【11-1】Metamorphose(1)
文字数 1,776文字
翌日貯水池に沈んでいた容疑者の死体が、捜索に当たっていたダイバーによって発見され、即刻剖検に回されることになった。
担当は例によってキングス ・カレッジ ・ロンドン《L》のブライアン・ケスラー博士である。
その知らせをヤードのオフィスで受けたバドコックは剖検に立ち会うことにして、KCLにクーパーを走らせた。
相変わらず心中には、重たいわだかまりを残したままだった。
KCLに着くと、既に容疑者の死体は搬入され、既に解剖の準備が整っているようだった。
ライトブルーの解剖着を着たケスラーと2名の助手が既に待機していて、バドコックの到着を待って直ぐに剖検が開始された。
ケスラーたちの作業は淡々と、そして入念に進められ、開始から2時間余りが経過して漸く終了した。
それから30分程の時間をおいて、バドコックはケスラーの部屋を訪ねた。
部屋に入るなり、デスクに座ってパソコンに向かっていたケスラーが、
「おや、警部殿。予想より遅かったね。気を使っていただいたのかな?」
と言ったのには閉口したが、勧められる前にデスクの前の椅子にどっかりと腰かけると、
「あれは何なんだ?」
と、単刀直入な質問を放った。
ケスラーはその迫力に動じることもなく、
「死因は訊かないのかね?」
と笑って返す。
「ああ、死因な。銃創か?」
「相変わらず端的な物言いだね。
私や君の部下でなければ、意味が理解出来ないぞ。
まあそんなことはいい。
死因はもう少し検証が必要だが、おそらく頭部と胸部に受けた銃弾による創傷だね。
頭部に2発、胸部と腹部にそれぞれ1発、そして右大腿部にも貫通痕が1つ、計5発が命中していた。
普段拳銃を携行していないのに、ヤードの警官は、なかなか射撃の練度が高いようだね」
バドコックは、そんなことはどうでもよいとばかりにケスラーを睨むが、それでも彼は全く動じない。
「頭部に受けた銃創は深刻で、下顎部の30%あまりが捥 ぎ取られていた。
さらにもう1発は、口腔内から入って後頭部に抜けていたが、その際に脳幹や小脳のかなりの部分に損傷を与えていた。
そして胸部の1発は大動脈弓を破裂させていた。
いずれも致命傷と言ってよいダメージだったよ。
おそらく彼は、即死ではなかったにしろ、銃弾を受けてから1分も生きていなかっただろうな」
そう言ってバドコックの顔を見た。
「死因についてはよく分かったよ。
それじゃあ、最初の質問だ。
あれは一体全体何だったんだ?」
バドコックの問いにケスラーは、心もち俯いて考える仕草をしたが、すぐに顔を上げると、語り始めた。
「あれは間違いなく人間だ」
「間違いなく?」
「ああ、解剖学的見地から人間と推定される。
極度に発達した上顎部と下顎部及び両腕と、口裂の大きさ、そして歯の形状を除けば、脳神経、心肺、循環器、消化器、排泄器その他、すべての臓器が人間のものだったよ」
「それだけ異常なものが揃っていていれば十分だろう。
あれが人間だと言われても、俺には到底納得出来ねえ」
「君の言い分は尤もだ。しかし歯の形状と数を除けば、顔にしろ腕にしろ、本質的に我々と変わらないのだ。
いずれにせよ、染色体を調べれば彼が人間であることは明確になるがね」
「しかし」と言い募ろうとするバドコックを遮って、ケスラーは続けた。
「顔や腕は本質的に変わらないとは言ったが、その形状は君の言う様に、人間の通常サイズとはかけ離れている。
その点は疑う余地もない。
だが彼のあの特異な肉体は、君や私と同様に、骨や骨格筋、血管、リンパ管などで構成されているのだ。
ただそれが、人間の活動に必要と思われる上限を、遥かに超えたレベルまで発達しているというだけのことなのだよ。
彼の肉体は、人間の上腕部を掴んで頸部を噛むという目的に特化した場合は、非常に合理的な形態と言える。
では彼は、先天的にあの様な肉体の持主だったのか?
仮にそうだったとすれば、彼はベンジャミン・トーラスではないことになる。
何故ならば、ベンジャミンは最近まで、このロンドンで郵便配達人として働いていたからだ。
ベンジャミンが生来あの様な肉体的特徴を有していたとすれば、今まで彼が大衆の話題に上らないとは考えられないからだ」
「確かにな」と、バドコックは肯定した。
「では彼はベンジャミン以外の人物なのか?
