【07-4】ブライアン・ケスラー博士の所見(4)

文字数 2,433文字

――待てよ。
「犯人がホームレスという線もあるぞ」
バドコックは閃きを口にしたが、ケスラーはその意見を即座に否定する。

「確かに路上生活者であれば、元々貧困生活を送っているという点で、それ以上困窮することはないかも知れないね。
ただ、この犯人が人前で顔を隠さなければならないという点を考えると、その説は非現実的だ。

路上生活者であっても食事は必要だし、そのためには路上で物乞いをするか、あるいは慈善団体等が催している無料の食事提供の場を利用しなければならない。

その際に常に顔を覆っていたのでは目立ちすぎるだろう。
(まし)してやこの猛暑だ。

さらに言えば犯人は、殺害時に大量の血を浴びている。
路上生活者がふんだんに着替えを所持しているとは思えないし、衣服に付着した血は隠しようがないと思うがね」

バドコックは、ケスラーの理詰めの反論にぐうの音も出なかったが、そこで自分が彼のペースに完全に(はま)っていることに、はたと気づく。

「おい待てよ。
そもそもあんたの理屈は、犯人が狼男に変身したことが前提じゃねえか。
何度も言うが、それこそがあり得ないことじゃないのかね」

しかしケスラーは微動だしない。
「私も何度も言わせてもらうが、犯人に劇的な形態変化が起こっていることは、科学的根拠に基づいた<事実>に他ならないのだよ。

君たち警察は実物を見ないと納得しないのかも知れないがね。
それを認めないと、いつまでも犯人にたどり着けないまま、やがて破局を迎えることになりかねないぞ。フィル」

「破局ってえのは一体何のことだ?ええ?ケスラー博士よ」
「先ほども言ったように犯人は困窮し始めている可能性が高い。
つまり被害者を襲う目的に、金銭奪取という項目が追加され、凶行が加速するのでないかということだよ」

「頻繁に襲い始めるということか?」
そう言ってバドコックはケスラーを睨んだ。
その可能性は否定できないと考えたからだ。

「その通り。
そして凶行が増えれば、当然逮捕される日も近づくだろう。
それ程ヤードが無能とは思えないからね」
そこまで聞いたバドコックが怒声を上げよう取るのを手で制して、ケスラーはさらに言葉を続ける。

「だが、そうなる前にこの愚かな犯人を逮捕すべきじゃないのかね?フィル。
これ以上被害者を増やすべきではない。
だから私は被害者の検死に全力を尽くしているし、何一つ見逃すつもりはない。
その結論が、先程から述べていることなのだよ」

そう言われるとバドコックも納得せざるを得ない。
とはいえ、ケスラーに言いくるめられた感じがして、納得いかない部分もあり、その結果彼は憮然として黙り込んでしまった。

そんなバドコックの様子を確認すると、ケスラーはさらに自説を展開し始めた。
「先ほど犯人の現状に2つの可能性があると言ったが、そのうちの後者、犯人に協力者が存在するという状況は、かなり可能性として低いと考えられる」

「どうしてそう思うんだ?」
もはやバドコックは、完全に彼のペースに(はま)っていた。

「いくら近親者であっても、容貌が急激に変化していく者と一緒に暮らすのは、精神的ストレスが通常人の忍耐レベルを遥かに超えると思うからだよ。
()してその者が凶悪な連続殺人犯だとすれば尚更だ」
「それでも、例えば息子を溺愛する母親だったら、あり得るんじゃないか?」

「確かにそれは否定しない。
ただしその場合は、犯人に行きつくことが容易ではない。
だからその選択肢は一旦おいて、もう一つの選択肢について考えてみてはどうだろう」
ケスラーの提案に、バドコックは無言で肯き、先を促す。

「前者の推論の場合は、犯人は職場や学校に行くことは出来ない。
理由は先程述べた通りだ。

つまり夜に犯行を起こす時以外、部屋の中でじっとしているしかない。
すると犯人は、どのように食事を摂っているのだろう。

無論自分で調理することも出来る。
顔に覆面をするなどして、街に出て食材を調達することは可能だろう。

だが、それを繰り返すと、自分の容貌が世間に晒されるリスクが高まることは避けられない。
この猛暑の中、常に顔を覆っていれば、どうしても目立ってしまうからだ。

大量に買い込んでストックするという手段も考えられるが、一度や二度が限度だろう。
その場合やがて食材が尽きることになる。
すると犯人はどうする?」

「デリバリーか」
バドコックは興奮して即座に返した。

「その可能性は高いと思う。
最近では食材のデリバリーもあるそうだからね。
その線から犯人への糸口を手繰って見てはどうだろうか、と言うのが私の提案だよ。フィル」

「しかし、世の中には食材や食べ物のデリバリーなんぞ、掃いて捨てる程あるぞ。
それを一々当たるとなると、相当の作業だな」

少し興奮から覚めたバドコックは、今のケスラーの推論を現実の捜査に当てはめた場合に掛かる捜査員の労力を頭の中で計算しながら、そう呟いた。
この敏腕警部は現実的である同時に、少しネガティブ思考でもある。

ケスラーの説には何がしかの説得力を感じるが、だからと言って、そこだけに捜査方針を絞り込むことは、かなりのリスクを伴う。
これまで通り、他の線にも捜査員を投入しなければならない。
そうするためには、今よりもさらに捜査の人手が必要になるということだ。

「それでも、これまでの雲をつかむような状況からは、かなりの進歩ではないのかね。
それに、やり方次第では思う程には労力が掛からないかも知れないだろう」

バドコックの内心を読んで、ケスラーは皮肉っぽく言った。
いつもの人を小馬鹿にしたような表情に戻っている。

「どんな方法があるのか教えて貰いたいね」
バドコックが訊くと、
「それは君たち捜査員の仕事だろう 」
と、すぐに切り返された。

――まったく食えない野郎だ。
バドコックは心中で毒づく。

そして、椅子から立ち上がると、
「まあ、参考にはなったよ」
と言いながら、挨拶代わりに少し手を挙げた。

そして、そそくさとケスラーの研究室を後にする。
その後ろ姿を見送りながら、ケスラーは何故か深刻な表情を浮かべていた。
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