【07-3】ブライアン・ケスラー博士の所見(3)

文字数 1,979文字

「生体的な変化ってえのは一体何だよ?」
「さっき説明しただろう。
最近犯人の口裂幅が拡大し、歯の形状が変化している可能性があるって。
その解剖所見とDNA鑑定の変化が合致しているのだよ」

「つまり?」
「犯人の肉体がDNAレベルで変化している、という結論に行きつく」

一瞬考え込んだバドコックだったが、
「犯人が本当に狼男に変身したということか?
まさかこの期に及んで巫山戯てるんじゃなかろうな?ブライアン博士」
と、最後の<博士>に強いアクセントをつけて心中に渦巻く怒りを表した。

しかしケスラーは、バドコックのこのような反応には慣れっこで、彼の恫喝にまったく臆することもなく、真顔で答える。

「フィル。勿論私はふざけてなどいないし、必死で捜査している君たちを愚弄するつもりもない。
それは解ってくれ。
ただ、繰り返しになるが、今説明した推論はすべて厳然たる科学的事実から導き出されたものなのだ。
私だって人間が狼男に変身するなどという絵空事を、頭から信じることはない。
しかし犯人の肉体に、短期間に劇的な変化が起こっている可能性があることは念頭においてくれ」

ケスラーの断固とした口調にやや気圧されて、バドコックは黙り込んだ。
一瞬気まずい沈黙が流れる。

それを払うように、
「ところでフィル。そっちに何か新しい情報はないのかね」
と、ケスラーが訊ねた。

バドコックは、「新しい情報ねえ」と言って少し考えたが、昨日部下からの報告にあった、今回の被害者に限って現金を奪われた可能性があるということをケスラーに告げた。

バドコックは全く期待していなかったのだが、意外にもそれを聞いたケスラーが顎に手を当てて考え込んだのを見て、少し当惑する。
そしてケスラーを、どうした?――という顔で見たが、彼は反応を示さない。

暫く無言で考え込んでいたケスラーは、やがて(おもむろ)に顔を上げると、強い眼差しでバドコックを見つめた。
「いいかい、フィル。もしかしたら犯人は追い詰められていると考えられないか?」

その言葉はバドコックの意表を突いていた。
「追い詰められてるだって?どんな風に?」

一瞬ケスラーが、バドコックたち捜査員の無能さを揶揄しているのかと思ったが、その表情は真剣そのものだった。

「いいかね、フィル。犯人の肉体に変化が起こっているのだとしても、それは可逆的なものではない。
都合よく夜だけ狼男に変身して、朝になると人間に戻ることなど出来ないということだ。
つまり犯人は、夜間を選んで行動しているのではなく、夜間にしか行動出来なくなっていると考えられないか」

「真昼間に、人前に出ることが出来ないということか?それがどうして追い詰められていることになるんだ?」

「犯人の外見の変化がどの程度のものかは実見しないと分からないが、人前に出れば、確実に注目を引いてしまうレベルなのだろう。
仮にそこまでではない場合でも、少なくとも以前の犯人を知る者が見れば、すぐにその変化が分かる程度であるということは容易に推測出来る。

もしその知人が現在の犯人の容姿を見ていたら、必ず話題になるはずだ。
人間とはその様な他人の秘密を知った場合、黙っていられない生き物だということは、君もよく知っているだろう。

まして今の時代、SNSを通じて、写真入りであっという間に世界中に拡散されていてもおかしくない。
だが現在、その様な情報は世間に流布していない」

ケスラーは一旦話を切ってバドコックを見る。
その勿体ぶった態度に苛立ってバドコックは、「つまり?」と先を促した。

「2つの可能性が考えられる。
1つは犯人が現在、他者との接触をほぼ完全に遮断して暮らしているということ。

もう1つは、犯人の容姿の変化や、もしかしたら連続殺人犯であることまで承知の上で、犯人を庇っている者がいるということだ。
その場合は近親者である可能性が高いが」

「それは俺にも理解出来る。
あんたの言う、犯人の野郎が狼男になったということが前提だが。
しかし、それでも野郎が追い詰められているというのは、考えとして飛躍しすぎじゃないのか?」

「もう少し話を聞いてくれ。
犯人がどのような姿になっていたとしても、ロンドン市内で生活するためには住む場所が必要だし、電気や水道などのライフラインを利用しなければならない。

そして何よりも、生物である限りは食事をしなければならない。
これらには全て対価が必要だ。

つまり犯人あるいは犯人とその協力者は、今回の被害者から現金を奪わなければならない程、困窮し始めて入るのではないだろうか」

「そうか。野郎、金がなくなったから、今回の被害者の財布から現金を抜いたって訳か。
確かにその可能性はあるな」
ケスラーの推論に、バドコックは思わず引き込まれてしまった。

確かにそれは、今まで被害者の所持品に一切手を付けていなかった犯人が、今回に限って被害者の所持金を持ち去った理由として妥当だ。
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