【45-2】太歳(2)

文字数 3,254文字

「まあ、監視か監察かという議論は、不毛ですから止しましょう」
そう言って林は話を戻す。

「先生のご質問に戻りますが、今回の事件と英国の事件の関連性に思い至ったのは、あのベンジャミン・トーラスという犯人の写真を入手したからではなく、30年前パルマー家に起こった悲劇に関する情報を持っていたからです」

「では林さんの来日の目的は、事前に事件の発生を予測していたからなのですか?」
「いえ、さすがにそれは違います。
あの様な事件が起こるなど、想像もしていませんでした。

私の来日目的は最初にお話しした通り<神>の研究のため、大脳生理学に関する知見を得るために、蔵間顕一郎(くらまけんいちろう)教授のご指導を仰ぐことが目的でした。
蔵間先生の研究室を留学先と選択したのも、純粋に先生が世界的権威であることが理由でした。

先生がボルトン教授の教え子であったことは、もちろん情報として持っていましたが、私の留学と今回の一連の事件とはまったく関連がありません。
しかし」

「しかし?」
引き込まれるように永瀬は林の言葉を反芻する。

「私の来日の予定が早まったのは、蔵間先生が英国で、ボルトン先生夫妻の奇禍に巻き込まれたという情報を得たからでした。

私はその時、何か予感めいたものを持ったのかも知れません。
非科学的ではありますが」

――ああ、そういうことだったのか。
永瀬は事情を聴いて、漸く胸にわだかまっていた疑問が、解けた思いだった。

「そして来日後に私は、蔵間先生の周辺に<神>の存在があることを強く感じました。そしてあの日ここで、先生に私の経験談をお話ししたのです」
「何故私に?」

「先生に私の話を記憶していただくことで、蔵間先生の近くにいる<神>の興味を喚起するためです。

我が教団では、<神>が直接人間の精神から情報を得ている可能性について、既にかなりの確信を持っていましたので」

「ああ、そういうことだったんですか。
だから教授は、話もしない林さんの過去の経験を知っていたんですね。

漸く理由が分かりました。
しかし林さん。
貴方は何故ご自身の経験を、直接<神>に開示しなかったのですか?」

「私は<神>が、私の精神に直接接触することを、阻止することが出来ます。
それは生来のもので、11年前の<神>との接触以降に発現したようなのです。

私がその能力を行使して<神>との接触を拒むのは、私の中にいる<神>を無暗に刺激してしまうことを恐れるからなのです。

先生にそのことを肩代わりさせてしまい、大変申し訳ありませんでした」
そう言って林は深々と頭を下げた。

「そんなことはもういいですよ、林さん」
永瀬がそう言うと、
「ありがとうございます」
と、林は再度頭を下げた。

「そして教授に呼ばれた貴方は、あの日<神>に関する様々な質問をされたのですね?」
「そうです。
あの様な機会は、これまでの教団の歴史の中でも、稀有のことでした。

私はその貴重な機会を逃すまいとして、あの様に直接的な質問を幾つも投げかけました。
大変不躾とは思いましたが、様々な疑問に回答を得ることが出来ました。

しかし、その後がいけませんでした」
「その後とは?」

「梶本さんを止めることが出来なかったことです。
私は早い段階から研究室内の異変を感じていました。

その時にもっと踏み込んでいれば、梶本さんを救済することが出来たかもしれない。
このことは私の人生の中で、最大の痛恨事です。
いくら後悔しても足りない」

「林さん、もうその話は止しませんか?
貴方のおかげで梶本君は、人として人生の最後を迎えることが出来たのですから」

永瀬はそう言って、本心から林を慰めた。
梶本恭子に起こった、悲惨な出来事を予測することなど、誰にも出来なかっただろう。

林は永瀬の思いやりを沈黙で返した。
その眼には感謝の色が浮かんでいる。

その眼差しに少し照れた永瀬は、「ところで林さん」と言って彼への質問を続けた。
「あの鏡はどこにあったんですか?」

「ああ、あれですか。
あの鏡はビルの3階で、偶然見つけたものです」
「偶然!」

「そうです。
初めは梶本さんの注意を引いて、彼女の精神世界に入りやすくするために使うつもりでした。
相手の注意が私に向けられていると、その人の精神世界に入ることが出来ないからです」

