【17-1】林海峰の回想―父、林紫嶺(1)

文字数 1,708文字

18歳の誕生日を迎えたその朝、林海峰(リンハイファン)は浅い眠りから覚めた。
自然な目覚めではなく、誰かの手で無理矢理、現実世界に引き戻された――そんな不快感が彼の意識の中に残留している。

目覚める直前まで見ていた夢の中に、外から突然誰かが侵入してきたという記憶が、鮮明に残っている。
しかしそれがどのような夢だったのか、そこに入って来たのが誰だったのか、もはや海峰は思い出すことが出来ない。

あるいはその夢自体が、外部からの干渉によって、自分の意識の中に書き込まれ、覚醒と同時に消去されたものだったのかも知れないと、彼は思った。

壁の時計を見ると、午前5時まであと少しという時刻だった。
しかし陽暦の8月に入ったこの時期、既に窓からは日の光が熱気を伴って室内に差し込み始めている。
今日も暑くなりそうだ――と海峰は思った。

寝台から身を起こすと、彼はしばらくそこに腰かけたまま、意識が完全に覚醒するのを待った。
浅い眠りの淵から(うつつ)の世界に帰還するのは、眠りが深い時よりも返って時を要する。
浅い眠りの中では、精神世界と現実世界の境界が、曖昧になっているせいなのかも知れない。

彼が今いる部屋は、中国四川省成都郊外にある九天応元会(きゅうてんおうげんかい)本部の一隅にあった。
その前年に成都市内の高等学校を卒業した彼は、成都大学に進学する道を選んだ。

勿論遺伝子工学に対する学問的な興味もあったのだが、生まれた時から自分を取り巻いている、宗教的な環境から離れてみたいという欲求の方が強かったからだ。
その時彼は、実家のある教団本部を離れて、大学の寮で生活していたのだが、その日はある事情で帰省していたのだった。

その当時教団には教主が不在だったため、最高幹部である祖父の林国祥(リングゥオシィアン)が実質上教団を取り仕切っていた。
祖父と海峰との関係は家族というよりも、教団の最高幹部と道士見習という色合いが濃かった。

祖父は道教の師父らしく元々が謹厳な性格の人だったが、それに教団内での立場も相まって、孫といえども海峰を決して甘やかすことはしなかった。
従って海峰は、帰省中と言っても漫然と過ごすことは許されておらず、日々瞑想練気の修行を課せられていたのだ。

しかし彼はその修行に、あまり大きな意味を見出せずにいた。
瞑想自体は彼にとって、まったく苦ではなかった。
むしろ、ひたすら自己の内面に向き合うという意味では瞑想は好きだったし、何時間でも座っていることが出来た。

しかしそれが、道士としての修行につながっているかと問われると、答えは否だった。
自己に向き合うこと自体が修行である――と言われれば、そうなのだろうと思う。

しかしそれによって、(タオ)との合一に到達することは、少なくとも自分に関してはあり得ないと感じていた。
瞑想は彼にとって、自身の内面世界を、まるで近所を散策して歩いているような感覚で見物して回っているようなものだったからだ。

そんないい加減なことで修業が成るとは到底思えなかったし、真剣に修行に取り組んでいる、周囲の道士たちに対して申し訳ないという気持ちしか湧いてこなかったのだ。

そんな彼の心境を、祖父だけは薄々見抜いている様子だったが、だからと言って彼の修行に対して一切口を挟むことはなった。
もしかしたら祖父は、自分に道士としての修行の成果以外のことを望んでいるのかも知れないと海峰が思い始めたのは、ほんの数年前のことだった。

九天応元会は(かつ)て、文化大革命という名の元に行われた、国家的宗教弾圧の嵐を潜り抜け、国内やアジアはおろか欧米諸国にまで組織を拡大していた。
教団の運営方針が、共産党政権にとって害の少ないものであるということが、政府による弾圧を免れた最たる理由だった。

しかし海峰は教団には何か修業とは別の、特殊な目的があるような気配を漫然と感じていた。
一般の道士たちは、ひたすら修行に励んでいるのだが、教団幹部たちは何か別の活動を行っている。
断言は出来ないが、彼にそう思わせる雰囲気が、教団の本部内に漂っていたからだ。

――爷爷(イェイェ)(祖父の意)たちはこっそりと何をしているのだろう?まるで何かの秘密結社の様だな。
寝台に腰かけながら、漫然とそんなことを考えていたその時、何かが彼の意識の片隅に刺さるのを感じた。
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