その可能性は勿論否定出来ない。
しかし私は、彼がベンジャミン本人であると考えているのだがね」
担当は例によって
その知らせをヤードのオフィスで受けたバドコックは剖検に立ち会うことにして、KCLにクーパーを走らせた。
相変わらず心中には、重たいわだかまりを残したままだった。
KCLに着くと、既に容疑者の死体は搬入され、既に解剖の準備が整っているようだった。
ライトブルーの解剖着を着たケスラーと2名の助手が既に待機していて、バドコックの到着を待って直ぐに剖検が開始された。
ケスラーたちの作業は淡々と、そして入念に進められ、開始から2時間余りが経過して漸く終了した。
それから30分程の時間をおいて、バドコックはケスラーの部屋を訪ねた。
部屋に入るなり、デスクに座ってパソコンに向かっていたケスラーが、
「おや、警部殿。予想より遅かったね。気を使っていただいたのかな?」
と言ったのには閉口したが、勧められる前にデスクの前の椅子にどっかりと腰かけると、
「あれは何なんだ?」
と、単刀直入な質問を放った。
ケスラーはその迫力に動じることもなく、
「死因は訊かないのかね?」
と笑って返す。
「ああ、死因な。銃創か?」
「相変わらず端的な物言いだね。
私や君の部下でなければ、意味が理解出来ないぞ。
まあそんなことはいい。
死因はもう少し検証が必要だが、おそらく頭部と胸部に受けた銃弾による創傷だね。
頭部に2発、胸部と腹部にそれぞれ1発、そして右大腿部にも貫通痕が1つ、計5発が命中していた。
普段拳銃を携行していないのに、ヤードの警官は、なかなか射撃の練度が高いようだね」
バドコックは、そんなことはどうでもよいとばかりにケスラーを睨むが、それでも彼は全く動じない。
「頭部に受けた銃創は深刻で、下顎部の30%あまりが
さらにもう1発は、口腔内から入って後頭部に抜けていたが、その際に脳幹や小脳のかなりの部分に損傷を与えていた。
そして胸部の1発は大動脈弓を破裂させていた。
いずれも致命傷と言ってよいダメージだったよ。
おそらく彼は、即死ではなかったにしろ、銃弾を受けてから1分も生きていなかっただろうな」
そう言ってバドコックの顔を見た。
「死因についてはよく分かったよ。
それじゃあ、最初の質問だ。
あれは一体全体何だったんだ?」
バドコックの問いにケスラーは、心もち俯いて考える仕草をしたが、すぐに顔を上げると、語り始めた。
「あれは間違いなく人間だ」
「間違いなく?」
「ああ、解剖学的見地から人間と推定される。
極度に発達した上顎部と下顎部及び両腕と、口裂の大きさ、そして歯の形状を除けば、脳神経、心肺、循環器、消化器、排泄器その他、すべての臓器が人間のものだったよ」
「それだけ異常なものが揃っていていれば十分だろう。
あれが人間だと言われても、俺には到底納得出来ねえ」
「君の言い分は尤もだ。しかし歯の形状と数を除けば、顔にしろ腕にしろ、本質的に我々と変わらないのだ。
いずれにせよ、染色体を調べれば彼が人間であることは明確になるがね」
「しかし」と言い募ろうとするバドコックを遮って、ケスラーは続けた。
「顔や腕は本質的に変わらないとは言ったが、その形状は君の言う様に、人間の通常サイズとはかけ離れている。
その点は疑う余地もない。
だが彼のあの特異な肉体は、君や私と同様に、骨や骨格筋、血管、リンパ管などで構成されているのだ。
ただそれが、人間の活動に必要と思われる上限を、遥かに超えたレベルまで発達しているというだけのことなのだよ。
彼の肉体は、人間の上腕部を掴んで頸部を噛むという目的に特化した場合は、非常に合理的な形態と言える。
では彼は、先天的にあの様な肉体の持主だったのか?
仮にそうだったとすれば、彼はベンジャミン・トーラスではないことになる。
何故ならば、ベンジャミンは最近まで、このロンドンで郵便配達人として働いていたからだ。
ベンジャミンが生来あの様な肉体的特徴を有していたとすれば、今まで彼が大衆の話題に上らないとは考えられないからだ」
「確かにな」と、バドコックは肯定した。
「では彼はベンジャミン以外の人物なのか?
その可能性は勿論否定出来ない。
しかし私は、彼がベンジャミン本人であると考えているのだがね」