【41-1】悲しき魔人(1)

文字数 2,476文字

<神>と林海峰(リンハイファン)の対話は続く。
「では、貴方が理解できるという前提で、説明を継続します。

私がこの梶本恭子という人からの、エナジーの吸収に制限を設けていた理由は、不純物を除去し切れず、含有率の高いエナジーを吸収した場合、私の存在がその不純物からの影響を受け、私としての存在を維持することが困難になると思考したためです。

しかし、あの者から受けた刺激によって、私は意識せずその制限を解除してしまったのです。
その結果、大量のエナジーを吸収して、私自身の構成要素は急激に増加しましたが、同時にこの梶本恭子という人の精神との融合が、制御不能な程進行してしまったのです。

そのことを認識した私は、再度この梶本恭子という人との融合を阻止しようと試みましたが、それは成功しませんでした」

「それは何故でしょう?」
林の問いは端的で短い。それは出来るだけ<神>に語らせることを、彼が意図していたからだった。

「この梶本恭子という人の精神活動が、急激に活発化し、融合し始めた部分から、私の構成要素に流入してくるエナジーを制御することが困難になったためです」
「何故、梶本さんの精神活動が急激に活発化したのですか?」

「いくつかの要因が存在すると推察されますが、大きな契機は蓑谷明人(みのやあきひと)という人が、この人の意に反する生殖行為を強要したからです。

それまでもこの梶本恭子という人の精神は、人間が定めた社会規範を遵守しない他者への怒りの感情を多く含んでいました。

それが蓑谷明人という人間の、暴力による生殖行為の強要によって、一気に増加したのです」

「私は以前の梶本さんを知っていますが、その様な怒りを内面に抱いている人には見えませんでした。
梶本さんは、何時からその様な怒りを抱くようになったのですか?」

「何時からという正確な情報を私は所有していません。
以前私は、この梶本恭子という人と、祖父という血縁関係にあった、梶本明哲(あきよし)という人の精神世界に存在していました。

そして梶本明哲という人が生命活動を停止し、その精神世界が消滅する際に、近くに存在していた、この梶本恭子という人の精神世界へと移動したのです。

この梶本恭子という人は、この人と父母という血縁関係にあった、梶本哲也(てつや)という人と、梶本美佐枝(みさえ)という人が、交通事故という事象によって、ほぼ同時期に生命活動を停止したため、その後梶本明哲という人によって扶育されました。

その過程で、この梶本恭子という人は、梶本明哲という人から多くの精神的影響を受けることになりました。
その主たる要素は、社会規範の遵守という概念でした。

その概念が、この梶本恭子という人の、精神活動の絶対的基準として構築されたのです」
「社会規範の遵守ですか」

「そうです。
この梶本恭子という人の精神には、梶本明哲という人によって、自身が所属する国という集団が規定する法規制、社会倫理、公共マナー等のすべての規範を遵守して生活することが、人間としての存在意義を決定するという概念が繰り返し注入されました。

その概念は梶本明哲という人が生命活動を停止した後も、この梶本恭子という人自身の精神活動によって反復的に強化されました。

その概念自体は、私にとって、さほど有害な不純物ではなかったのですが、その概念に基づく願望から、徐々に私にとって、非常に有害な不純物の生成が開始されたのです」

「それはどの様な有害物質だったのですか?」
「貴方たち人間が生成する<怒り>という感情です。

この梶本恭子という人は自身の成長の過程で、自身が社会規範を遵守するだけでなく、他の人間もそれを遵守しなければならないという、強い願望を所有するようになっていきました。

その願望は、この梶本恭子という人が、大学という集団に所属するために、東京という地域に移動して以後、現在まで継続的に強化されています。
そしてその願望に合致しない行動をする人間に対して、徐々に強い怒りの感情を生成するようになったのです」

「この世界を飛び交っている感情がそうなのですね?」
「そうです。

しかし私があの者との接触によって、この梶本恭子という人と融合し始めた時点では、現在のように強く大量の怒りは、この世界に存在していませんでした。
しかし時間が経過する共に、怒りの強さと量が増加したのです」

「その様に怒りが増加した理由は、何だったのですか?」
「その理由に関する正確な情報を、私は所有していません」
「推測でも構いませんので、教えて頂けますか」

<神>はしばらく沈黙した。
姿は見えないが、考えている様子が林に伝わってくる。

これまで交信した<神>もそうだったが、彼らは皆、論理的で、客観的で、かつ公正な思考回路を持っていた。林からの質問への対応は、誠実ですらあった。
それは<神>の在り方そのものに起因するのかも知れない――と彼は考えた。

その時再び<神>の声が聞こえた。
「貴方の要求に従い、私の推論を伝達します。

この梶本恭子という人の精神の中で、怒りという有害物質が増加したことの原因の1つは、この梶本恭子という人の精神と、私の構成要素の同化にあると推察されます。

それがどの様なものであるかは残念ながら不明ですが、私の構成要素の一部が、融合によって、この梶本恭子という人の願望を、増大させるような精神活動を、活発化させたものと推察されます」

「梶本さんの願望が大きくなることで、怒りも増加したというのですね?」
「そうです。
私が所有する記憶によると、不純物は人間の願望によってその種類と量が決定されます。

この梶本恭子という人は、自身だけでなく、他の人間も社会規範を遵守して行動することを強く願望していました。
そしてその願望に則さない行為をする人間に対して、怒りという不純物を生成するのです」

「そして願望の強さが増加することによって、怒りの強さと量も増加したということですね?」
「そのように推測されます」

林は沈黙した。この世界では、彼も<神>も単に思考するだけで交信を行っているのだが、何故か自身が声を出して会話している様な感覚を覚えるのだ。
しばしの黙考の後、彼は話題を転換した。
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