【09-5】急展開(5)
文字数 1,790文字
自宅に戻ったバドコックは、すぐにバスルームに向かった。
共働きの妻は、当然のことながら職場に行っていて、家の中は無人だった。
バドコック夫妻には子供がいない。
別に子供を望まなかった訳ではないが、残念ながら縁がなかったようだ。
子供を諦めて既に10年以上が経つのだが、彼の妻は今でも時折、そのことを愚痴ることがある。
しかし夫婦どちらかの責任ということでもないので、彼は妻の愚痴を逆らいもせず聞くことにしている。
ひとしきり愚痴ったら、それで清々したように話題を変えるので、特に苦にもならないのだ。
バドコックは脱衣所で汗と血にまみれた服をすべて脱ぎ、熱めのシャワーを浴びた。
体にこびり付いていた殺人現場の穢れの様なものが、汗と共に全て洗い流されるようで心地よかった。
バスルームを出てバドコックは、新しい服に着替えると、血の付いたシャツとズボンを摘まんで、ゴミ出し用のポリ袋に入れた。
それを持ってクーパーに戻り、運転席のシートを見た途端にバドコックは、「ガッデム」と言って舌打ちした。
シート全体がどす黒く染まっていたからだ。
ズボンにはかなり血がついていたので、当然と言えば当然の結果なのだが、そこまで気が回らなかった自分の迂闊さを呪わざるを得ない。
間違いなく、妻から冷たい視線を向けられるだろう。
――最悪の日だな。
心中でそう嘆いた彼は家にとって帰し、ゴミ出し用のポリ袋を持って来てシートの上に敷くと、ずれないように何箇所かテープで固定した。
見れば見る程不格好だったが、今はこれで仕方ないと諦めると、クーパーを走らせた。
向かう先はヤードだ。
途中の信号待ちの時間に携帯電話をチェックしたが、何も連絡は入っていなかった。
ということは、被疑者はまだ発見されていないということだろう。
それにしても――と、バドコックは思った。
――自分が目撃したあれは一体何だったのだろう?
――何か安物のムービーに出てくる怪物の様でもあったが、あの顔半分と両腕だけが肥大した、バランスの悪い造作はいただけない。
――そもそもあれは人間なのか?あるいは本当に怪物なのか?
――奴があのパブの店主が言った通りの、トーラスという郵便配達員ならば、以前は人間として働き、生活していたことになる。
――ならば、あの姿は何だ?急にあんな怪物に変身したとでも言うのか?
――だとすれば、あの忌々しいケスラーの野郎の、科学的推論とやらが正しいということになるではないか。
その点をケスラーに問うてみたい気もするが、したり顔で講釈されるのが落ちだと思い、その考えを打ち消した。
全く考えがまとまらない内に、クーパーはヤードに到着した。
専用のエリアに車を停め、証拠品として持参した血まみれの服を袋ごと担当者に渡すと、オフィスに入って席に着く。
そして彼に続くようにして入ってきた部下の刑事3人が、デスクの前に並んだ。
バドコックが顎で促すと、右端に立ったキプリスという若い刑事が報告し始めた。
「被害者は身分証にあった通り、ダイアナ・リヴェラ、26歳、ハーリンゲイの西地区の住人です。
警部の指示通り、前の事件があった現場付近のパブに当たったところ、携帯電話で撮った顔写真で、店長から一応確認が取れました。
かなり嫌がってましけどね。
そのあと母親と連絡がついて、つい今しがた安置先のKCLまで来てもらい、本人確認が取れたようです」
キプリスはそこで言葉を切ってバドコックを見たが、特に反応がないので報告を続ける。
「母親はまだ証言が取れる様な状態はなかったんで、これはパブの店長の話なんですが、被害者はプロのダンサー志望だったそうです。
しかしまだプロとしてはものになっていなくて、アルバイトをしながら、あちこちのオーディションを受けていたようです。
今の店に勤め始めたのは先週の月曜からだそうです」
「運が悪い子だな」と、隣に立ったウィットマンが呟いた。
それを無視してバドコックは、「死因は?」と訊いた。
その問いには左端に立ったロックウェル刑事が答えた。
「遺体はこれから司法解剖されますが、鑑識担当によると他に外傷がなかったようなので、おそらく首筋の傷が致命傷だったと思われます」
「担当は例によってケスラーか?」
「ええ」
ロックウェルの返事を聞いたバドコックは、露骨に不快な表情を浮かべた。
