんは中国の成都大学から、本学に短期の研究生として来られた方です」
「ああ、その件は教授からお聞きしています。しかし、予定はもう少し先ではなかったですか?」
富安の紹介を聞いた永瀬は、少し不審に思い質問した。
「仰る通りです。確かに林さんの来日は少し先の予定だったのですが、事情があって早まったんですよ。
蔵間先生にも先日メールでお知らせしたのですが、永瀬先生に伝わっていなかったようですね。
まあ、あちらで大変な目に遭われたと聞いていますので、メールチェックが遅れているのかも知れませんね」
永瀬は漸く状況を把握することが出来た。
蔵間顕一郎は、2週間前にロンドンで開催された国際学会の演者として招聘され、渡英していたのだった。
学術講演自体は問題なく終わったようなのだが、その後事件に巻き込まれ、帰国予定が伸びてしまったのだ。
その事件というのは、蔵間が彼のイギリス留学時代の恩師であったケネス・ボルトン博士をロンドン郊外の自宅に訪ねた際に、博士夫妻の変死体を発見したことだった。
そのため蔵間と同行していた娘の未和子は、警察の事情聴取を受けるために、滞在期間を伸ばさざるを得なかったようである。
そのことは永瀬から富安に報告済みであった。