【07-2】ブライアン・ケスラー博士の所見(2)

文字数 2,067文字

「あり得ないと言っても、厳然とした科学的事実なんだよ、フィル。
それだけではないぞ。この1か月余りで犯人の歯の形状が変化している。

当初は遺体に残った歯形から、通常の人間の歯と推測された。
これは既にスーザンの解剖検案書に書いたが、犯人は彼女の首筋の肉を喰い千切るのに、かなり苦労したようだ。

具体的には数回にわたって噛み直した跡が認められる。
それは当然だろう。
人間の歯は上下32本あるが、そのうち肉の切断作業に用いられるのは切歯が8本と犬歯が4本の計12本、それを除く20本の臼歯は切断という作業には不向きだ。

さらに人間の顎の力も、そこまで強くない。
つまり人間の歯と顎は、人に噛みついて肉を千切り取るという作業には適していないのだよ。

その代わりに、ナイフとフォークという便利な道具を我々は持っている。
しかし今日の被害者の頸部を見る限り、ほぼ一撃で、かなりの量の肉が喰い千切られている」

「それはどういうことだ?もっと分かりやすく言ってくれ」
話を聞きながら胸が悪くなってきたバドコックは、結論を急がせた。

「つまり犯人の口裂幅が広がっただけでなく、歯の構成が切歯中心に変化し、加えて咀嚼筋が短期間に発達したと考えられる」
「つまり1か月間で犯人の口の大きさが倍以上になり、歯が軒並み尖って、ついでに顎が馬鹿でかく膨らんだということか?まるで狼男だな、ええ?」

怒りを抑えながら、一言一言ゆっくりと確認するバドコックに対してケスラーは、「その通りだよ」とあっさりと返す。

そして、
「君が怒る気持ちはよく解る。
吾乍ら、実に馬鹿げた話をしていると自覚しているよ。
しかしな。これは最新の科学技術を用いて導き出された結論なのだよ。
この事実だけは動かしようがない」
と畳みかけた。

そのケスラーをバドコックは睨みつける。
ケスラーも怯まず、彼に強い視線を返す。2人の間に気まずい沈黙が流れた。

「科学的検査の結果は解った。しかし結論は違うんじゃないのか。
あんたも科学者なら、人間が一か月やそこらで狼男に変身しないってことくらいは解るだろう。
例えばそうだ、狼の口のような道具を作るとか、他の可能性は考えられないのか?」
少し冷静さを取り戻したバドコックは、ケスラーにそう質した。

「君の気持は解るが、その推論は否定せざるを得ない。
まず犯人の唾液と口腔粘膜と思われる細胞が、これまでのどの被害者の傷口からも検出されている。
そしてDNA鑑定の結果は、それらがほぼ同一人物のものであることを示している。つまり犯人は被害者を自分の口で噛んでいるのだよ」

「それだって道具を使って殺害した後に改めて傷口を噛んだ可能性だってあるぞ。
そうだろう?」
バドコックはむきになって反論した。

「では何故、わざわざそのように面倒な道具を使う必要があるのかね?
殺した後に噛みつくのであれば、ナイフのようなもので刺した方が遥かに簡単に目的を達成することが出来る。
違うかね?」

その通りだった。
――この大馬鹿野郎の犯人は、何だってこんな面倒なことをしやがるのだろう。
――まったく頭にくる野郎だ。
――何で俺たちがこんな奴に振り回されて、世間から非難を浴びなきゃならないんだ?

抑えても抑えても、胸の奥から次々と込み上げてくる怒りを持て余し、バドコックは憮然として黙り込んだ。

「ところでフィル、少し気になることが出てきたんだ。聞きたいかね?」
「気になることだって?犯人のことなら勿体ぶらずにさっさと言えよ」

突然ケスラーが話題を変えてきたので、バドコックは恫喝気味にそう言った。
しかし長年の付き合いで彼の性格を知り尽くしているケスラーは、そんなバドコックを気にも留めない様子で続ける。

「さっき犯人の残した唾液と粘膜のDNA鑑定の話をしただろう?実は少し結果に引っかかる所が出てきたのだよ」
バドコックはそれが何だと言わんばかりに、無言のまま目で先を促した。

「つまりスーザンの遺体から検出されたものと、その後の被害者から検出されたものを経時的に比較すると、合致率が少しずつ変化してきている。
当初の2回は95%以上の確率で合致していたのだが、徐々に下がって前回は83%まで下がっている」

「それはどういうことだ?
まさか人を噛み殺す大馬鹿野郎が何人もいるってことか?
おい。俺のこの石頭でも理解出来るように説明してくれないか?」
バドコックは苛々して訊いた。

「先程も言ったと思うが、そんな非合理的な殺人者が複数いる確率はかなり低いね。
まして同時期に、同一地域で犯行を繰り返す確率となると更に低くなる。
限りなくゼロに近いだろう。
まあ、同じ方法で殺人を実行する同好会でもあれば別だが」

「下らん御託はいいから、さっさと結論を言えよ!」
怒りを堪えかねて、バドコックは遂に怒鳴り声を出した。
しかしそれも意に介さずケスラーは続ける。

「落ち着けよ、フィル。
合致率が低いといっても80%を超えている。
つまりこれまでの犯人はすべて同一人物であると、ほぼ断定出来る。同一人物ではあるのだが、その犯人に生体的な変化が起きているのではないかと推察されるのだよ」
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