しかしこれまでの経緯から、今回もケスラーが剖検を担当することは当然と言えば当然だろう。
共働きの妻は、当然のことながら職場に行っていて、家の中は無人だった。
バドコック夫妻には子供がいない。
別に子供を望まなかった訳ではないが、残念ながら縁がなかったようだ。
子供を諦めて既に10年以上が経つのだが、彼の妻は今でも時折、そのことを愚痴ることがある。
しかし夫婦どちらかの責任ということでもないので、彼は妻の愚痴を逆らいもせず聞くことにしている。
ひとしきり愚痴ったら、それで清々したように話題を変えるので、特に苦にもならないのだ。
バドコックは脱衣所で汗と血にまみれた服をすべて脱ぎ、熱めのシャワーを浴びた。
体にこびり付いていた殺人現場の穢れの様なものが、汗と共に全て洗い流されるようで心地よかった。
バスルームを出てバドコックは、新しい服に着替えると、血の付いたシャツとズボンを摘まんで、ゴミ出し用のポリ袋に入れた。
それを持ってクーパーに戻り、運転席のシートを見た途端にバドコックは、「ガッデム」と言って舌打ちした。
シート全体がどす黒く染まっていたからだ。
ズボンにはかなり血がついていたので、当然と言えば当然の結果なのだが、そこまで気が回らなかった自分の迂闊さを呪わざるを得ない。
間違いなく、妻から冷たい視線を向けられるだろう。
――最悪の日だな。
心中でそう嘆いた彼は家にとって帰し、ゴミ出し用のポリ袋を持って来てシートの上に敷くと、ずれないように何箇所かテープで固定した。
見れば見る程不格好だったが、今はこれで仕方ないと諦めると、クーパーを走らせた。
向かう先はヤードだ。
途中の信号待ちの時間に携帯電話をチェックしたが、何も連絡は入っていなかった。
ということは、被疑者はまだ発見されていないということだろう。
それにしても――と、バドコックは思った。
――自分が目撃したあれは一体何だったのだろう?
――何か安物のムービーに出てくる怪物の様でもあったが、あの顔半分と両腕だけが肥大した、バランスの悪い造作はいただけない。
――そもそもあれは人間なのか?あるいは本当に怪物なのか?
――奴があのパブの店主が言った通りの、トーラスという郵便配達員ならば、以前は人間として働き、生活していたことになる。
――ならば、あの姿は何だ?急にあんな怪物に変身したとでも言うのか?
――だとすれば、あの忌々しいケスラーの野郎の、科学的推論とやらが正しいということになるではないか。
その点をケスラーに問うてみたい気もするが、したり顔で講釈されるのが落ちだと思い、その考えを打ち消した。
全く考えがまとまらない内に、クーパーはヤードに到着した。
専用のエリアに車を停め、証拠品として持参した血まみれの服を袋ごと担当者に渡すと、オフィスに入って席に着く。
そして彼に続くようにして入ってきた部下の刑事3人が、デスクの前に並んだ。
バドコックが顎で促すと、右端に立ったキプリスという若い刑事が報告し始めた。
「被害者は身分証にあった通り、ダイアナ・リヴェラ、26歳、ハーリンゲイの西地区の住人です。
警部の指示通り、前の事件があった現場付近のパブに当たったところ、携帯電話で撮った顔写真で、店長から一応確認が取れました。
かなり嫌がってましけどね。
そのあと母親と連絡がついて、つい今しがた安置先のKCLまで来てもらい、本人確認が取れたようです」
キプリスはそこで言葉を切ってバドコックを見たが、特に反応がないので報告を続ける。
「母親はまだ証言が取れる様な状態はなかったんで、これはパブの店長の話なんですが、被害者はプロのダンサー志望だったそうです。
しかしまだプロとしてはものになっていなくて、アルバイトをしながら、あちこちのオーディションを受けていたようです。
今の店に勤め始めたのは先週の月曜からだそうです」
「運が悪い子だな」と、隣に立ったウィットマンが呟いた。
それを無視してバドコックは、「死因は?」と訊いた。
その問いには左端に立ったロックウェル刑事が答えた。
「遺体はこれから司法解剖されますが、鑑識担当によると他に外傷がなかったようなので、おそらく首筋の傷が致命傷だったと思われます」
「担当は例によってケスラーか?」
「ええ」
ロックウェルの返事を聞いたバドコックは、露骨に不快な表情を浮かべた。
しかしこれまでの経緯から、今回もケスラーが剖検を担当することは当然と言えば当然だろう。