【04-3】21世紀の切り裂きジャック(3)

文字数 1,689文字

初めはその解剖所見を信じない者も多数いたようだ。
それは当然だろうとバドコックも思う。
自分でも容易に信じはしなかっただろう。
しかしそれは事実だった。

スーザンの検死解剖を担当した、キングス(K)カレッジ(C)ロンドン(L)所属の法医学者ブライアン・ケスラー博士は、噛む以外の方法で、頸部にこの様な痕跡を残すことは不可能であることを強く主張したのだ。

そして警察が第三者としての見解を求めた他の2人の法医学者も、ケスラー博士のその見解を支持したのだ。
その結果捜査員たちは、彼の主張を受け入れざるを得なかった。

その時ケスラーのその主張を聞いたある捜査員が、1つの仮説に思い至った。
それは、近年イギリス各地で目撃例が報告されている、ヒョウやピューマのような大型肉食獣に襲われたのではないかという仮説だった。

本来これらネコ科の大型捕食獣、所謂(いわゆる)ビッグキャットは、本来ならイギリスどころかヨーロッパのどこにも生息しないはずだった。
しかし富裕層によってペットとして国内に持ち込まれた個体が、以前はかなりいたようだ。

そして、その後規制が強化された際に、一部の飼い主たちが無責任にも放棄した個体が、野生化し繁殖しているらしい。
その数は既に100頭を超えるとも言われ、国内のあちこちから目撃情報が寄せられている。

当初この説は、捜査員たちの間でかなりの説得力を持って受け入れられたのだが、またもやケスラーによって否定される羽目になった。

彼によると、スーザンの遺体には肉食獣の爪や牙などによる損傷の跡は一切認められず、頸部の損傷以外に唯一確認されたのは、両上腕部に残された強い圧迫痕だけだというのだ。
そこから導き出される最も可能性の高い状況は、スーザンが両腕を相当の強さで掴まれて身動き出来ない状態にされ、頸部を噛まれて殺害されたということだ。

そして人間の両腕を掴んで拘束するという行為が可能な動物は、現在地球上で確認されている範囲では、ゴリラやオランウータンなどの大型の類人猿または人間しかいないと、ケスラーは主張したのだ。

オランウータンが殺人を犯すなどという空想談は小説の中だけで十分だと、彼の主張を聞いた捜査員の1人が吐き捨てた時、ケスラーは即座に同意を示した。
つまりスーザンという被害者は、人間に噛み殺された可能性が最も高いということが彼の結論だったのだ。

当初捜査員たちは、ケスラーのその主張をただの妄説として、誰もまともに受け取ることはなった。
その理由の1つとしては、彼らが常日頃からケスラーに抱いていた反感もあった。

しかしそれを差し引いたとしても、そんな馬鹿げた殺し方があるものか――と、皆が思ったのも至極当然のことだったろう。

――人間に両腕を掴まれ、頸部に歯を立てられ、肉を食いちぎられる。それは想像を絶する恐怖だっただろう。本当にそんなことがあり得るのか?

その話を聞いた時、当時捜査に関わっていなかったバドコックですらそう思った。
しかしケスラーの所見が正しかったことは、その後すぐに実証された。

事件発覚の翌日に現場から200ヤード程離れた草むらで、スーザンの頸部から噛み取られたと思しき肉片が発見されたのだが、その肉片からスーザンのものではない体組織が検出されたのだ。

それは犯人が彼女の頸部を噛んだ際に残された、口腔粘膜であると推定された。
そしてDNA鑑定の結果、それは人由来の物であると判定されたのだった。

その報告を受けた捜査員たちは大混乱に陥った。
そして同じ手口による犯行が短期間に次々と繰り返されるに及び、その混乱はさらに拡大して行くことになった。

その推移を見届けたヤード上層部は、捜査員たちの混乱が世間に波及していくことを恐れ、いち早く情報操作に打って出る決断を下した。
ヤードの広報は、被害者はまず頸部の損傷によって殺害され、殺害後に頸部を抉り取られ持ち去られたという主旨の公式発表を行ったのだ。

その結果、頸部を切って殺害し遺体の一部を持ち去るという、<ジャック>の手口との共通点がハイライトされ、瞬く間にそれが世間の共通認識となった。
そういう意味では、ヤードの情報操作は成功したと言えなくもない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み