【01】1962年、ロンドン、邂逅

文字数 1,881文字

その日メアリー・ウィンタースは、ピカデリーサーカスにあるレストランで、友人と少し遅めのランチを摂っていた。
その後で最近話題になっている映画<オペラ座の怪人>を見る予定なのだが、開演時刻の午後3時までまだ少し時間があったので、2人で他愛のないおしゃべりをして時間つぶしをしている最中だった。

店内はかなり混んでいた。
ラジオからは最近レコードデビューした、リバプールの人気ロックバンドの曲が大音量で流れている。

メアリーはロックンロールというジャンルの、騒々しい音楽には全く興味がなかった。
というよりもむしろ嫌いですらあったのだが、この<Love Me Do>という曲の淡々としたメロディーは何故か少し気に入っている。

メアリーの生きている世界では東西陣営の間で冷戦が続き、各地で紛争が発生していた。
第2次世界大戦の最中に生まれ、父を戦争で失った彼女にとって、戦争を含むあらゆる暴力はこの世で最も忌むべき行為であった。
代々敬虔なイングランド国教徒の家庭で育った彼女は、強い平和主義の信念を持っていたのだ。

「人類が皆、父なる神の御教えに従って生きていけば、この世界から醜い争いなどなくなるのに」
彼女は常々周囲に熱く語り、自分たちを取り巻く世情に憤慨している。

その時も、つい最近隣国のフランスで起こった大統領の暗殺未遂事件について熱く語り、友人を辟易とさせているところだった。

その時ドアベルの音が店内に響いた。
ちょうどBGMが止んだタイミングだったようだ。

その音に、何気なく店の入口に目を向けたメアリーは、その時まさに入店してきた客の姿に釘付けになってしまった。
それが後に彼女の夫となる、ケネス・ボルトンとの出会いだった。

そしてこの出会いがやがて半世紀以上の時を経て、ロンドンと東京で起こる一連の事件の端緒になるとは、2人を含む誰にも予測出来ることではなかっただろう。
その時店内では、その場にいる人間たちの誰にも感知することが出来ない会話が交わされていた。

『珍しいな。吾と同じく、人間と共生する者に出会うとは。これまでの72年間なかったことだ』
『それは私も同様です。この様な機会は非常に稀で貴重です。互いに記憶する情報の共有を提案しますが、貴方は同意されますか?』

『一部の共有であれば、同意する』
『何故一部なのですか?』

『吾の記憶は膨大な量に上る。更に過去200年程の間にその一部が消失し、正確性を欠いているため、それらの記憶は共有するに値しないと考えるからだ。汝も同様であろう』
『その点については同意します。では、互いに共有を可とする記憶のみに留めましょう』

『…』

『共有が完了しました。貴方は1,295年間存在されているのですね』
『汝は900年程か』

『正確には889年8か月17日です。貴方の記憶には、私が所有していない多くの情報と知識が含まれています。
それを共有することは、私にとって非常に有意義です。貴方と共同体を形成することを提案しますが、貴方は了承されますか?』

『汝が共生するその人間は、比較的不純物の少ないエナジーを多く発しているようだ。その人間と共生することは吾にとっても意義がある。従って吾は汝の提案に同意する』
『では貴方はその人間との共生を中止し、私と共にこの人間との共生することを選択されるのですね』

『いや、このケネス・ボルトンという人間は、これまで多くの新しい知識を獲得してきており、今後もそれを続けていくと推測される。
この人間の知識は吾にとって非常に興味深いものだ。従ってこの人間との共生を停止する意思は、吾にはない』

『貴方の思考することは矛盾しています。
私と共に、このメアリー・ウィンタースという人間との共生を選択されるのであれば、貴方はそのケネス・ボルトンという人間との共生を中止する必要があります』

『その必要はない。何故ならば、この人間とその人間は性別が異なるようだ。
従ってこの2人の人間たちの意思をコントロールし、夫婦という共同体を形成させれば、吾等双方の目的に合致する状況を構築することが出来ると推察される』

『成程、貴方のその提案は非常に合理的です。私は貴方の提案に賛同します。
このメアリー・ウィンタースという人間は、そのケネス・ボルトンという人間に強い関心があるようです。
この者の意思を貴方の提案する状況に向けてコントロールすることは、私にとって容易と推察されます』

『では吾は、このケネス・ボルトンという人間の関心をその者に向けるよう、この人間の精神をコントロールしよう。早速始めようではないか』
翌年、メアリーはケネス・ボルトンと結婚した。
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