【45-3】太歳(3)

文字数 2,879文字

――この男は、どこまで本気で言ってるんだ?
少し恐ろしくなった永瀬は、無理やり話題を転換する。

「ところで林さん。2つ目の質問をしてよろしいですか?」
「はい、どうぞご質問なさって下さい」

「林さんは11年前に、<神>をあなたの精神世界の中の、ある領域内に封印したと仰ってましたよね?」
「はい、その通りです」

「その<神>は現在、どのような状態なのでしょう?
例えば、頭の中であなたに話し掛けて来るとか」

「ああ、そのことですか。
そうですね。<神>を封印した当初は、かなり頻繁にコンタクトを取ってきて、非常に煩わしかったです。

しかしことごとく無視していると、やがてそれも止みました。
今はその領域から抜け出す機会を、虎視眈々と狙っている状況なのではないでしょうか」

「そうなんですね…」
そう曖昧に返しながら永瀬は、林の心の強さに驚嘆する思いだった。

――頭の中で話し掛けて来る言葉を無視し続けることが出来るなんて、どれ程強靭な精神力なのだろう。
――やはり若くして1,000年以上も空いていた教主の座に座るだけの素質を、この人は持っていたということだろうか。

「先生、どうされました?」
林に訊かれて、永瀬は我に返った。
そして、その日の締め括りの問いを彼に投げかける。

「ああ、失礼しました。
それでは林さん。最後にもう1つだけ、お訊きしてもいいですか?」
林は黙って肯く。

「これは以前お聞きしたことかもしれませんが、林さんの教団――九天応元会では、何故それ程<神>への関心が高いのですか?

教団の創始者の方が、<神>と接触してからその研究が始まったと仰っていましたが、それにしてもその関心の強さは研究の域を超えているように感じられます。

もちろん教団にとっての機密事項であれば、お答えいただかなくても構わないのですが」
永瀬の問いに、林は少しの間黙考した後、意を決した表情を作って語り始めた。

「永瀬先生。
仰る通り、そのことは我が教団の最高機密の中でも、最も重要な事柄に直結しています。
従って本来であれば、部外者である先生にお話し出来る内容ではありません。

しかし私は、既に先生を<神>との交信に巻き込んでしまいました。
それを今更、機密であるからと隠し立てすることは、やはり人としての倫に背くことでしょう。

これからお話しする内容は、教団内部でも私を含む数名の者にしか共有されていません。
ですので、くれぐれも内密にお願いいたします」

そう言いながら林は少し声のトーンを落とす。
永瀬は緊張で、口の中が渇くのを覚えたながら、黙って彼に頷いた。

「九天応元会の開祖である林清虚(リンチィンシィー)が、西域を旅する過程で<神>と交信を行ったことは既にお話ししました。

その交信の中で清虚は<太歳(タァィスゥェイ)>という言葉に触れたのです」
「<太歳>、ですか」

「はい、実際には<太歳>という言葉を聞いた訳ではなく、交信の中で<神>から伝えられたイメージを中国語で表現すると、<太歳>という言葉に当てはめることが出来ると言った方が正確だと思います」

「既に当時の中国、唐ですか。
唐ではその言葉が使われていたということですね?」

「仰る通りです。
中国語で<太歳>は幾つかの意味を持っています。
1つは天空の星、金星であるとも木星の対となる鏡像の星とも言われるものです。

もう1 つは、太歳星君と呼ばれる凶神です。
道教においては、天空の幾つかの星を神に擬えていましたので、その星のイメージから派生したものと思われます。

あるいは所謂(いわゆる)妖怪の一種としても<太歳>と呼ばれるものがあります。
それを地中から掘り出すと、その人に災いが起こると言われています。

いずれにせよ<太歳>は負のイメージを持つ言葉なのです。
そして清虚が神の交信から伝えられた、イメージとしての<太歳>という言葉は、教団に1つの使命を与えました。

具体的には清虚が遺した秘録の中に、彼が<神>から受け取った<太歳>という言葉は、世界の破滅や終焉という意味を持つこと、そして<太歳>とは何かを究明することが、九天応元会の使命であることなどが綴られています。

私も教主の座を襲った後に、その記述を実際に目にしています。
それ以降我が教団では、<太歳>の実態究明に力を注いで来ました。

清虚の秘録よると、<神>の研究はそのための唯一の手段とされていたのですが、未だ力及ばず、その実態は不明のままなのです」

ここまで一気に語った林は、コップの水を口に含んだ。
永瀬は彼の話の壮大さに、只々圧倒されるだけだった。

「先生にとっては、荒唐無稽と響く内容かも知れませんが、今お話ししたことが、我々が<神>の研究に全力を傾けている真実の理由なのです。
お分かりいただけましたでしょうか」

永瀬はその言葉に思わず頷いていた。
<太歳>という言葉は初めて耳にするが、その解明のために全力を注ぐその姿勢は、自身が携わる自然科学の研究に対するものと、ある意味共通すると考えたからだ。

一呼吸おいた林は、さらに真剣な表情で話を再開した。
「現在私は、一つの危惧を抱いています。

それは今回立て続けに発生した、ベンジャミン・トーラスの事件と、梶本先生の事件です。
いや、先程お話したトミー・パルマー少年の事件と合わせれば、3件の類似事件が30年という短いスパンの間に発生しています。

それが<太歳>と関連するのかどうかは不明ですが、少なくとも現在蔵間先生の中にいる<神>が関与している可能性が高い。
そう考えると、近い将来、何か我々が想像できないような事態が発生するのではないか。そう考えてしまうからです」

その言葉を聞いて、永瀬は思わずたじろいだ。
自分の身近にいる、蔵間顕一郎(くらまけんいちろう)という存在が、以前にも増して恐ろしい存在に思えたからだ。

その思いを察したように、林は言った。
「少し言いすぎたようですね。
永瀬先生、あまりご心配なさらないで下さい。

蔵間先生とは先日個別に面会しました。
その際<神>にはこれまでの事情を説明して、今後他者の精神世界への干渉を控えていただくよう依頼しました。

未和子さんの<神>を含めてです。
<神>は私の話に非常に興味を持ったようですが、一応そのことには納得いただいております」

そして林は穏やかな表情に戻った上で、態度を改めると、
「ところで永瀬先生。
私の滞在期間がそろそろ終わります。

非常に残念ですが、近々成都に帰らなければなりません。
これまで色々とご教授頂き、本当にありがとうございました」
と言って、永瀬に向かって深々と頭を下げた。

突然の告知に驚いた永瀬は、
「いつ帰られるのですか?」
と慌てて訊く。

すると林は、
「実は、来週早々の予定です」
と答えて、また微笑んだ。

「それはまた、急ですね。
こちらに来られる時も急でしたが」

永瀬は半ば呆れて言った。
「そうでしたね。申し訳ありません」

永瀬は、やれやれという表情を浮かべると、
「名残惜しいですが、お気をつけてお帰り下さい。

私もこの4か月余りの間に、何物にも代えがたい経験をさせて頂きました。
林さん、ありがとう。

貴方のことは一生忘れないと思います」
と言った。
そしてその後、「多分」と付け加えて片目を瞑って見せた。
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