【11-4】Metamorphose(4)

文字数 2,104文字

「当時パルマー夫妻は、イングランド国教から他の宗教に改宗されていた。
後からパルマー先生に聞いた話では、夫妻は以前から、その東洋の宗教に強い関心を持っていたそうだ。

しかし先生の父上が敬虔な国教の信徒だったので、改宗を言い出せなかったらしい。
その父上が亡くなった後、先生ご夫妻は密かに改宗していたようだ。

思えば先生のご自宅に、見たこともない道具の様なものが並べられるようになったのもその頃だった。
私はパルマー家の人々が亡くなった後も、トミーの症状について調べてみたが、彼に当てはまる疾患の記録は皆無だった。

その結果私は、トミーの変化がその東洋の宗教が原因だったのではと考えてしまった。
何か呪術の様な、そんな非科学的な原因で、彼があの様な姿になってしまったのではないかと」

「あんたの口から呪術なんて言葉が出て来るとは驚きだな。
まあしかし、そのトミーという子が、あんたの言う通りの姿になったんなら、あんたがそう思ったのも無理はないがな。
で、今でもあんたはそう思っているのかい?」

「いや、今ではやはり、そんなことはあり得ないと思ってるよ。
尤も、未だにトミーの変化の原因は謎だがね。ところでフィル」

そう言ってケスラーは急に話題を転じた。
「私が解剖室を出た直後、君がこの部屋を訪ねる直前に、政府関係者を名乗る男から電話があったよ」
「何だと?」

「その男は、今回の容疑者の遺体と剖検結果、その他の全てのデータを、彼らに引き渡すよう要求してきた。
勿論私は、引き渡しの可否については、ヤードの許可が必要だと断ったがね。

するとその男はヤードの了承は既に得ていると言った。
彼が派遣する者が、その書類を持参するとね。

その電話の直後に、君の上司のヴァスケス警視長を名乗る人物から電話があって、引き渡しを要請されたよ。
政府のかなり上層部から命令が出ている可能性が高いな」

「ふざけるなよ!そんなことは俺が認めねえ」

「君の気持は分かるが、書類が正式なものである限り、私には引き渡しを拒否することが出来ない。
君が引き渡しに抵抗するのを止めはしないが、君も政府機関の一員である限り、上司の命令は拒否出来ないのではないのかね?」

バドコックはケスラーを無視して、その場でヴァスケスに電話をかけた。
しかし彼の答えはケスラーの言葉通り、その政府関係者に容疑者の遺体とデータを全て引き渡すというものだった。
彼は必至で食い下がったが、上司は頑なに命令であることを繰り返すのみだった。

そして最後に、
「抵抗しない方が、お前の身のためだ」
と付け加えた。

バドコックは最後に口汚く上司を罵って電話を切る。
その様子をじっと見ていたケスラーが(おもむ)ろに言った。

「フィル、恐らく君にも私にも監視がつくだろう。
もう既についているかも知れない」
バドコックは無言で肯定した。

その可能性は十分にあると思われたからだ。
先程のヴァスケスのあの口振りからすると、かなりの上層部から、相当強い圧力がかかっていると想像出来る。

「君は今回の件について、沈黙を守る方がよい。その方が賢明だ」
「だが、俺だけが奴を見た訳じゃない。
大勢の警官や市民も見ているんだぞ。
どうやって全員の口封じをするってんだ?」

「ヤードには箝口令が敷かれるだろう。
とは言っても、完全に情報を封鎖することは出来ないだろうがね。
世間に噂話として流布していくことは間違いないな。

しかしヤードが否定し続ける限り、それもやがて時間とともに風化し、都市伝説となっていく。そのことも既に織り込み済みなのだろうね」

ケスラーの言う通りだろうとバドコックは思った。
しかしどうにも怒りのやり場がない。

部下たちがこれまでの捜査に費やした時間と努力が、全部無駄になってしまう気がしたからだ。
憤懣やるかたなく席を立ったバドコックに、背後からケスラーの声が掛かった。

「フィル、自重しろよ。
君たちが犯人を阻止したことに変わりはない。
今後犠牲者が出ることを防いだのだから」
バドコックはその言葉に、振り向きもせずに片手を挙げ、ケスラーの研究室を後にした。

その後に起こった事は、概ねケスラーの推測した通りだった。
ヤードには警視総監名で厳しい箝口令が敷かれ、マスコミへの対応も広報部の担当者が一元管理して、不都合な情報が出されることはなかった。

犯人はベンジャミン・トーラスであり、彼が連続殺人犯であると特定され、連続殺人事件の終息が宣言された。
とは言っても、犯人の目撃情報は既に世間に流布していた。
それをネタに、執拗にマスコミ各社が広報担当に食い下がったが、結果は同じだった。

やがてケスラーの予言通り、騒動は徐々に鎮静し、以前と変わらない日常が戻ってきた。
そしてバドコックは、新たに発生した事件の捜査に忙殺されることになったのだ。

しかし事件の結末に対する憤りと、何よりもベンジャミン・トーラスという男に関する未解決の謎が、いつまでも彼の心の底に、澱の様に沈殿したままになっている。

――何故奴はあんな姿になったんだ?
その疑問は、いつまでも重苦しく彼に付きまとっていた。

――これは多分、古傷となってこの後一生俺を苛むんだろうな
バドコックはうんざりした気分でそう思うのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み