「あなたはそれ以前にも、他人の精神世界に入るということを、実行されていたのですか?」

「はい。
祖父や、教団幹部に事前の了解を得て、修行の一環として行っておりました。
まったく予備知識のない人物に対して行うのは、今回が初めてでしたが。

しかしあの時点で梶本さんは、既に永瀬先生に気持ちを集中していましたので、鏡を使用しなくても彼女の精神世界に入ることは容易でした。

(もっと)もあの鏡は、彼女の世界の中で、彼女の注意を引くのに大いに役立ってくれました。
おかげで彼女の中の<神>と会話することが出来ましたので」

「あの鏡がなかったら、どうされたんですか?」
「その時は、別の手段を考えたと思います」
そう言って林は、涼し気な笑みを浮かべた。

「そうだったんですか」
永瀬もつられて微笑すると、質問を続けた。

「答えにくいかも知れませんが、林さんは梶本君に身に起こった変化を、いつ頃から予測していたのですか?」

「それはかなり後になってからです。
具体的には、箕谷先生のご遺体を発見してからです。
あれは常人のなせる業ではありませんでしたから」

「ああ、そうだったんですか」
「はい、それ以前は異変を感じつつも、正確に予測は出来ていませんでした」

「そうですよね。
誰にもあんなことは予測出来るはずがない。
私たちは<神>ではないのですから。

だとすると、箕谷君を殺害した時点で、梶本君はかなりの変化を遂げていたことになりますね。

いくら距離があまり離れていないとは言え、あの廃ビルから箕谷君のマンションまで、よく人に見とがめられずに移動できたもんだなあ…」

「先生は、我が教団が収集した噂話を覚えておられますか?」
永瀬の自問に、林がそう問いかけた。

「噂話ですか?」
「はい、そうです。『がんちゃん』という路上生活者の方の目撃証言と、あのビルに灯りが点っているという噂話、そして」

「確か、民家の屋根や、低層マンションの屋根伝いに移動する人物いたという。
ああそうか。
それが梶本君だったと」

「確証はありませんが、梶本さんは無意識にか、あるいは意図的になのか、人目を避ける目的で、そのような移動手段を取ったのかも知れません」

「なるほど。
ところで林さん。
本筋とは離れてしまうのですが、2つ程、僕の興味本位の質問をしてもいいですか?」
「ええ、勿論です」

「1つ目は、精神世界の中では、林さんや相手はどんな形で存在しているんですか?
目に見えるという表現は、当てはまらないかもしれませんが、どのようにご自身や、相手を認識されているのでしょうか?」

「なるほど、当然の疑問ですね。
まず私は、自身をこの物質世界の中で認識している像、つまり鏡に映る映像として認識しています。
もちろん自分自身の姿かたちが見えている訳ではありませんが。

そして対象者ですが、こちらはおそらく私の印象に左右されて、異なる形状として認識されます。

例えば父は、直前に見た牢獄の中で蹲る姿そのままでした。
一方梶本さんは、黒い大きな影のように認識されました。

そして<神>は、明確にその形状を認識することが出来ず、その世界全体として漠然と認識されました。

逆に相手から私がどのように認識されているか不明ではありますが。
そうだ、良いアイデアが浮かびました」

「どんなアイデアでしょう?」
永瀬はつい、釣り込まれる。

「一度先生の精神世界に、入らせていただけませんか?
そしてその中で先生が、私をどの様に認識されるのか教えていただきたいですね。
非常に興味深いので、是非お願いします」

林が真顔を向けてそう言ったので、永瀬は慌てて拒絶する。
「や、止めて下さい。
もしどうしてもと言われるのであれば、先程仰っていた教団幹部の方で試して下さい」

「そうですか。残念ですね」
そう言いながら林は、人のよさそうな笑顔を永瀬に向けた。
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